本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区

仏教を本気で学ぶ

御影堂(みえいどう)

仏教寺院において一宗の開祖・祖師や寺院の開山・開基の像や位牌を祀った堂のことを御影堂といいます。宗派によって、開山堂、祖堂、大師堂、法華堂などと呼ばれる場合があります。真言宗の御影堂などでは、伽藍の中心から外れて建てられることが多いですが、日蓮宗では本堂と並ぶことが多く、浄土宗では御影堂が本堂であり、浄土真宗・真宗では本堂である阿弥陀堂と並んで建てられることが多くあります。いずれにしても同じ宗派であっても、伽藍が整備された年代や寺院規模などにより違いがあります。御影堂であるからこの形で建てられているという見分けは、宗派を超えて見る場合は判断出来ません。ちなみに、例にあげた東本願寺の御影堂は、木...
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第6話 汝 無量寿に帰れ 無量寿に帰って 無量寿を生きよ 池田理(兵庫県光照寺)

「汝無量寿に帰れ無量寿に帰って無量寿を生きよ」この言葉は、以前、東本願寺の学校・大谷専修学院の院長であった信國淳先生からお聞きしました。「無量寿」とは仏さまの名です。「量ることのできない、いのちそのもの」という意味をもつ名前であります。(リンク先より)・第6話 汝 無量寿に帰れ 無量寿に帰って 無量寿を生きよ 池田理(兵庫県光照寺)
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第5話 苦しみ悲しみ自体の持つ意味、そのいのち 池田理(兵庫県光照寺)

Aさんのお宅に初めて月参りに行ったとき、仏壇の横に、まだ新しい骨箱が三つ置かれてあったので、二度目にお参りしたときお尋ねしましたところ、「子どもたちのです」ということでした。(リンク先より)・第5話 苦しみ悲しみ自体の持つ意味、そのいのち 池田理(兵庫県光照寺)
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第4話 いのちは誰のものか 池田理(兵庫県光照寺)

私が住職となってすぐにであった、ある出来事についてお話します。それは、Sさんご夫婦の娘さんが、まだ幼い我が子を残して、自身のいのちを絶ってしまったという、悲しい出来事でした。(リンク先より)・第4話 いのちは誰のものか 池田理(兵庫県光照寺)
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第3話 教えのいのち 池田理(兵庫県光照寺)

突然、奥さんを交通事故で亡くされたKさんから、葬儀をお願いされて、執り行わせていただいた時のことでした。奥さんは、自宅のあるマンションの入り口手前で、大型のバイクに撥ねられ、ほとんど即死状態だったそうです。(リンク先より)・第3話 教えのいのち 池田理(兵庫県光照寺)
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第2話 『自分』に閉ざされたいのち 池田理(兵庫県光照寺)

真宗大谷派の『同朋新聞』で知った、斉藤勇輝という方のことです。お父さんを自殺によって失った彼は、同じ苦しみ、悲しみを体験した人たちと共に『自殺って言えなかった』と題する本を出されました。(リンク先より)・第2話 『自分』に閉ざされたいのち 池田理(兵庫県光照寺)
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第1話 生きていてよかったといえる人生 池田理(兵庫県光照寺)

蓑輪氏は、若い時に結核に罹り、その人生を終わろうとしていた時、特効薬、ペニシリンが開発され、お父さんがそれを苦労して手に入れてくれたお蔭で助かったそうです。そういう体験をしてから「人間は、何のために生きるのか」という問いをもつようになったそうです。(リンク先より)・第1話 生きていてよかったといえる人生 池田理(兵庫県光照寺)
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10月から除草用に飼い始めた #ヤギ 2頭を「特別要務員」に任命

10月から除草用に飼い始めた #ヤギ 2頭を「特別要務員」に任命@Yomiuri_Online
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無量寿を生きる 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

生み出されたいのちは、ちゃんと生きる方向を知っているようです。いろいろな生きもの達が、自然環境に適応しながらも、その種の生き方をきっちりと踏襲しているのは、その証ではないでしょうか。(リンク先より)・無量寿を生きる 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
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生きる姿 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

さて私達は地球の誕生以来、とてつもなく長い時間をいのちが生き死にを繰り返す中から生み出されてきたのでした。過去から未来に繋がるいのちのリレーのバトンを、今、私は受けとっていたのです。(リンク先より)・生きる姿 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
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いのちの歴史 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

いのちと言えば、みんなすっかり分かっているように思ってしまいますが、形としてははっきり見えるものではないので、時々混乱をきたします。そこで、いのちという言葉がどのように使われているのか、見ていきたいと思います。(リンク先より)・いのちの歴史 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
市区町村の宗派別寺院一覧

京都府京都市下京区の寺院

寺院情報を宗派別に掲載。住所等を参考にしてご利用ください。👍2 光恩寺 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30👍2 本願寺(西本願寺) 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区堀川通花屋町下ル👍2 明覚寺 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区新町通正面下る👍2 本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る👍2 興正寺 真宗興正派 京都府京都市下京区堀川通七条上ル👍2 佛光寺 真宗仏光寺派 京都府京都市下京区高倉通仏光寺下る新開町397帰命教会 浄土真宗遣迎院派 京都府京都市下京区西七条西野町46正覚寺 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区川端町3-33-...
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役に立つということ 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

赤ちゃんはどうでしょうか。周囲の人に、100%助けてもらってます。普通にいうところの役にはたっていません。しかし、赤ちゃんは、見る人の心をほっとさせてくれます。知りあいであろうとなかろうと、誰の心もなごませてくれるのです。(リンク先より)・役に立つということ 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
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生きる意義 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

お母さんが子どもに「勉強をしなさい」と口うるさく言います。そんなお母さんに子どもも応戦します。「ねー、お母さん。どうして勉強をするの」もちろん、お母さんは自信をもって答えました。(リンク先より)・生きる意義 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
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いきるということ 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)

日本が高度成長の時代に入ってからは、幸せの三種の神器として、テレビ、冷蔵庫、車を各家庭で持つようになりました。生きるとは、アメリカのホームドラマに出てくるような生活をすることでした。(リンク先より)・いきるということ 靍見 美智子(東京教区 西敎寺・アソカ幼稚園副園長)
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御遠忌テーマについて (春秋 賛/金沢教区 仙龍寺住職)

今まさに、南無阿弥陀仏のいのちがあなたをつつみあなたのいのちとなって、生きていますよ、という如来からの呼びかけの言葉であります。普通、私が南無阿弥陀仏のいのちを生きるという表現ですが、そうではなく、私がという意識の前に、既にして、南無阿弥陀仏のいのちが、この私となって生きているということであります。(リンク先より)・御遠忌テーマについて (春秋 賛/金沢教区 仙龍寺住職)
年表

宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌

2011(平成二三)年3月、東日本大震災発生。宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌。「被災者支援の集い」<< 戻る
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宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌真宗本廟お待ち受け大会開催

2005(平成一七)年5月、宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌真宗本廟お待ち受け大会開催。 「今、いのちがあなたを生きている」<< 戻る
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親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讃法要

1973(昭和四八)年4月、親鸞聖人御誕生八百年・立教開宗七百五十年慶讃法要。 「生まれた意義と生きる喜びを見つけよう」<< 戻る
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宗祖七百回御遠忌法要

1961(昭和三六)年4月、宗祖七百回御遠忌法要。<< 戻る
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蓮如上人四百五十回忌法要

1949(昭和二四)年4月、蓮如上人四百五十回忌法要。<< 戻る
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宗祖六百五十回大遠忌法要

1911(明治四四)年4月、宗祖六百五十回大遠忌法要。<< 戻る
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東本願寺両堂落慶

1895(明治二八)年4月、東本願寺両堂落慶。<< 戻る
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禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火に巻き込まれる

1864(元治元)年7月、禁門の変(蛤御門の戦い)による戦火のため、東本願寺両堂以下諸堂焼失。<< 戻る
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京都大火により東本願寺両堂消失

1858(安政五)6月、京都大火により東本願寺両堂消失。<< 戻る
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山内出火により東本願寺両堂消失

1823(文政六)年11月、山内出火により東本願寺両堂消失。<< 戻る
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京都大火により東本願寺両堂消失

1788(天明八)年1月、京都大火により東本願寺両堂消失。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

徳川家康、教如に京都烏丸七条の寺地を寄付(東西本願寺分立)

1602(慶長七)年2月、徳川家康、教如に京都烏丸六条の寺地を寄付(東西本願寺分立)。東西本願寺分立に至るまでの大きな分岐点としては、1591(天正十九)年、豊臣秀吉の京都市街経営計画にもとづいて本願寺は再び京都に帰ることとなり、顕如上人は七条堀川の現在地を選び、ここに寺基を移すことに決められた。阿弥陀堂・御影堂の両堂が完成した1592(文禄(ぶんろく)元)年、上人は積年の疲労で倒れられ、50歳で往生された。長男・教如(きょうにょ)上人が跡を継がれたが、三男の准如(じゅんにょ)上人にあてた譲状(ゆずりじょう)があったので、教如上人は隠退して裏方(うらかた)と呼ばれた。これには大坂本願寺の退去に...
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本願寺(東本願寺)-京都府京都市下京区

・本願寺(東本願寺) 真宗大谷派 京都府京都市下京区烏丸通七条上る真宗大谷派の本山である真宗本廟(東本願寺)は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173~1262)の門弟らが、宗祖の遺骨を大谷(京都市東山山麓)から吉水(京都市円山公園付近)の北に移し、廟堂びょうどうを建て宗祖の影像を安置したことに起源する。 慶長7年(1602)京都烏丸六条・七条間の地を徳川家康から寄進される。慶長8年(1603)上野国妙安寺みょうあんじ(現在の群馬県前橋市)から宗祖親鸞聖人の自作と伝えられる御真影を迎え入れ、同年阿弥陀堂建立。慶長9年(1604)御影堂を建立し、ここに新たな本願寺を創立した。これが当派の本山である「...