広島県(曹洞宗)

便り

清光寺-広島県豊田郡

・清光寺 曹洞宗 広島県豊田郡大崎上島町原田838瀬戸内海の島にある寺の住職の日々の日記です。(リンク先より) << 戻る
便り

済法寺-広島県尾道市

・済法寺 曹洞宗 広島県尾道市栗原東1-15-6宝暦三年(1753) 広島国泰寺十一世笑堂行契和尚〔宝暦十三年(1763)八月十五日遷 化〕が広島藩より扶持を得て木ノ庄町木門田に隠居し三原宗光寺の末寺の西宝寺に住していた。宝暦六年(1756)三月十七日、宗光寺十三世眞猊行達和尚〔天明二年(1782)二月六日遷化〕より寺号を譲られ末寺を離れ、同八年(1758)に下総國葛飾郡幸手領下野村瑞光寺開山 穏之道顯和尚が笑堂行契和尚が本師となるため同寺の末寺となった。栗原村樋口屋又兵衛の寄進をうけ、同九年(1759)閏七月十三日免許を得て現在地に移転し、旧本堂を建立す。笑堂行契大和尚を開山と仰ぎ、広島藩五...
便り

海蔵寺-広島県広島市西区

・海蔵寺 曹洞宗 広島県広島市西区田方1-1-13応永年間(1394~1427年)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504年)曹洞宗に改宗したと言われている。ご本尊は十一面観音で応永時代の創建当時にお迎えしたらしく、仏師集団である印派(いんぱ)に属する仏師により造像されたと思われる。(リンク先より) << 戻る
便り

世音寺-広島県尾道市

・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る
便り

普門寺-広島県広島市中区

・普門寺 曹洞宗 広島県広島市中区大手町3-5-5天平12(740)年、行基(668 〜 749)が、行脚中に藝州吉田に滞在した折、「時おり河底から一筋の神光が発し、山頂の樹上に掛かる」という村人の話を聞き、吉田山山頂の石上で七昼夜修禅念誦した。すると、紫雲と共に釣竿を持った長眉・白髪の老人が現れたので、神光の出所について尋ねると、釣竿を挙げて場所を指した。そこで、漁師に河底へ網を下ろさせると、観音様の像が上がった。行基は、その端厳な妙相に喜び、山頂に大士堂(菩薩堂)を建てさせて尊像を安置した。また、観音経2090文字の書かれた小石を函の中におさめ、蓋に「普門品題号十七字」と記して宝帳の中に納...