江戸時代

便り

西方寺-愛媛県大洲市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県大洲市西大洲甲1979元和3年、大洲城主・加藤貞泰公によって城下裏町3丁目山根(現在・町の駅あさもや)に入城記念として開基され、 本堂五間四面、庫裡五十坪、山門、長屋等が建てられた。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
便り

常敬寺-東京都新宿区

常敬寺 真宗大谷派 東京都新宿区市谷山伏町1−7地下鉄牛込柳町駅から神楽坂へ上がったところにあるます。境内には親鸞上人像を見ることが出来ます。元和3年(1617)八丁堀に建立されたものが、明暦2年(1656)にここに移転されました。 << 戻る
便り

築地本願寺-東京都中央区

・築地本願寺 浄土真宗本願寺派 東京都中央区築地3-15-11617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」と呼ばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。(リンク先より) << 戻る
便り

宗英寺-神奈川県横浜市青葉区

・宗英寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県横浜市青葉区鉄町1783新編武蔵風土記稿によると、除地、2町8段4畝、村の西にあり、禅宗曹洞派、江戸渋谷長谷寺末、一抽山と号す、開山仁嶺寅怒元和3年5月21日寂す、開基は此の村の地頭加藤権右衛門景正なり、法名を大樹院一抽宗英と云、寛永7年8月卒す、客殿7間半に5間半未、坤の方に向かう、本尊釈迦木の座像にして長一尺ばかり、と書かれている。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
便り

常栄寺-東京都世田谷区

・常栄寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区北烏山4-13-1寺伝の過去帳によると、寛永16年(1639年)6月8日に示寂した正教法師を第一世とします。寺は創建当初、浅草烏越の地にありましたが、元和3年(1617年)、本願寺十二代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したとき、当寺もこれに従って浅草へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
便り

臨川寺-岐阜県関市

・臨川寺 黄檗宗 岐阜県関市小屋名957-11617年に小屋名村の豪族であった「喜多嶋きたじま(亀山)惣右衛門そうえもん 雅利まさとし」が、小屋名村の領主であった「池田図書政長いけだずしょまさなが」の菩提寺として創建しました。当初は臨済宗でしたが、1660年に潮音道海禅師を迎え、黄檗宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
便り

真英寺-東京都新宿区

・真英寺 真宗大谷派 東京都新宿区若葉2-1-3開基 祐眞(三河出身の僧侶)元和 3年(1617年) 麹町清水谷貝塚村(現在の千代田区紀尾井町)創立天保12年(1841年) 現住所へ移転(リンク先より) << 戻る
人物

徳川家康(とくがわいえやす)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任せられ江戸幕府を開く。三英傑のひとり。家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していた。従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年...
便り

本念寺-秋田県秋田市

・本念寺 浄土宗 秋田県秋田市広面字赤沼98本念寺は元和2年(1616)良無文廓上人が開基されました。 しかし本念寺には縁起(建立理由)が残されておりません。​ですが歴代の住職のお戒名から察せられることがあります。(リンク先より) << 戻る
便り

心行寺-東京都江東区

・双修山 心行寺 浄土宗 東京都江東区深川2-16-7双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。(リンク先より) << 戻る
便り

清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
便り

実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
便り

龍岸寺-京都府京都市下京区

・龍岸寺 浄土宗 京都府京都市下京区塩小路通大宮東入八条坊門町564寺史によれば龍岸寺は僧・三哲によって、元和2年(1616)に創建されたとされる。龍岸寺の山門前の通りは、いまは塩小路通と呼ばれるが、かつては三哲通だった。(リンク先より) << 戻る
便り

西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る
年表

ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。

1616年、ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。<< 戻る
便り

傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
便り

江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
便り

慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
便り

緑泉寺-東京都台東区

・浅草・湯島山 緑泉寺 浄土真宗東本願寺派 東京都台東区西浅草1-8-5当山は、初代覺春法師が越前の国より江戸に下り、元和元年(1615年)本郷湯島(現在の文京区湯島)に湯島山緑泉寺として興したことによりはじまりました。しかし明暦3年正月、俗に言う振袖火事により類焼、当山もことごとく焼失しました。その後浅草に遷り、今日まで連綿と法燈を継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
便り

高音寺-宮城県亘理郡

・高音寺 曹洞宗 宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字字牛頭190紅梅山 高音寺(こうばいさん こうおんじ)開創 1615年(元和3年)開山 大雄寺5世仲巖文堂大和尚(リンク先より) << 戻る
便り

宗禅寺-東京都羽村市

・宗禅寺 臨済宗建長寺派 東京都羽村市川崎2-8-20歴史開創1615年(元和元年)。現在の川崎会館、玉川上水付近にあったと思われます。(リンク先より) << 戻る
便り

盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る
便り

善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る
年表

徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める

1615年、徳川幕府が武家諸法度・禁中並公家諸法度を定める。<< 戻る
便り

徳念寺-東京都葛飾区

・徳念寺 真宗大谷派 東京都葛飾区立石7-11-32林光山徳念寺は、芝金杉の東本願寺抱地に元和元年(1615)創建しました。<< 戻る
年表

大阪夏の陣

1615年、大阪夏の陣。豊臣氏が徳川氏に滅ぼされる。<< 戻る
便り

大安寺-青森県むつ市

・大安寺 曹洞宗 青森県むつ市大畑町本町80慶長19年(1614)本町坪家出身の禅達という僧が、大安寺道に庵を結び、曹洞宗の教義を布教したのが発祥とされている。寛永11年(1634)禅達が入寂し、しばらく無住であったところに一東異寅(いっとう いいん)が入庵して新寺造立に尽くし開山の僧となった。(リンク先より) << 戻る
便り

桂蔵寺-宮城県黒川郡

・桂蔵寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大郷町川内字下堰場12桂蔵寺は、慶長19年(1614)瑞巌寺の前身円福寺80世廣天青(こうてんせい)和尚が天台宗の寺院であった当寺を臨済宗として小規模ながら再建いたしました。その由縁から廣天青和尚を開創としています。また、その時無住であった本堂に桂の木でできた地蔵菩薩が本尊としてまつられていたため、桂蔵寺と寺号を称し、鎮守として日光菩薩、月光菩薩をお祀りしていたことから山号を「日月山」としました。(リンク先より) << 戻る
便り

應典院-大阪府大阪市天王寺区

・應典院 浄土宗 大阪府大阪市天王寺区下寺町1-1-27應典院は、大蓮寺三世誓誉在慶の隠棲所として1614年に創建された大蓮寺の塔頭寺院です。1997年に再建される際、一般的な仏事ではなく、かつてお寺が持っていた地域の教育文化の振興に関する活動に特化した寺院として計画され、〈気づき、学び、遊び〉をコンセプトとした地域ネットワーク型寺院として生まれ変わりました。(リンク先より) << 戻る
便り

釣船寺-茨城県稲敷市

・釣船寺 曹洞宗 茨城県稲敷市浮島3583寺伝によれば、慶長19年(1614年)9月に美浦村(茨城県稲敷郡)の永厳寺十七世安芝門泰大和尚のご開山と伝わり、木原永巌寺の末寺でした。(リンク先より) << 戻る
年表

大阪冬の陣

1614年、大阪冬の陣。徳川家康が大阪城の豊臣秀頼を攻める。<< 戻る
便り

円寿寺-福島県郡山市

・円寿寺 浄土真宗本願寺派 福島県郡山市小原田1-9-14圓壽寺の開基は、慶長18年(1613)7月25日で、新國西念が創建して以来代々法灯を継承して現在に至っている。寺祖新國西念は岩瀬郡長沼城主(福島県岩瀬郡長沼町)新國上総介頼基(貞通)の嫡孫として出生、幼名を竹丸といった。(リンク先より) << 戻る