奈良県生駒郡

仏教を学ぶ

吉田寺-奈良県生駒郡

・吉田寺 浄土宗 奈良県生駒郡斑鳩町大字小吉田1-1-23吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。(リンク先より) << 戻る
仏教を学ぶ

千光寺-奈良県生駒郡

・千光寺 真言宗醍醐派 奈良県生駒郡平群町大字鳴川188修験道の祖である役小角(えんのおづぬ)は、舒明天皇6年(634年)元日、出雲の国の高賀茂問賀介麿(まかげまろ)と賀茂役氏の娘の白専女(しらとうめ)の子として、大和国葛木上郡茅原の郷に生まれました。幼少期の時より山に入り、修行を積み、修験道を開かれました。後に成人し、金剛葛城山において仏道修業に励まれました。西暦660年頃、生駒明神に参拝の折にご神託により鳴川の里に入り、小さな草堂を建て、将軍木(ウルシの木)で千手観音を刻んで安置しました。その後、天武天皇が国家鎮護を願って伽藍を建立し、「千光寺」と名付け、寺領500石を下し賜われました。(...
仏教を学ぶ

法輪寺-奈良県生駒郡

・法輪寺 単立 奈良県生駒郡斑鳩町大字三井1571当寺の創建には二説が伝えられています。ひとつは、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らと共に太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』) もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)です。昭和に行なわれた石田茂作博士の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であること、出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺のそれぞれと類似...
仏教を学ぶ

法隆寺-奈良県生駒郡

・法隆寺 聖徳宗 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1聖徳太子が斑鳩宮を造営されたのは推古天皇9年(601)。ほどなく太子は、ここに亡き父用明天皇のため寺の造立を発願され、推古15年(607)ごろに完成したのが法隆寺です。 太子は中国の優れた政治や文化、とりわけ仏教を積極的に取り入れ、四天王寺、中宮寺、広隆寺などの寺々を建立し、冠位十二階や憲法十七条の制定、遣隋使の派遣などによって国の発展を計られましたが、惜しくも推古30年(622)49歳のとき、人々の悲嘆の内に薨去されました。(リンク先より)<< 戻る
仏教を学ぶ

成福院-奈良県生駒郡

・成福院 信貴山真言宗 奈良県生駒郡平群町信貴山2280信貴山大本山成福院は信貴山総本山朝護孫子寺の塔頭寺院です。信貴山は587年(用明2年)聖徳太子により開山され、塔頭たる成福院の建立時期は不明なものの、後嵯峨天皇とのご縁から1200年代以降と思われ、1577年(天正5年)松永久秀の乱により焼失後、1790年(寛政2年)に再興され現在に至っています。(リンク先より) << 戻る