江戸時代

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徳常寺-千葉県君津市

・玉龍山 徳常寺 曹洞宗 千葉県君津市上湯江980貞元村上湯江にあり玉龍山と号す。境内百参拾九坪、西南に丘陵を繞らし北方には雑樹鬱蒼として茂り風致佳にして高燥の地なり。本尊は阿彌陀如來にして丈四尺餘、僧源信の作と云ふ。境内に藥師堂あり、藥師佛を安置す。丈壹尺、同じく源信の作と傳ふ。宗派は曹洞宗にして最勝福寺の末寺なり。天正八年の田地畑道改帳に本寺の名を載す。傳へ云ふ、慶長十一年再興、元和六年七月十二日、中興開山を武準昌藝とす。寳永五年二月、凉山久清再建すと。(リンク先より)※慶長十一年 1606年 << 戻る
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称念寺-京都府京都市上京区

・称念寺 浄土宗 京都府京都市上京区寺ノ内通浄福寺西入上る西熊町275嶽誉(がくよ)上人が陸奥国土浦城主松平信吉公の帰依をえて慶長11年(1606年)に建立されました。信吉公は元和6年(1620年)に没し、当寺に葬られています。信吉公と徳川家康公は義兄弟に当たり、当寺の寺紋は三ツ葵が許されました。三代目の住職の猫の恩返しでお寺が復興した伝説があります。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-静岡県静岡市駿河区

・吉祥寺 曹洞宗 静岡県静岡市駿河区中田本町26-8慶長10年(1605)に千手観世音菩薩尊を御本尊として沓谷長源院第七世在川見昨大和尚により開山されました。大和尚は、夢枕に毘沙門天を見られ、そのお姿を自ら彫刻されました。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が将軍職を秀忠にゆずる

1605年、徳川家康が、将軍職を秀忠にゆずる。<< 戻る
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大龍寺-福島県西白河郡

・大龍寺 曹洞宗 福島県西白河郡西郷村大字羽太字狸屋敷164安良勘解由使という当時の有力者の寄進を受けて、覚法という僧によって開かれた長福寺(宗派不明)が、白河市表郷番沢の峰全院八世榮室宗悦(えいしつそうえつ)禅師(慶長9年5月25日示寂)によって曹洞宗大龍寺として現在の地に再興されたと伝えられています。開創の時期は、古い記録が火災で焼失してわかっていませんが、推定で830年以上の歴史があります。(リンク先より)※慶長9年 1604年 << 戻る
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品秀寺-広島県広島市安芸区

・品秀寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区畑賀2-2-16ご本尊は阿弥陀如来さま。慶長7年(1604)に浄土真宗の寺と再興された時のご本尊は、 蓮如上人直筆の『六字名号』(軸)でしたが、本堂が再建されてからは、阿弥陀如来さまのお木像です。 内陣修復として、ご本尊が安置される宮殿(くうでん)ならびに柱回りは、彩色が完全な形で仕上げられました。(リンク先より) << 戻る
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隨泉寺-広島県広島市安芸区

・隨泉寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安芸区中野東7-27-30慶長9年(1604年)今からほぼ400年前、僧恵閑(えかん)なる人により開基されました。恵閑師は、賀茂郡熊野跡村(現・広島市安芸区阿戸町)の薬師堂におられ、隨泉寺の前身湯原山法専寺に入寺されました。湯原山法専寺は 真言宗の道場であり、場所は現在の井原地区変電所の付近にあったと言い伝えられています。(リンク先より) << 戻る
年表

知恩院、青蓮院の一部を与えられ寺地堂舎を造堂

1604年(慶長9年)、徳川家康が母・伝通院(でんつういん)の菩提寺に決めたことから江戸幕府からの援助を受けるようになり、青蓮院の敷地の一部を与えられ、寺地堂舎が造堂されました。<< 戻る
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大雄院-京都府京都市右京区

・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る
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興禅寺-埼玉県三郷市

・興禅寺 曹洞宗 埼玉県三郷市幸房1071慶長8年(西暦1603年)、現在の千葉県松戸市中金杉の廣德寺9世 快笑梵せき大和尚により開かれました。開基は江戸京橋竹町(屋号)長門屋の当主である楢崎庄兵衛氏。(リンク先より) << 戻る
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徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く

1603年、徳川家康が征夷大将軍となり、江戸幕府を開く。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

興聖寺派(本山興聖寺(京都))の開派

慶長8(1603)年、虚応円耳禅師により始まる。臨済宗興聖寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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知恩院に寺領七百三石余

1603年(慶長8年)、徳川家康が知恩院を永代菩提所と定め、寺領七百三石余を寄す。<< 戻る
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三松寺-奈良県奈良市

・三松寺 曹洞宗 奈良県奈良市七条1-26-10奈良時代、桓武天皇の皇后・藤原乙牟漏が延歴4年(785)富雄の地に、万民富楽の勅願寺として建立。江戸時代、大和郡山藩城代家老松下将監供養の為、寛永16年(1639)現在の七条の高台に士族寺として再建立されました。(リンク先より) << 戻る