便り 久安寺-三重県多気郡 ・久安寺 曹洞宗 三重県多気郡明和町南藤原615三重県伊勢・志摩地方で魅惑のパワースポットを配する七福神霊場です。霊場数多しといえども唯一バイカーに特化したサービスを展開しており、バイクツーリングの方々にはもちろん、車でお越しの一般参詣の方にも大変喜んでいただいております。(リンク先より) << 戻る 2019.01.15 便り
便り 大蓮寺-三重県度会郡 ・大蓮寺 曹洞宗 三重県度会郡大紀町崎262JR紀勢線伊勢柏崎駅下車徒歩3分 高速紀勢自動車道、紀勢大内山IC下車。R42号を松阪方面へ1㎞戻り「山海の郷」信号を左折、400m(リンク先より) << 戻る 2018.10.02 便り
便り 四天王寺-三重県津市 ・四天王寺 曹洞宗 三重県津市栄町1-892用明天皇の時、聖徳太子は守屋大連の軍に三度も敗れました。そこで太子は四天王尊像を刻み、「もし我が勝利を得れば、寺塔建立するから勝利を与えてほしい」との誓願をたてました。その結果、守屋の軍をやぶることができたため、誓願どおり建立した四つの四天王寺を建立しました。その一つが、本寺であるとされています。 近年、境内から奈良時代の古瓦が出土され、建立されたのは7世紀頃という説もありますが、いずれにせよ1000年以上の歴史があり、平安時代ではこの地方で最も繁栄した寺院でした。(リンク先より)<< 戻る 2018.10.02 便り
便り 東陽寺-三重県四日市市 ・東陽寺 曹洞宗 三重県四日市市中部19-3当山は、与楽山東陽寺と号し、建福寺末で、本尊は延命地蔵菩薩である。開創次第は不詳なるも、昭和五年刊行の四日市教育委員会編纂になる「四日市史」によれば、曹洞宗総持寺末の建福寺内に十二塔司あり。その内の一つにして洞養寺、東陽院と称するも、のちには東陽寺となり、境内二百三十九坪を有りし、寺内には鎮守堂(天保時代の建築)祖師堂(大正二年の建築)大黒天堂(大黒天木像で古くより伝来する)等の堂宇が建ち並んでいたという。(リンク先より) << 戻る 2018.09.11 便り
便り 龍祥寺-三重県度会郡 ・龍祥寺 曹洞宗 三重県度会郡大紀町阿曽1585不盡山宝泉寺(寛延元年・1748年)と諏訪山龍祥寺(寛文元年・1661年)の二ヶ寺が明治27年宝泉寺を龍祥寺へ合併し、明治30年不盡山龍祥寺として成立し、明治43年現在地(もとの不盡山宝泉寺の境内地)に建立され、現在に至る。(リンク先より)※明治27年-1894年 << 戻る 1894.01.01 便り年表
便り 伊賀長徳寺-三重県伊賀市 ・伊賀長徳寺 曹洞宗 三重県伊賀市炊村1700草創は不詳ですが、お寺の古い記述によると萬治三年(1660年頃・江戸時代)からの記録があり、 この頃には長徳寺としてお寺が機能していました。 当時の監住で礼牛和尚からの記録によると、濤雲和尚(極楽寺)、良道和尚(普門寺)、 大應大和尚(法善寺)、月波和尚(地蔵寺)、良運和尚(普門寺)がしばらく監住し、 その間に、海天和尚、良珠和尚と當山(当寺)を守り、長徳寺御開山 月堂素白大和尚(本寺 広禅寺第 世住職)を向かい入れ 二代目に良運和尚が引き継いできました。(リンク先より) << 戻る 1660.01.01 便り年表
便り 東正寺-三重県南牟婁郡 ・東正寺 曹洞宗 三重県南牟婁郡紀宝町鵜殿686慶長元年(1596)前住の雲深舜白和尚が、鳥止野浦江崎の地に小院を建立されたのが始まりとされています。その後、曹洞宗の寺院として、また東正寺という寺院名として、萬治3年(1660)に、華厳山和尚が同地に伽藍を建立、新宮市の宗応寺6世布國文益大和尚を迎え開山。(リンク先より) << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 海蔵寺-三重県桑名市 ・海蔵寺 曹洞宗 三重県桑名市北寺町10当山は、天正2年(1574)ごろに創建され、ご本尊は「十一面観世音菩薩」で、宗派は曹洞宗(禅宗)に属し、本山は福井の永平寺・横浜の総持寺であります。旧伝によれば、昔は西方村にあって現在地に移りましたが、その時期は明らかではありません。(リンク先より) << 戻る 1574.01.01 便り年表
便り 金光寺-三重県鈴鹿市 ・金光寺 曹洞宗 三重県鈴鹿市東庄内町853宝暦二年(1752)に書かれた「勢州鈴鹿郡原之庄階下無量林金光寺興廃旧記」によれば、応治二年(1241)、天台僧円海による開基とされます。貞治元年(1362)には管領斯波氏頼が金光寺で僧侶となり大寺とされました。一四七〇年には、応仁の乱を避け後花園院の皇女も金光寺に入寺したと伝えられます。(リンク先より) << 戻る 1241.01.01 便り年表