山口県

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真照院-山口県山口市

・真照院 真言宗御室派 山口県山口市秋穂二島5106当山は、寛平8年(896年)近江国石山寺観賢僧正の開創と伝えられています。朝日山正観寺千光院と号し、七堂伽藍整った真言秘密伝法灌頂の道場でした。ところが天正14年(1586年)火災に遭い堂宇消失し、天正16年(1588年)真善坊に合併されました。(リンク先より)・真照院
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地蔵院-山口県山口市

・地蔵院 高野山真言宗 山口県山口市名田島3483天平19年、(747)地蔵院は行基菩薩により創建されました。この地には最初、毎夜霊光が現れるということで、臨済宗の「長安寺」という名でお寺が創建されましたが、その後衰退し明治初年に防府の国分寺の塔中であった「地蔵院」を今の地「岩屋」に移し「岩屋山」と山号を改め真言宗の「岩屋山 地蔵院」となりました。ご本尊様は延命地蔵(リンク先より) << 戻る
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国分寺-山口県防府市

・国分寺 高野山真言宗 山口県防府市国分寺町2-67・安芸 ⇒ 山陽道 周防 国分寺 ⇒ 長門国分寺は、天平13年(741)聖武天皇の勅願(詔)によって諸国に68ケ寺建立された官立の寺院です。その詔の中に『国泰らかに人楽しみ、災除き福至る』と国民の幸せを祈念され、当時流行っていた、疫病・戦乱から国民を守り、五穀の豊作の世となるようにと諸国に建立されました。創建当初の国分寺は、寺域2町四方、その中に、南大門・中門・回廊・金堂・講堂・七重塔などの七堂伽藍がありました。また、本尊は、丈六の釈迦如来でした。国分寺の正式名称は、金光明四天王護国の寺といいます。(リンク先より)<< 戻る
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修禅寺-山口県下関市

天平13年(西暦741年)には東大寺建立の四聖の一人である「行基菩薩」が、当山で修行したといわれ、奥の院(聖観音堂)には行基菩薩の御作と伝えられる「聖観世音菩薩」が安置されています。(リンク先より)・修禅寺<< 戻る
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浄福寺-山口県山口市

・浄福寺 高野山真言宗 山口県山口市嘉川265青龍山浄福寺といいます。大宝元年(701)年に役小角により開山された寺で、大内家の祈願寺として栄えた近郷最古の高野山真言宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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龍蔵寺-山口県山口市

・龍蔵寺 真言宗御室派 山口県山口市吉敷1750文武二年(六九八)神変大菩薩と崇められた僧役小角が、豊後国彦山から掛錫し、奥之院の岩窟に熊野権現を観請し、秘法の護摩供を厳修され「龍の蔵」と名付けられたことに始まる。次いで天平十三年(七四一)行基菩薩がこの霊域に溜まり、自ら千手観音を彫り、寺を建て奉安し「龍蔵寺」と名付けられました。(リンク先より)
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廣福寺-山口県宇部市

・廣福寺 真言宗御室派 山口県宇部市中山80明王山廣福寺と称す。この寺の開基は役の行者(えんのぎょうじゃ)と伝えられる。前諸国遍歴の役の行者は中山の里に紫雲棚引くを見て、この地は仏の住する地なり里人に仏の教えを広めんとして延命地蔵菩薩像を彫刻し小さな庵を建ててこれを祀り里人に仏の教えを説きかたわら十王倶生神 五道の冥官 三途の河の老婆 我造罪刹鬼悪是等を彫刻し地蔵菩薩像と共に安置した(695頃)その後四十五代聖武天皇(724 即位)はこの地蔵尊の霊験殊勝なるを知りて勅願寺とされて天平13年(741)堂宇を建立し当時聖武帝の教僧行基(ぎょうき)に落慶法要の導師を命ぜられた。勅命をうけた行基は堂の...
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洞玄寺-山口県山陽小野田市

・洞玄寺 曹洞宗 山口県山陽小野田市郡1896江戸時代の長州藩の公的文書「寺社由来」によると、西暦635年、物部守屋の三男で厚東氏の祖となった辰孤連(たつこのむらじ)が長門守に任ぜられ、この地に推古天皇の持尊仏(一光三尊阿弥陀仏)をまつり新善光寺を創建したと伝えられている。裏山には、4世紀後半の前方後円墳で長門国の初代長官の墓と言われている有名な長光寺山古墳が眠っている。(リンク先より)
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願成寺-山口県美祢市

・願成寺 曹洞宗 山口県美祢市美東町大田5684615年。百済の国の聖明王の第三皇子であった淋聖太子が推古天皇の御世に、聖徳太子に教えを請おうと渡来された折りに、航海の安全守護の為に供奉されたとの伝えがあります。淋聖太子は、西国第一の守護大名であった大内氏の祖先だと言われている方で、佐波郡多々良浜(現在の防府市)に上陸され、同郡高倉の地に瀬戸内の守護神として祀られ、沖を通る船はよくよく礼を尽くすように伝えられました。(リンク先より)