愛媛県(曹洞宗)

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禅興寺-愛媛県今治市

・禅興寺 曹洞宗 愛媛県今治市伯方町木浦甲3645愛媛県今治市伯方町 禅興寺 Website(リンク先より) << 戻る
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慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
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法龍寺-愛媛県松山市

・法龍寺 曹洞宗 愛媛県松山市柳井町3-8-14法龍寺の開創は松山藩松平家初代藩主松平定行が掛川城に入城した1607年(慶長12年)ごろまで遡る事が出来ます。掛川領内に永興院という寺院があり、定行公はその住職 建庵順佐和尚(法龍寺開山)を城に招いたり、自ら永興院を訪ねたりして深く帰依したと「法龍寺歴代記」にあります。(リンク先より) << 戻る
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宝蔵寺-愛媛県喜多郡

・宝蔵寺 曹洞宗 愛媛県喜多郡内子町中川773-1当寺由来記によると、和銅4年(711年)天明天皇の勅願により、大和国東大寺の智乗上人によって開基されたと伝えられている。その後、兵火、失火等により長年に渡り無住職時代があった。天保13年(1842年)祥岩和尚(大洲家老二男)の時、豁源和尚を開山とし、京都東福寺の直末を許可され、臨済宗誓願寺となった。(リンク先より) << 戻る
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興雲寺-愛媛県西条市

・興雲寺 曹洞宗 愛媛県西条市小松町明穂甲674興雲寺は、古くは長勝(松)寺と号し、薬師如来の霊地として崇敬を集め、その沿革は大宝2年(702)にさかのぼるといわれています。(リンク先より) << 戻る