愛知県(曹洞宗)

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雲澤山康勝寺-愛知県稲沢市

・雲澤山康勝寺 曹洞宗 愛知県稲沢市奥田中切町58当寺院の本尊様は、無量寿阿弥陀如来です。脇仏である『うんたくさん地蔵』は、代々の住職に「おろそかにすると恐ろしい」と伝えられてきました。(リンク先より) << 戻る
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吉祥寺-愛知県岩倉市

・吉祥寺 曹洞宗 愛知県岩倉市下本町下市場157岩倉市にある吉祥寺は本町龍潭寺の末寺であり、創建当初は宝蔵庵と称されていました。(リンク先より) << 戻る
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花井寺-愛知県豊川市

・ 花井寺 曹洞宗 愛知県豊川市花井町13-10※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。 << 戻る
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成就院-愛知県岡崎市

・ 成就院 曹洞宗 愛知県岡崎市吹矢町96※掲載内容の再確認をしたところ表示できなかったためリンクを外しています(2019年12月)。 << 戻る
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成道寺-愛知県名古屋市南区

・成道寺 曹洞宗 愛知県名古屋市南区鳥栖2-15-22芳樹山 成道寺 ほうじゅざん じょうどうじ本尊 釈迦牟尼仏 しゃかむにぶつ開山 柏林芳樹大和尚 (リンク先より) << 戻る
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福厳寺-愛知県小牧市

・福厳寺 曹洞宗 愛知県小牧市大字大草5229福厳寺千手堂のご本尊は、千手千眼観世音菩薩さま(リンク先より) << 戻る
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慈眼寺-愛知県田原市

・慈眼寺 曹洞宗 愛知県田原市石神町西止ノ山18寺伝では、本堂は5代将軍代に作られました。藤堂家の仇討霊験記等あり、現在地に安置される。前に2ヶ所移動しており、古老によると行基の作の観音様であった。(リンク先より) << 戻る
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国分寺-愛知県豊川市

・国分寺 曹洞宗 愛知県豊川市八幡町本郷31・尾張 ⇒ 東海道 三河 国分寺 ⇒ 遠江<< 戻る
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常宿寺-愛知県一宮市

・待鳳山 常宿寺 曹洞宗 愛知県一宮市住吉1-7-12常宿寺開創木村観洲尼は、中嶋郡本神戸村字宮山田中新兵衛氏の長女として、嘉永6年(1853年)7月6日誕生。明治3年(1870年)中嶋郡宮地の(当時は曹洞宗)報恩寺四世木村恵光尼の養女となり、同13年に相続、五世となられましたが、明治34年頃報恩寺を退いて、当地通称南木(なぎ)に移られました。(リンク先より)※明治13年(1880年) << 戻る
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宝円寺-愛知県北名古屋市(観音寺-愛知県一宮市)

・宝円寺・観音寺のHP 曹洞宗 愛知県北名古屋市西之保字東屋敷20山号を大法山と号し、本尊阿弥陀如来、曹洞宗三ツ淵正眼寺ソウトウシュウミツブチショウゲンジの末寺。『寛文村々覚書』に、宝蔵庵と記されています。天保四(1833)年三月に、正眼寺三十六世賢外逸俊和尚が寺号を宝円寺に改め法地開山となりました。山号を永昌山と号し、本尊十一面観世音菩薩、曹洞宗三ツ淵正眼寺の末寺。もとは真言宗の巨刹であったが、応仁の兵燹(ヘイセン)(1467)に遭ったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る
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正壽寺-愛知県名古屋市西区

・正壽寺 曹洞宗 愛知県名古屋市西区則武新町1-8-2金剛山 正壽寺は、名古屋市西区にある曹洞宗の寺院です。文政12年に活舜全孝尼首座と養頑護拙尼首座が開基し、大光智仙尼和尚初住にて開山しました。ご本尊さまに釈迦牟尼仏をお祀りしています。(リンク先より)※文政12年 1829年 << 戻る
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渭信寺-愛知県岡崎市

・黄梅山 渭信寺 曹洞宗 愛知県岡崎市上衣文町字神五鞍30そぶみ観音 渭信寺は、享保十八年(西暦一七三三年)八月、三河路で初めてのご祈祷寺として開かれました。当寺のご本尊は運慶作と伝えられ、そもそもは加賀百万石(今の金沢市)の藩主、前田利家公の守り本尊だったと言われています。その御神体を当時前田家と縁の深かった、金沢大乗寺の三十一代目のご住職、智燈照玄和尚様が隠居される時に、この地へ移されました。それが、このお寺の始まりというわけです。(リンク先より) << 戻る
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普蔵寺-愛知県名古屋市昭和区

・普蔵寺 曹洞宗 愛知県名古屋市昭和区高峯町48普蔵寺は、浄安瑞清(慶長12年(1607年)2月27日没)が開基しました。萬松寺四世の太宗永播大和尚がこの地に隠居するということになり、貞享二年(1685年)に萬松寺十世の日辰存東大和尚を勧請して出世地とし、次いで十一世の久峯淳昌大和尚を二世に勧請して、同四年(1687年)御目見地となりました。(リンク先より) << 戻る
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瑞泉寺-愛知県常滑市

・瑞泉寺 曹洞宗 愛知県常滑市桧原字西前田81-1草創は照庵恵最首座の寂年をもって起源とされていますが、それより先の文禄年間(1592~1597)、常滑市内阿野町にあった天武天皇の勅願所として大伽藍を誇った高讃寺が兵火にかかり焼失しました。その際に恵最首座が観音像と薬師如来をもらい受けて本尊としたのが始まりといわれます。(リンク先より) << 戻る
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円道寺-愛知県名古屋市緑区

・円道寺 曹洞宗 愛知県名古屋市緑区鳴海町字根古屋18今から約400年前の天正年間(1573〜1592)に、瑞泉寺(ずいせんじ・名古屋市緑区相原町)第11世「仁甫良義(にんぽりょうぎ)和尚」によって「猿堂寺」という名で開かれました(江戸期の書物「尾張志」では円道寺となっています)。天正年間とは、織田信長が勢力を増すころから、豊臣秀吉が天下統一を成し遂げるまでの時代です。円道寺のある場所は、鳴海砦(鳴海城)の端になります。この砦は、桶狭間の合戦後、廃城となったので、その一画にお寺を造ることになったとも考えられます。(リンク先より) << 戻る
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正林寺-愛知県豊田市

・正林寺 曹洞宗 愛知県豊田市広幡町寺後8当寺は1542年(天文11年)広見城主であった中条将監秀正によって開創されました。本尊様は釈迦如来、宗派は曹洞宗で秀興山正林寺といいます。(リンク先より) << 戻る
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萬松寺-愛知県名古屋市中区

・亀嶽林 萬松寺 曹洞宗 愛知県名古屋市中区大須3-29-12天文九年(1540年)尾張一円を領していた古渡城主、織田備後守信秀公(織田信長の父)が、織田家の菩提寺として開基しました。御本尊は十一面観世音菩薩。開山は信秀公の伯父の大雲永瑞大和尚)。正式の寺号は亀嶽林(山)萬松寺。当時の場所は名古屋市中区錦と丸の内二、三丁目にまたがったところで、大殿を中心に七堂伽藍の備わった一大寺院、敷地は約5万5千坪にも及びました。(リンク先より) << 戻る
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新昌寺-愛知県新城市

・新昌寺 曹洞宗 愛知県新城市有海字稲場2新昌寺は、1539年(天文八8年)長篠山・醫王寺四世月傳太隋大和尚により創建されました。本尊は釈迦牟尼仏。創建当初は「喜船庵」と称されておりました。(リンク先より) << 戻る
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龍谷寺-愛知県日進市

・雲興山 龍谷寺 曹洞宗 愛知県日進市藤島字寺下29龍谷寺は、開基は、藤原則武と伝えられ、1520年ごろに、三州篠原永沢寺3世心月宋光大和尚が三州の城主・渡辺守綱の助力を得て、伽藍を整備し、開山されました。現在38世に至るまで約500年に渡り、お釈迦さまの教えを受け継いでいます。また當寺の36世は、曹洞宗管長として横浜市鶴見にある曹洞宗大本山総持寺の貫首を務めました。(リンク先より) << 戻る
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安泰寺-愛知県西尾市

・安泰寺 曹洞宗 愛知県西尾市西幡豆町講伏14当寺は山号を吉谷山、寺号を安泰寺と称する。欠村城主小笠原摂津守長重公により幡豆小笠原公の菩提寺として創建されました。(永正10年西暦1513年室町時代戦国期)祥山恵禎和尚により、田原の長興寺四世模外惟俊和尚を開山と仰ぎこの地に創建されました。(リンク先より) << 戻る
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曹源寺-愛知県豊明市

・豊明曹源寺公式ホームページ 曹洞宗 愛知県豊明市栄町内山45鎌倉時代(700年程前)天台宗として開闢されたと伝えられており、現在の宗派である曹洞宗に改宗され開創されたのは後柏原帝の御代永正2年(1505)実田以耘和尚の時である。連綿と歴史は重ねられ現在の住職は二十六世である。二世快翁龍喜和尚のとき、永禄3年(1560)5月19日史上に有名な“桶狭間の戦い”が起こり今川義元公は戦死、多数の死傷者が戦場一帯に放置されていたのを塔頭寺院の明窓宗印和尚に命じ、村人を指揮して戦傷者を収容し戦死者は各所に葬り代表的な場所として戦人塚を選定し引導焼香した。(リンク先より) << 戻る
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一心寺-愛知県愛西市

・一心寺 曹洞宗 愛知県愛西市赤目中屋敷154山号を国音山と称する。本尊は釈迦如来坐像で、文殊、普賢菩薩を脇侍としている。明応9年(1500)横井時永によって元赤目村に創建、萬福寺と称した。度々の水害により傾頽衰微したが、寛永17年(1640)横井時安が此の地に再建造営し寺領50石を寄進。(リンク先より) << 戻る
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地蔵寺-愛知県名古屋市天白区

・地蔵寺 曹洞宗 愛知県名古屋市天白区島田3-113地蔵寺、通称「島田地蔵寺」、名古屋市天白区島田。嘉吉2年(1442)の創建。熊坂長範の馬盗変毛の伝説から「毛替地蔵尊」を祀る曹洞宗(禅宗)の寺院。東海地方で最古の地蔵尊(掛軸)と恵心僧都 御作と伝えられる地蔵尊があり、本尊の阿弥陀如来は定朝作と伝わる。(リンク先より) << 戻る
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妙厳寺-愛知県豊川市

・豊川稲荷豊川閣妙厳寺 曹洞宗 愛知県豊川市豊川町1東海義易禅師がここ豊川の地に妙嚴寺御開創の折、御本尊に寒巌禅師伝来の千手観世音菩薩を安置し、寒巌禅師御自作の豐川吒枳尼眞天像を山門の鎮守としてお祀りになりました。嘉吉元年(1441)旧暦十一月二十二日のことです。その霊験は顕著で、今川義元公、織田信長公、豊臣秀吉公、徳川家康公等歴代著名人をはじめ広く一般信者の帰依信仰を集めて参りました。(リンク先より) << 戻る
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養円寺-愛知県蒲郡市

・養円寺 曹洞宗 愛知県蒲郡市相楽町上6天授元年(1375年)に天台宗として創建され、その後戦火で伽藍の全てを焼失したが、文禄4年(1595年)にこの地にゆかりの深い御開山鶴翁芳宿大和尚様が曹洞宗として再建された。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-愛知県田原市

・潮音寺 曹洞宗 愛知県田原市福江町原ノ島37当山の創建は1370年頃(足利義満の時代)。月江正公和尚(げっこうしょうこう)というお方が諸国行脚(しょこくあんぎゃ)の末、風光明媚(ふうこうめいび)なこの 地に至り、朝夕濤々(とうとう)と響く潮の音に心を打たれ、此処 こそ安住の地と定め庵(いろり)を結び潮音堂と名づけたところ から始まる。(リンク先より) << 戻る
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玄猷寺-愛知県東海市

・玄猷寺 曹洞宗 愛知県東海市富木島町北島28草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~1351)と伝えられる。暦応2年(1339年)に、夢窓国師が後醍醐天皇の菩提のため、知多に順錫した際に当寺を本格的な寺として建設し、勅願所としたという。(リンク先より) << 戻る
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妙喜寺-愛知県西尾市

・願王山妙喜寺 曹洞宗 愛知県西尾市江原町屋敷16人皇90代亀山天皇の御宇、文永元年(1264)江原城城主江原丹波守により開創され、開山は天桂膳薫大和尚である。本尊地蔵願王菩薩木座像(体内仏を治め厨子入)の像裏に『永正9年7月24日刀始』と記載され、当寺開創当時のものと推定されるが作者は不明である。(リンク先より) << 戻る
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禅林寺-愛知県一宮市

・禅林寺 曹洞宗 愛知県一宮市大字浅野字前林12禅林寺は、天禄元年(970年)に尾張公藤原実頼の追福のため、薬師如来を勧進し、小野院極楽寺と号したのが始まりです。その後、大永五年(1525年)に曹洞宗に改宗し、天保五年(1648年)に仙境山禅林寺と改めて現在に至ります。(リンク先より) << 戻る
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成願寺-愛知県知多郡

・成願寺 曹洞宗 愛知県知多郡南知多町大字片名字稗田9本尊は阿弥陀如来。 弘仁五年( 八一四 )に弘法大師が知多半島に 上陸した際、この片名の地に悪病が流行っていた。 大師は、「 この門をよけて通れよ風の神 とふりに姿のあらん限りは 」 の歌を詠み、厄除けの祈祷を修行し、後に修行大師として別堂に祀っている。江戸時代、元和元年( 一六一五 )笑山恵?大和尚が天台宗だと言われるこの寺を再建し 曹洞宗に改宗した。(リンク先より) << 戻る
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医王寺-愛知県田原市

・医王寺 曹洞宗 愛知県田原市小中山町南郷38薬樹山医王寺の本尊は、薬師瑠璃光如来。東方浄瑠璃光世界の教主で12の大誓願を発して、衆生の病苦を救い、無明の痼疾(持病)を治すとされるあり難い如来です。脇士として日光菩薩(左)・月光菩薩(右)を配し、これを薬師三尊といいます。僧行基(六六八〜七九四年)が刻んだものとされており、そのまた昔には小松原山東観音寺にまつられていたと言われておりまして、小中山村の帰依あつく、霊徳を感受することしきりで、天平四年(七三二年)にとくに乞うて拝領、一宇を建立して安置したのが始まりでございます。(リンク先より) << 戻る