江戸時代

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光恩寺-京都府京都市下京区

・光恩寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30親鸞聖人御染筆名号一幅、 覚如上人御染筆二幅を供奉し、京都に上京し、烏丸五条に居住し、法名を祐心と改め道場を仮説し、 寛永十年十二月光恩寺と寺号を公称し、是を光恩寺初代となし、累世相続し、現在に及ぶ(リンク先より)※寛永十年 1633年 << 戻る
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養源寺-鳥取県鳥取市

・養源寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市職人町45御本尊  阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基  慶心大和尚(俗名 上田半蔵) 遷移  岐阜県大垣市→愛知県豊橋市→岡山市→鳥取市(1633年)(リンク先より) << 戻る
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海禅寺-愛媛県今治市

・海禅寺 臨済宗妙心寺派 愛媛県今治市山方町2-甲1167当寺院はそもそも「海會寺(かいえじ)」という名前で、戦国乱世の間、長年に渡り荒廃していましたが、江戸時代前期の寛永十年(1633年)に入り、天嶺玄嶝(てんれいげんとう)和尚を開山住職として迎え、今治藩主・藤堂高吉公から免許状を拝領して海禅寺と名を改めて開創されました。(リンク先より) << 戻る
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本覚寺-和歌山県西牟婁郡

・本覚寺(貝寺) 浄土宗 和歌山県西牟婁郡白浜町瀬戸627本覚寺の創建について、詳細は残っておらず、応仁年間(1467~69年)との一説もありますが、過去帳によると、寛永10年(1633年)から始まったとされています。旧記によれば、古来白良浜(白浜町)の奥寺谷にあった真言宗のお寺を、元禄年間に現在の瀬戸に移し、その際に浄土宗に改宗したとされています。(リンク先より) << 戻る
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勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失

1633年(寛永10年)、知恩院で火災が発生し、勢至堂、経蔵、三門以外の建物が焼失してしまいました。その時の様子が、当時知恩院の山役で、塔頭(たっちゅう)良正院の宗把(そうは)上人の手記に詳細に書かれています。「正月九日亥の刻(午後10時)火が出て、私は一番に方丈に入り火の元に行ったが、すでに小方丈北側半分まで火が移っていた。霊巌上人は猛火の中に飛び込もうとしていたのでそれをなだめ、人を付けてお護りした。私は奥に入り権現様や秀忠公ご拝領の品などを持ち出した。御影堂に延焼するのを防ぐ為、霊巌上人や寺内の衆、一心院住持、近辺の衆と共に御影堂北側の廊下を切り離そうとした。そこへ周防守様の御家中木下宮...
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蔭凉寺-岡山県岡山市北区

・蔭凉寺 臨済宗妙心寺派 岡山県岡山市北区中央町10-28大樹山蔭凉寺(だいじゅざん いんりょうじ)は寛永9年創建の禅宗寺院で、臨済宗妙心寺派に属します。葬儀中心の仏教に留まらず「今を、どう生きるか」をテーマに、音楽やアートによる「豊かな心」創りに取り組んでおり、安心(あんじん)への方便として、様々な文化活動を行っています。(リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る
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宮澤寺-岩手県盛岡市

・宮澤寺 曹洞宗 岩手県盛岡市本宮宮沢90宮澤寺は、江戸時代前期(1632年)、東顕寺六世・崇岳善寿大和尚によって開創されました。当初、地名にちなむ「本野山」の山号でしたが、いつのころか、今のように改めています。(リンク先より) << 戻る
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金龍寺-広島県広島市中区

・金龍寺 臨済宗妙心寺派 広島県広島市中区小町9-37元和5年(1619)紀州の国より、浅野長晟公が安芸の国の国主として入国され、以後、治世13年目の寛永9年(1632) 浅野長晟公に藩政を委ねるにあたり、物故家老今中将藍光相の功績を忍び、その菩提を弔うため、紀州の国の名刹、金龍寺を移設、寺領を旧国泰寺東に定め、ここに堂塔を建立し〈寳珠山金龍禪寺〉と号しました。(リンク先より) << 戻る
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宗真寺-千葉県館山市

・石川山 宗真寺 浄土真宗本願寺派 千葉県館山市上真倉2124宗真寺の正式名称は浄土真宗本願寺派石川山宗真寺。創立年は寛永9年、1632年とされます。(リンク先より) << 戻る
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浄宗寺-鳥取県鳥取市

・浄宗寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市瓦町110寛永9年6月18日、岡山藩主であった池田光仲公(当時3歳、1630~1693)が鳥取城主として国替えになられたおり、祐筆・相談役として備前片上(現・和気郡備前町)からお供をして来たり、邑美郡鳥取城下・若桜橋上手の荒尾家下屋敷にて庵を建立して『紫雲庵』と号して居住したのが初代の正現律師である。 (リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る
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賴岳寺-長野県茅野市

・賴岳寺 曹洞宗 長野県茅野市ちの上原1753開創は、江戸時代初期の寛永8年(1631)でご開山(初代住職)は雙林寺(群馬県)十三世大通関徹大和尚 開基は高島藩初代藩主の諏訪頼水 頼水は諏訪大社にまつられる建御名方神(諏訪明神)の直系諏訪氏で諏訪氏は古代から中世まで諏訪の盟主 として君臨し江戸時代は高島藩三万石の大大名として栄えていた(リンク先より) << 戻る
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西福寺-東京都港区

・西福寺西福寺 真宗大谷派 東京都港区南麻布2丁目14番17号金生山西福寺は、1631(寛永七)年に浄土真宗本願寺派麻布山善福寺(港区元麻布)の第14世住職准海師の弟以伝(海伝とも号す)が、1661(万治三)年9月9日に浄土真宗本願寺派(西本願寺)より真宗大谷派(東本願寺)に転派し、開基として現在地に創建いたしました。(リンク先より) << 戻る
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千光寺-岡山県都窪郡

・千光寺 高野山真言宗 岡山県都窪郡早島町早島1179千光寺は建立当初、奥坂(現在のコンベックス岡山周辺)にありましたが、寛永八年(1631)に現在の早島の地に移されました。御本尊は聖観世音菩薩で、慈覚大師の作と言われています。(リンク先より) << 戻る
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増福寺-東京都板橋区

・増福寺 曹洞宗 東京都板橋区赤塚7-14-5寛永8年(1631)に松月院住職により開かれた曹洞宗寺院です。境内に「南無阿弥陀仏」の名号を刻んだ、区内最大の板碑があります。この板碑は江戸時代から広く伝えられており、十方庵敬順(じっぽうあんけいじゅん)による紀行、『遊歴雑記』弐編(文化12年・1815序)にも、「下赤塚村一町面了弁の名号石」として挿絵入りで紹介されています。それによると「・・・その石青く石面ざらざらとして至て堅く見ゆ、名号と蓮花座(れんげざ)と了弁の名のみ、文字大きく鮮かに、能く摺(すり)得かたし・・・」とあって、敬順自身がこの板碑を実見し、「南無阿弥陀佛」の名号の部分を中心に拓...
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光源寺-長崎県長崎市

・光源寺 浄土真宗本願寺派 長崎県長崎市伊良林町1-4-4寛永8年(1631年)開基松吟、福岡県瀬高より長崎に寄住し布教を開始寛永14年(1637年)山号・寺号の免許、銀屋町に一寺を建立延宝4年(1676年)銀屋町の寺地類焼のため、現在の伊良林の地に移転(リンク先より) << 戻る
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天竜院-東京都台東区

天竜院 臨済宗妙心寺派 東京都台東区谷中4-4-33寛永7年(1630)に梅嵓(ばいがん)が創建しました。江戸時代には正月に梅の花を幕府に献上していた寺院です。蘭法医の伊藤玄朴(いとうげんぱく)の墓などがあります。天龍院とも表記。 << 戻る
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常高寺-福井県小浜市

・常高寺 臨済宗妙心寺派 福井県小浜市浅間1常高寺は、江戸時代初期の小浜藩主京極高次の妻、常高院(お初の方、信長の妹お市の方の次女)の発願によって建立された寺であります。寛永七年(1630年)に建設に着手し、小浜出身の槐堂周虎(かいどうしゅうこ)禅師を迎えて開山しました。(リンク先より) << 戻る
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常徳寺-東京都文京区

・身代わり地蔵 常徳寺 浄土宗 東京都文京区本駒込3-7-16寛永7年(1630年)8月、開山立誉善達上人俗姓の兄 安藤又右ヱ門氏、湯島天神切通にあった日蓮宗善正寺を購入して浄土宗に改め、常徳寺と号して善達上人を開山とした。天和2年(1682年)12月28日、天和の大火(お七火事)にて類焼、再建しようとしたが御用地のため幕府に召上げられ、天和3年(1683年)5月、駒込麟祥院領百姓地(現在地)を求めて再建する。(リンク先より)
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長國寺-東京都台東区

・浅草 酉の寺・鷲在山長國寺 法華宗(本門流) 東京都台東区千束3-19-6当山は江戸時代初期、寛永七年(1630年)に石田三成の遺子と言われる、 大本山-長國山鷲山寺(じゅせんじ)第13世・日乾(にちけん)上人によって、鳥越町(とりこえちょう)に 開山されました。山号を鷲在山(じゅざいさん)寺号を長國寺(ちょうこくじ)と称します。(リンク先より) << 戻る
年表

伽藍諸堂、焼失する

寛永七年(1630年)、伽藍諸堂、焼失する。<< 戻る
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明善寺-山形県山形市

・明善寺 浄土真宗本願寺派 山形県山形市七日町5-9-3明善寺の創建は寛永7年(1630)に釈覚玄が開山したと伝えられています。当初は現在の天童市山口にありました。<< 戻る
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妙寂寺-鳥取県倉吉市

・妙寂寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県倉吉市新町3-2283妙寂寺は開基寛永6年(1629年)8月で、開基は「妙寂院釋圓照大姉」で、以来門信徒の皆様や地域の皆様に支えられ、護られて参りました。2029年に節目の400年を迎えます。私で18代目の住職になります。(リンク先より) << 戻る
年表

幕府がキリスト教徒の発見に踏み絵を用いる

1629年、幕府がキリスト教徒の発見に踏み絵を用いる。<< 戻る
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西徳寺-東京都台東区

・西徳寺 真宗佛光寺派 東京都台東区竜泉1-20-19西徳寺は寛永五年五月、当時新興都市であった江戸における佛光寺門徒の聞法道場として、 金助町(現在お茶の水に近い本郷近辺)に建立された。徳川幕府三代家光の時に当たる。初代の住職は新潟県寺泊の名刹「聖徳寺」住職の次男、釈善如法師が本山の命を受けて就任している。ところが建立されてからわずか五十年の間に三回の火災に見舞われてしまう。この三回の火災の中には八百屋お七 で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建の為、すっかり疲弊してしまう。(リンク先より)※寛永五年 1628年 << 戻る
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正覚寺-青森県青森市

・正覚寺 浄土宗 青森県青森市本町1-1-12青森市本町( 旧寺町)に立ち並ぶ四ヵ寺の中では、その創立が最も古い寺院。善知鳥村が 青森村と改名され、ようやく街が出来始めた頃の寛永三年(1626年)、時の開港奉行森山 弥七郎が民心安定の為寺院設置の必要を津軽藩主信枚に懇願、寛永五年(1628年)建立。(リンク先より) << 戻る
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常仙寺-群馬県高崎市

・常仙寺 曹洞宗 群馬県高崎市並榎町331並榎山常仙寺は、一六二八年(寛永五年)徳川家光の時代に、水運業を営む飯塚常仙(光徳院心徹常仙居士)が藤岡市森の泉通寺の四世である松齢恕嶽大和尚を開山として創建したと伝えられる。(リンク先より) << 戻る
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丈六寺-大分県豊後大野市

・丈六寺 臨済宗妙心寺派 大分県豊後大野市三重町秋葉1274・古くは極楽寺と称し、一丈六尺の阿弥陀如来を安置していたことから、後に丈六寺になったといわれている。・天正年間の薩摩軍の侵攻により丈六仏と共に消失。・約40年後の寛永5年(1628年)実傳受眞が創建。(リンク先より) << 戻る
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忠綱寺-東京都台東区

・忠綱寺 真宗大谷派 東京都台東区池之端2-5-43寛永3年(1626年)3月22日開基 渡邉忠綱(忠七郎)寺号 向岡山 渡邉院 忠綱寺墓所 渡邉忠綱、方綱、豪綱、潔綱ら、渡邉家御代の墓を預かる(リンク先より) << 戻る
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蓮台寺-愛知県豊田市

・蓮台寺 浄土宗 愛知県豊田市上野町2-38住古から不動堂村(上野町内)に地蔵仏が祠られていたが、永禄(1558~20)の頃の兵火で付近の寺と共に堂宇は焼失した。寛永2年(1625)再建立され、地蔵菩薩を本尊として再興してから、同10年(1633)、近くの随応院中興の七世源蓮社然誉上人(地元の山内重但の次男)を開山に招じて浄土宗となり、地蔵院法然寺と寺号公称した。(リンク先より) << 戻る
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寛永寺-東京都台東区

・寛永寺 天台宗 東京都台東区上野桜木1-14-11寛永2(1625)年に、徳川幕府の安泰と万民の平安を祈願するため、江戸城の鬼門(東北)にあたる上野の台地に、慈眼大師(じげんだいし)天海(てんかい)大僧正によって建立されました。 後には第四代将軍・德川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねるようになりました。また東叡山主を皇室から迎えた(輪王寺宮)ことで、江戸時代には格式と規模において我が国随一の大寺院となったのです。しかし幕末の上野戦争により、敷地の大部分が上野公園となりました。また関東大震災や太平洋戦争の被害もありましたが、戦後は新たに霊園を造営し一般のお檀家さまを受け入れるなど、...
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祥雲寺-大阪府堺市堺区

・祥雲寺 臨済宗大徳寺派 大阪府堺市堺区大町東4-2-7山号を龍谷山、俗称松の寺といい、豪商谷正安を開基、沢庵宗彭を開山とする。徳川時代の初め、沢庵に帰依する正安は、夭折した子供の菩提のため寺院創建を発願した。だがそのころ、新地での寺院建立は法で禁じられていた。折しも大坂夏の陣(元和元年=1615)で焼失した南宗寺の復興に尽力していた沢庵は、同じく夏の陣で焼失した海会寺を南宗寺山内に移転再建し、その跡地に新寺を建立することにした。寛永2年(1625)から同5年にかけて正安は海会寺跡地に方丈、庫裡などを造営、瑞泉寺と号して沢庵を勧請開山に迎えた。これに伴い南宗寺と法類の縁が結ばれた。その後、同9...
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智源寺-京都府宮津市

・智源寺 曹洞宗 京都府宮津市字京街道769寛永2年(1625)5月、宮津城主・京極丹後守高広公が、母堂・惣持院殿松渓智源大禅定尼追善のため建立し、心庵盛悦禅師を懇請して開山とした曹洞宗の寺院です。山号と寺号は、この松渓智源禅定尼より出ています。寛文元年(1661)、大本山永平寺より僧録司に任ぜられ、丹後曹洞宗の諸寺を支配しました。(リンク先より) << 戻る