江戸時代

年表

関所・駅伝の制

1625年、関所・駅伝の制を定める。<< 戻る
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最勝院-千葉県船橋市

・最勝院 facebook 浄土宗 千葉県船橋市本町3-35-5当山は、寛永年間(1624~1643)の初頭、浄勝寺住職大超(潮?)上人により塔頭として創建されたと伝えられる。慶安年間、中興開山但譽了受大徳により堂宇の再建がなされた。明治20年頃、浄勝寺塔頭から独立寺院となり、尋蓮社聲譽察音上人(明治25年12月13日没)の手により、堂宇の改修が行われ、その後、昭和34年、正蓮社覚譽上人(千野定戒)、昭和49年、中興圓蓮社融譽上人(千野定勝)により堂宇の整備がなされると共に教線の拡張が図られた。(リンク先より) << 戻る
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照源寺-三重県桑名市

・照源寺 浄土宗 三重県桑名市大字東方1308寛永元年(1624年)桑名藩主であった松平隠岐守定勝公(徳川家康公の異父弟)の御逝去に際し、二代将軍徳川秀忠公の台命により 御父菩提の為、御子の松平隠岐守定行公が新規に一寺を建立し、当地に埋葬しました。すなわち当山は松平家菩提の為に建立されたお寺です。(リンク先より) << 戻る
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法泉寺-岩手県盛岡市

・法泉寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-16-8盛岡の法泉寺は、江戸時代前期(1624年~44年)、東禅寺の住職・東岩和尚によって開かれました。それから数十年を経て寛文十一年(1671年)、南部第二十九代重信公が、第三十代行信公の母堂の菩提のために建立(再興)して、法泉寺と称したとされます。(リンク先より) << 戻る
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徳玄寺-岩手県盛岡市

・徳玄寺 真宗大谷派 岩手県盛岡市名須川町15-8徳玄寺は室町時代から戦国時代に代わる頃、青森県五戸で開山しました。それから南部氏が三戸から盛岡に移るにおよび、江戸時代前期(1624~1644年)玄海の時に現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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壽徳寺-福島県耶麻郡

・壽徳寺 真言宗豊山派 福島県耶麻郡猪苗代町山潟字村上2540「永正年中、雲の間から熊野本宮の牛王が飛びこみ、随喜のあまり薬師の像を彫った。牛王を薬師の胎内の中に封じ、寺を建てて安置し、時宗の僧金蔵を住持とした。寛永年中、真言の僧秀海が来て田子山寿徳寺と号し、若松台町(現在の会津若松市内)延寿院の末山となった」とされる 『新編会津風土記』より(リンク先より)※寛永年中 1624年から1645年 << 戻る
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専徳寺-山口県岩国市

・専徳寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市通津2764厳島合戦に勝利した毛利元就は一族の吉川広家を、弘中氏(当時の岩国城主)に代わって岩国地方を領有させた。広家公は、16年の間岩国の領主となったが、元和2年(1616)に家督を嫡男広正公に譲ると、次男彦次郎君を帯同して、玖珂郡通津村本呂尾に隠居所を構えた。当時、高照山にあった常福寺という真言宗の寺院を改宗し、広正公に対して浄土真宗の一寺建立を願い出た。開基に高森正蓮寺開基了善法師(弘中氏の血統)の3男善超師を迎え、寛永元年(1624)年、光照寺(のち専徳寺)が誕生した。(リンク先より) << 戻る
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玉雲寺-静岡県島田市

・玉雲寺 曹洞宗 静岡県島田市伊太584玉雲寺には寺伝もなく開創当初の事やその後の寺歴も伝わらないため、詳しいことは不明ですが、郷士歴や「山西洞家明細鑑」(大房暁著 昭和38年)では、寛永年間の開創とされています。最初は現在の場所より1キロほど北の山中、田代という地に建立され、正保年間(1644~1648年)に現在の地に移転したと伝えられています。(リンク先より)※寛永年間は1624年から1645年 << 戻る
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徳勝寺-香川県さぬき市

・徳勝寺 浄土真宗本願寺派 香川県さぬき市寒川町石田東甲618寛永年中(1624-1643)住職通教、老体をおして最後の上洛本山参拝へ向かう。良如上人、忠勤に感じ入り寺号「徳勝寺」をお授けになる。第10代住職恵證、老齢の通教に変わり上洛し以下の物を賜る(リンク先より) << 戻る
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即応寺-大阪府大阪市阿倍野区

・即応寺 真宗大谷派 大阪府大阪市阿倍野区阪南町1-23-13寛永元年(1624)、東区難波別院内に長順坊として発足。寛永2年(1625)1月に即応寺となり、以来御堂内に在所をおき廃藩置県に至るまで宗藩寺として大坂町民の戸籍を預かりました。(リンク先より) << 戻る
年表

スペイン船の来航を禁止

1624年、スペイン船の来航を禁止する。<< 戻る
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天徳院-石川県金沢市

・天徳院 曹洞宗 石川県金沢市小立野4-4-4元和九年(1623年)に加賀三代藩主前田利常公は正室珠姫菩提のため、金沢城の東、小立野台に4万坪の広大な敷地を定めて天徳院を創建した。寛永元年(1624年)初代将軍徳川家康公が崇敬した巨山泉滴和尚を千葉県長安寺よりお招きし、天徳院第一世開山とした。(リンク先より) << 戻る
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祥雲寺-東京都渋谷区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 東京都渋谷区広尾5-1-21祥雲寺は、大本山が特賜興禅大燈国師開山の京都紫野大徳寺で、山号を瑞泉山という。筑前福岡城主黒田忠之の開基で、開山は龍岳宗劉。はじめ忠之の父・長政は、龍岳の道徳を崇敬し、しばしばその法話を聞いていた。長政が元和9年(1623)に歿すると、忠之は父の冥福を祈るために、赤坂溜池の邸内に一寺を建立。 長政の法名・興雲をとって龍谷山興雲寺と号し、龍岳和尚を請じて開山としたのが、当山の起立である。(リンク先より) << 戻る
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改観寺-新潟県新潟市秋葉区

・改観寺 真宗大谷派 新潟県新潟市秋葉区川口145元和9(1623)年 川口の名主田中新左衛門(第一世)は、広く念仏の教えが流布されることを願い、菓城寺から僧宗玄を迎えたのを改観寺の開基とする。第七世暁貞は、天明3(1783)年より、現新潟市濁川から本堂を移築再建し、天明7(1787)年に旧本堂が完成する。(リンク先より) << 戻る
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因速寺-東京都江東区

・因速寺公式ホームページ 真宗大谷派 東京都江東区東砂1-4-10因速寺は、江戸時代の初め元和9年(1623年)に釋定玄法師によって、江戸・京橋竹町に建立されました。その後、寛永2年に江戸・木挽町八丁堀に移転しましたが、類焼により、江戸・黒江町(現在の江東区永代2丁目)に寺基を移しました。大正12年(1923年)の関東大震災により寺は炎上してしまいましたが、昭和2年(1927年)に第10世・釋定因法師が現在の江東区東砂1丁目に再建されました。(リンク先より) << 戻る
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大英寺-長野県長野市

・大英寺 浄土宗 長野県長野市松代町松代1314皓月山大英寺は松代藩初代の藩主 真田信之公が、その奥方であった小松姫(大蓮院殿)の菩提を弔うために建立した寺です。小松姫の戒名は「大蓮院殿英誉皓月大禅定尼」で、大英寺の名前もここからいただいております。元和8年(1622)、信之公は松城(松代)へ転封になり松城に大蓮院殿の寺を移しました。それが現在の大英寺となります。(リンク先より) << 戻る
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徳源寺-滋賀県甲賀市

・徳源寺-facebook 浄土宗 滋賀県甲賀市信楽町下朝宮462㭝牛という僧が元和8(1622)年に法泉寺として開山した。その後、領主山口源助が浄土宗に改め、京都黒谷金戒光明寺に末属した。正保4(1648)年源助が亡くなった時に白龍という住職が源助の法号から寺名を徳源寺と改めた。本尊阿弥陀如来立像(木造、漆箔、古色、像高93.3cm)は、原材の丸太を彷彿とさせるような体系が特徴である。現在は、一度前後に割り放して内部にえぐった痕があるが、これは後世の所為と考えられている。10世紀後半の作品だと目されている。現在は来迎印を結んでいるが、当初は異なった施無畏・与願印だった可能性が示唆されている。...
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円満寺-山形県新庄市

・円満寺 真言宗智山派 山形県新庄市五日町5914昔は、秋田県西仙北郡小杉村にありました。初代新庄藩主戸沢政盛公の国替えにより、常州松岡(茨城県高萩市)から、元和八年(1622年)に新庄に移ってきました。(リンク先より) << 戻る
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定泉寺-東京都文京区

・東光山 定泉寺 浄土宗 東京都文京区本駒込1-7-12元和七年(1621)本郷弓町にあった「太田道灌の矢場跡」を旗本蜂屋九郎次郎善遠が拝領し堂宇を建立、増上寺定誉随波上人を開山に迎え、東光山見性院定泉寺と号しました。明暦の大火のあと現在地に移転。(リンク先より) << 戻る
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地蔵寺-徳島県小松島市

・地蔵寺 真言宗大覚寺派 徳島県小松島市松島町11-26弘法大師開基、元和7年(1621)中興。本尊は地蔵菩薩(藤原期)。寺宝に室町期の遺風を伝える平島公方の館を移築した本堂、大曼荼羅(県文化財)がある。(リンク先より) << 戻る
年表

シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える。

1621年、このころ、シャム、インドシナ、ルソンなどに日本人町が栄える。<< 戻る
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法輪寺-和歌山県田辺市

・法輪寺 曹洞宗 和歌山県田辺市新屋敷町85当山は元和元年(1620年)田辺住まいの与力三十六人衆の一人である西郷孫右衛門が盟主となって創建されたものです。孫右衛門は遠江(静岡県)森の領主、大須賀五郎兵衛胤高公(徳川家康公に仕え五千石を拝領)に寵愛された人物で、主人である胤高公が慶長十四年に死去し、与力衆として田辺に移住した孫右衛門は、旧主の菩提を弔う為に胤高公(鷄足院殿傳誉法輪大居士)を開基とし、衣宗廣傅大和尚を招いて開山として創建され、現在末寺は十三ヶ寺を有りしています。(リンク先より) << 戻る
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興福寺-長崎県長崎市

・興福寺 黄檗宗 長崎県長崎市寺町4-32興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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台林寺-栃木県小山市

・台林寺 天台宗 栃木県小山市飯塚1582信祐法印の開山で創建は元和年間(1620年頃)と伝えられております。当、寺院の本尊は阿弥陀如来です。大乗仏教の如来の一つ、梵名「アミターバ」といい「阿弥陀」と音写します。阿弥陀如来は、無限 の光を持つもの、無量の寿命をもつものを意味します。(リンク先より) << 戻る
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林昌寺-愛知県春日井市

・薬師山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市林島町105約400年続く文化的資産として地域に根差し、ご縁ある皆さまとのつながりを大切にしていきます。設立日 元和5年(西暦1619年)(リンク先より) << 戻る
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大雲寺-兵庫県宍粟市

・大雲寺 浄土宗 兵庫県宍粟市山崎町上寺169当山は元和5年(1619) 専誉上人によって開山されたお寺です。開山 称蓮社専誉上人天樹大和尚は、姓は千葉氏と言い、文禄2年(1593)下総国千葉に誕生されました。佐倉清光寺森誉玄愚上人に就いて、剃髪・出家・檀林附法の後、大坂大雲寺に住し、姫路幡念寺を経て、播磨山崎の地に赴き、当地において元和5年(1619)8月15日に、入仏法要が行われました。(リンク先より) << 戻る
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恵運寺-和歌山県和歌山市

・恵運寺 曹洞宗 和歌山県和歌山市吹上3-1-66創建:1619年~1621年 開山:天厳(岩)玄達開基:山本弥三郎茂成(長昌公)牟呂城城主 天眞院星安長昌居士初代藩主徳川頼宣公と紀州徳川家の武運長久、廣厳無窮の安泰と山本家の顕祖長昌公の菩提を供養する為、紀州藩重臣山本圖書正春が禅寺を建立。(リンク先より) << 戻る
年表

知恩院、三門、経蔵を造営

1619年(元和5年)、江戸幕府が知恩院の三門、経蔵を造営、2年後に竣工しました。【三門】1619年(元和5年)、徳川二代将軍秀忠公の命を受け建立されました。平成14年には国宝に指定されました。構造は入母屋造本瓦葺(いりもやづくりほんがわらぶき)で、高さ24メートル、横幅50メートル、屋根瓦約7万枚。その構造・規模において、我が国現存の木造建築として最大級の二重門で、外に掲げられている「華頂山」の額は、大きさは畳二畳以上にもなります。一般には寺院の門を称して「山門」と書くのに対し、知恩院の門は、「三門」と書きます。これは、「空門(くうもん)」「無相門(むそうもん)」「無願門(むがんもん)」とい...
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金泉寺-埼玉県比企郡

・大龍山 金泉寺 曹洞宗 埼玉県比企郡嵐山町越畑1122当初東方山上の寺台に開祖南叟玄寿(なんそうげんじゅ)大和尚により元和四年(1618年)三月に建立されと伝えられています。その後、火災に遭い正徳五年(1715年)現在の地に再建されたと伝えられています。本尊に釈迦牟尼佛を安置(リンク先より) << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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西琳寺-千葉県夷隅郡

・西琳寺 曹洞宗 千葉県夷隅郡御宿町高山田1553西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る