東京都(浄土宗)

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法養寺-東京都江戸川区

・法養寺 浄土宗 東京都江戸川区西一之江3-33-1<< 戻る
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泉福寺-東京都江戸川区

・泉福寺 浄土宗 東京都江戸川区東瑞江2-36<< 戻る
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清光寺-東京都江戸川区

・清光寺 浄土宗 東京都江戸川区東葛西3-3-16<< 戻る
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金蔵寺-東京都江戸川区

・金蔵寺 浄土宗 東京都江戸川区江戸川3-23-4<< 戻る
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浄興寺-東京都江戸川区

・浄興寺 浄土宗 東京都江戸川区江戸川3-22-5<< 戻る
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明福寺-東京都江戸川区

・明福寺 浄土宗 東京都江戸川区江戸川3-8-1<< 戻る
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法蓮寺-東京都江戸川区

・法蓮寺 浄土宗 東京都江戸川区北葛西4-5-18<< 戻る
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安養寺-東京都江戸川区

・安養寺 浄土宗 東京都江戸川区東瑞江2-50-2<< 戻る
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安楽寺-東京都江戸川区

・安楽寺 浄土宗 東京都江戸川区北葛西1-25-16<< 戻る
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法龍寺-東京都江戸川区

・法龍寺 浄土宗 東京都江戸川区船堀6-9-30<< 戻る
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法然寺-東京都江戸川区

・法然寺 浄土宗 東京都江戸川区船堀2-10-10<< 戻る
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林海庵-東京都多摩市

・林海庵 浄土宗 東京都多摩市和田1529-10林海庵は、平成13年11月、浄土宗の開教寺院として稲城市のマンションの一室からスタートしました(ビュープラザ向陽台)。その後、稲城市を含めた近隣地域の皆さんをはじめ、多くの信徒さんの応援のもと、平成17年10月、多摩市に独立した建物として開山することができました。(リンク先より) << 戻る
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神田寺-東京都千代田区

・神田寺 浄土宗 東京都千代田区外神田3-4-10明治以降、神田の地に寺院が無かったため、第二次大戦後の昭和22年(1947)に故友松圓諦師によって地名を名のる寺院として創建されました。寺の前身は南北朝時代の至徳元年(1384)品川に創建されたのち深川に移転した「法禅寺」と江戸時代初期、万治元年(1658)創建の「安民寺」が前身となっています。(リンク先より) << 戻る
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道往寺-東京都港区

・来迎山 道往寺 浄土宗 東京都港区高輪2-16-13道往寺は江戸時代の寛文年間(1661年-73年)に建立されました。道往寺の一帯は、かつて東京湾に面した高台でした。高輪の海岸線の景色は、葛飾北斎「阿蘭陀画鏡(おらんだえかがみ)江戸八景高縄」に描かれています。また、江戸時代後期には「廿六夜待ち」の月の名所として人気を集めました。(リンク先より) << 戻る
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常徳寺-東京都文京区

・身代わり地蔵 常徳寺 浄土宗 東京都文京区本駒込3-7-16寛永7年(1630年)8月、開山立誉善達上人俗姓の兄 安藤又右ヱ門氏、湯島天神切通にあった日蓮宗善正寺を購入して浄土宗に改め、常徳寺と号して善達上人を開山とした。天和2年(1682年)12月28日、天和の大火(お七火事)にて類焼、再建しようとしたが御用地のため幕府に召上げられ、天和3年(1683年)5月、駒込麟祥院領百姓地(現在地)を求めて再建する。(リンク先より)
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定泉寺-東京都文京区

・東光山 定泉寺 浄土宗 東京都文京区本駒込1-7-12元和七年(1621)本郷弓町にあった「太田道灌の矢場跡」を旗本蜂屋九郎次郎善遠が拝領し堂宇を建立、増上寺定誉随波上人を開山に迎え、東光山見性院定泉寺と号しました。明暦の大火のあと現在地に移転。(リンク先より) << 戻る
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心行寺-東京都江東区

・双修山 心行寺 浄土宗 東京都江東区深川2-16-7双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。(リンク先より) << 戻る
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西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る
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浄心寺-東京都文京区

・江戸札所十番 浄心寺 浄土宗 東京都文京区向丘2-17-4浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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雲光院-東京都江東区

雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る
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森巖寺-東京都世田谷区

・森巖寺のホームページ 浄土宗 東京都世田谷区代沢3-27-1江戸から遠く離れた越前での臨終に際して秀康公は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立し、自らの位牌所とせよと命じました。この遺命を託された万世和尚が高齢だったため、弟子の清譽存廓上人に託して、慶長13年(1608年)に當寺を開山。その建立にあたっては隣接する北沢八幡 別当寺とし、森巖寺一帯は天領となりました。そしてその八幡を山号、秀康公の法名浄光院殿森巖道慰運正大居士にちなんで浄光院を院号寺号として、八幡山浄 光院森巖寺と命名されました。(リンク先より) << 戻る
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法真寺-東京都文京区

・法真寺 浄土宗 東京都文京区本郷5-27-11当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。(リンク先より) << 戻る
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重願寺-東京都江東区

・重願寺 浄土宗 東京都江東区猿江1-11-15當山は所伝によると天正18年(1590)千葉邦胤の女(娘)、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創され、ついで寛永6年(1629)普光観智国師(増上寺第十二世)の高弟、本蓮社願譽是哲上人によって開山され、不虚山 當知院 重願寺と称しました。この寺号は『往生礼讃』という書物に唐代の善導大師みづからの信仰体験を記し、「深く阿弥陀佛を信じて称名念佛するものは必ず浄土に救いとろうと誓われたご本願は決して虚りではない」(當知本誓重願不虚、衆生称念必得往生)と言われた言葉に基づくものです。(リンク先より) << 戻る
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増上寺-東京都港区

・大本山増上寺 浄土宗 東京都港区芝公園4-7-35酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。(リンク先より) << 戻る
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心光院-東京都港区

心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る
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性翁寺-東京都足立区

・木余り 性翁寺|龍燈山 貞香院 浄土宗 東京都足立区扇2-19-3神亀2年(725年)、この地に居住の足立之荘司宮城宰相が一人の娘「足立姫」と下女12人水死の難に遭った。父・荘司は悲嘆のあまり諸国廻行に出て熊野権現より霊木を授かり、海中に投げ入れると、霊木は当処へ流れ着いていた。 (旧来、熊の木の地名あり)この霊木を当地に行化の行基菩薩の御手で、六道流転化益に当たって六体の阿弥陀仏を彫刻し、六つの村里に安置して13人亡女子のため、 又、末代衆生利益のためとしたのが六阿弥陀の始まりである。(リンク先より)