群馬県(天台宗)

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水澤寺-群馬県渋川市

・水澤寺 天台宗 群馬県渋川市伊香保町水沢214水澤観世音はおよそ1300年前、推古天皇・持統天皇の勅願により、高麗の高僧 恵灌僧正によって開基されました。また、五徳山 水澤寺の名称は、推古天皇の御宸筆(ごしんぴつ)の額名によるものです。(リンク先より) << 戻る
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善応寺-群馬県伊勢崎市

・善応寺 天台宗 群馬県伊勢崎市曲輪町10-11善応寺は江戸時代の初期に創建されました。当時、このあたりの土地には宗存阿闍梨という高僧がおり、毎朝庭にある梅の古木の前で香を焚き、太陽を奉拝していました。そうして何年も経ったある日、宗存が床に就くと、梅の木の前に観音菩薩がお立ちになるという夢を見ました。目覚めた彼が木のもとへ近づいてみると、なんとそこには観音像が出現していたのです。(リンク先より) << 戻る
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法輪寺-群馬県高崎市

・法輪寺 天台宗 群馬県高崎市羅漢町72法輪寺五百羅漢が(高崎市重要文化財に指定)安置されている。五百羅漢は江戸時代前期頃に造られた。羅漢像は顔の表情・持ち物・印の形等が様々に違う。瞑想している表情もあれば、笑っている顔もある。(リンク先より) << 戻る
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柳沢寺-群馬県北群馬郡

・柳沢寺 天台宗 群馬県北群馬郡榛東村大字山子田2535天台宗宗祖傳教大師の東国巡行のみぎり、この地に住む群馬の太夫満行と言うものが大師の徳を慕って榛名山中の船尾の峰に"妙見院息災寺"という巨刹を創建し、大師を請じて開山しました。本尊に千手観音をお祀りし、子授け観音として有名になりました。(リンク先より) << 戻る
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薬王院東光寺-群馬県伊勢崎市

・薬王院東光寺 天台宗 群馬県伊勢崎市安堀町708東光寺の過去帖によると享保二年(1717年)「第五世住職大阿闍梨堅者法印智官」と記されているが、それ以前の古いものについては「伊勢崎風土記」で「天正三乙亥(1575年)寺再建祐尊、原理山薬王院東光寺」と記載されている。文化三年(1806年)権大僧都法印春定の後は伝承される者なく不明である。(リンク先より) << 戻る
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應昌寺-群馬県前橋市

・應昌寺 天台宗 群馬県前橋市河原浜町1020應昌寺(おうしょうじ)は西暦975年、日本の元号では天延3年に天台宗の僧、慈恵大師良源によって開山された。元は現在より西方の河川付近に建立された寺院だが、度重なる河川の氾濫により現在の位置に建て直された。(リンク先より) << 戻る
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西光寺-群馬県前橋市

・西光寺 天台宗 群馬県前橋市上佐鳥町289-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る
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永福寺-群馬県前橋市

・永福寺 天台宗 群馬県前橋市朝倉町46-1平安時代初めの弘仁年間(810-824)に法相宗の徳一和尚の開基。その後南北朝時代の応安3年(1370)に天台宗となる。江戸時代の天保15年(1844)4月7日夜八つ時に客殿常香盤より出火。客殿、庫裏、十王堂、表門、土蔵、長屋など全山を焼失したが、本尊と朱印状は焼失を免れて現存している。(リンク先より) << 戻る
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善雄寺-群馬県みどり市

・善雄寺 天台宗 群馬県みどり市東町大字荻原192善雄寺は、傳教大師の高弟暁海和尚により大同元年(806年)の草創とされる。暦応元年(1338年)弘秀上人が中興。江戸の初期天海僧正(慈眼大師)が元和三年四月、久能山より家康公の御骨を捧げて日光へ登嶽の折に立ち寄られた御縁により、幕府から御朱印十一石二斗を賜った。御本尊は阿弥陀如来立像。(リンク先より) << 戻る
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宝禅寺-群馬県前橋市

・宝禅寺 天台宗 群馬県前橋市上泉町1277-1当寺は、神護慶雲元年(767年)下野国の生まれで日光を開いた勝道上人が開基したと伝えられています。この年号をもちいて寺の名称を神護山無量寿院寶禅寺と称したとされている。 明治時代の神仏分離までは、上泉村鎮守七社大神(現:諏訪神社)の別当寺院であったことから、別名「仏神様」と呼ばれ親しまれている。(リンク先より) << 戻る