便り 聖林寺-奈良県桜井市 ・聖林寺 単立 奈良県桜井市大字下区霊園山(りょうおんざん)・聖林寺は、大和・桜井の街外れ、多武峯街道がようやく山ふところに入ろうとするとき右手に見える談山山系の前山・安部嶋山の中腹にあって、静かな落ち着いた、たたずまいを見せる山寺である。すなわち、この寺は大和盆地の外周の東南端に位置する。(リンク先より) << 戻る 2018.09.26 便り
便り 法華寺-奈良県奈良市 ・法華寺 単立 奈良県奈良市法華寺町882(旧アドレス:)正式には法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)といい、総国分寺である東大寺に対し、総国分尼寺(にじ)として、女人成仏の根本道場としての役割を担いました。(リンク先より) << 戻る 2018.09.26 便り
便り 吉祥草寺-奈良県御所市 ・吉祥草寺 単立 奈良県御所市茅原279吉祥草寺は、山号が茅原山、金剛寿院吉祥草寺と称する古刹です。この地は修験道の開祖役行者神変大菩薩の出生地とされ、当時は役行者(小角)の創建と云え、境内の一角には産湯の井戸がのこされています。西に聳える葛城山系は、若き日の小角の修行の場であり、その主峰葛城山(現在の金剛山)は、小角が鬼神を使って金峯山(大峯山)との間に石橋を架けさせようとした所です。後に葛城山系の峰々には、法華経が一品(いちぼん)ずつ埋納され(葛城廿八宿)、葛城修験の舞台となったのです。(リンク先より) << 戻る 2018.09.26 便り
便り 正暦寺-奈良県奈良市 ・正暦寺 菩提山真言宗 奈良県奈良市菩提山町157992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。(リンク先より) << 戻る 0992.01.01 便り年表
便り 松尾寺-奈良県大和郡山市 ・松尾寺 単立(松尾山真言宗) 奈良県大和郡山市山田町683松尾寺は、養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。(リンク先より) << 戻る 0718.01.01 便り年表
便り 壷阪寺-奈良県高市郡 ・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る 0703.01.01 便り年表
便り 法輪寺-奈良県生駒郡 ・法輪寺 単立 奈良県生駒郡斑鳩町大字三井1571当寺の創建には二説が伝えられています。ひとつは、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らと共に太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』) もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)です。昭和に行なわれた石田茂作博士の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であること、出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺のそれぞれと類似... 0622.01.01 便り年表