山口県下松市(浄土真宗本願寺派)

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専明寺-山口県下松市

・専明寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市藤光町2-14-5当山は白坂山の戦いで亡くなった城主の菩提を弔うために建てられた寺院で、当時は広大な寺領を有りしていた真言宗の寺院で山号は天王山と称す。蓮如上人の時代より、西国に浄土真宗の教線が広がりを見せる中で、住職の石城家が浄土真宗に帰依し真言宗より転派した。(リンク先より) << 戻る
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浄蓮寺-山口県下松市

・浄蓮寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市美里町2-12-1寺伝によると開基は、大内弘世四代の孫、勝屋左門重治で、父は勝屋右馬允興久と云い陶氏方の武将であった。 興久は徳山・須々万の殿浴山城主であったが、弘治三年(1557)毛利元就との戦いに敗れ、城も落ちて勝屋一族は滅亡する。その際、重治は幼少であったので一命を助けられ、家臣の沼新左衛門・安達藤九郎に伴われて末武荘まで落ちのび、民間に成長した。しかし重治は頼る者もないので、父興久や討たれた家臣の菩提を弔うため発心して出家となり、名を蓮甫と改めた。その後、蓮甫は大島村(徳山・大島)の教西(福間源六広明)と名のる出家と語らって、共に上京し、浄土真宗...
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誓教寺-山口県下松市

・誓教寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市切山3471562年の創立以来、ずっと西本願寺の浄土真宗で法灯を継いできました。江戸時代以前は地方寺院の設立規定はそれほど厳しくありませんでした。信者と僧侶で何とか維持できれば、掘立小屋のような寺でも勝手に運営すればよし、という程度のものだったようです。(リンク先より) << 戻る