大正時代

年表

年表

寺院センターが情報収集した寺院など仏教年表をまとめています。宗派、出来事と時代のタグで分け、投稿日を出来事に合わせていますが、月日が分からない多くの場合で「1月1日」に設定しています。飛鳥時代, 奈良時代, 平安時代, 鎌倉時代, 室町時代, 安土桃山時代, 江戸時代, 明治時代, 大正時代, 昭和時代, 平成時代, 令和時代, 曹洞宗の出来事, 浄土宗の出来事, 浄土真宗の出来事, 天台宗の出来事, 真言宗の出来事, 臨済宗の出来事, 日蓮系宗派の出来事, 諸宗派の出来事, 世界の出来事(仏教),世界の出来事(仏教以外),仏教(インド)の出来事,仏教(中国)の出来事,日本の出来事(仏教以外)...
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不動院-福岡県北九州市門司区

・不動院 真言宗醍醐派 福岡県北九州市門司区吉志171-3当山は、真言宗醍醐派(京都伏見にある醍醐天皇勅願寺・豊臣秀吉が晩年花見をされたことで有名な醍醐寺)の末寺にて、九州三十六不動霊場の第三十三番札所で、古くは現在の大分県国東半島にあったお寺であります。そのお寺を当山開山心玉阿闍梨が、大正十五年にこの地に移転再興し、現在に至っています。開山心玉阿闍梨は、身辺にあまりにも不幸が続くことに憂え出家、厳しい修行に耐え心願成就なされました。(リンク先より) << 戻る
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本誓寺-北海道旭川市

・本誓寺 浄土真宗本願寺派 北海道旭川市東八条3-2-32本誓寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。本山は京都の西本願寺です。 先々代が富山県から20才代に現在地に移住しました。 開基は大正15年、昭和の年号と同じになります。(リンク先より)※大正15年 1926年 << 戻る
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如来寺-兵庫県芦屋市

・如来寺 真宗仏光寺派 兵庫県芦屋市川西町8-6如来寺は大正15年の建立で、当初の名前は芦屋精舎でした。開基は如来卍志希(にょらいまんじしき)と言い、境内のお墓にその事跡が刻まれています。(リンク先より) << 戻る
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高野寺-熊本県人吉市

・高野寺 真言宗大覚寺派 熊本県人吉市下青井町47当山は、大正十五年に初代良戒大和尚により開山せられました。その当時から、“お大師さん”や“こうやさん”と呼ばれ、皆様に親しまれています。山門は入りまして左手すぐのところに「新四国八十八カ所霊場」の八十八体の佛様が鎮座されておられます。(リンク先より) << 戻る
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太光寺-広島県広島市西区

・太光寺 単立(天台宗) 広島県広島市西区田方1丁目551-1昭和元年(1926年) 旧広島市の猿楽町(現在の広島市中区大手町の原爆ドーム付近)に、「原光明」師が「天台宗三井寺派」の「石光寺」を設立し、当山(石光寺)が開山されることになった。(リンク先より) << 戻る
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永泉寺-北海道石狩市

・永泉寺 真宗大谷派 北海道石狩市花川南三条5-20東本願寺北海道開教百年史によると、大正14年12月稲月正雪氏により、北海道幌延町問寒別に大誓寺説教所として開かれたところから始まります。その後、永泉寺の開基住職である光川永昭が更送し、昭和23年7月14日寺号公称いたしました。(リンク先より) << 戻る
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金剛福寺-兵庫県神戸市灘区

・金剛福寺 高野山真言宗 兵庫県神戸市灘区原田通3-5-18古義真言宗の碩学髙見寛應僧正の高弟・髙見寛恂上人は大正14年葺合区若菜通に「葺合高野山」を創建。本堂・庫裏も竣工し、近代産業都市神戸の発展と共に多くの檀信徒が加入し寺門の隆盛をみましたが、昭和20年6月神戸大空襲の戦災に遭い堂宇の消失等甚大な被害を蒙りました。(リンク先より) << 戻る
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普通選挙法が成立

1925年、満25歳以上の男子の全てに衆議院議員の選挙権が与えられた。女子にはまだ選挙権がなかった。<< 戻る
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治安維持法が定められる

1925年、治安維持法が定められる。社会主義の運動や労働運動の取りしまり。その後、罰則が強化され、民主主義・自由主義・平和主義までを取りしまりの対象とし、日本のファシズム体制をささえた。<< 戻る
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ラジオ放送が始まる

1925年、ラジオ放送が始まる。<< 戻る
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唯称寺-東京都品川区

・唯称寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 東京都品川区小山4-9-151924(大正13)年 現在地に、新作行正が布教所 「小山教会」 を設立1935(昭和10)年 本堂・庫裡建立1945(昭和20)年4月15日 空襲のため本堂・庫裡焼失1970(昭和45)年 本堂再建(リンク先より)<< 戻る
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明見寺-長崎県佐世保市

・明見寺 真言宗醍醐派 長崎県佐世保市横尾町1801明見寺は大正13年(西暦1924年)、開山大僧都 田中盛忍阿闍梨によって建立されました。盛忍阿闍梨についての詳しい記録は既に失われているため、彼がどのような人物であったのかは詳しく伝えられておりませんがどうやらはじめから僧侶ではなかったようで、もともとは現在の明見寺檀家総代の祖父の弟だったようです。盛忍阿闍梨が僧侶になったいきさつは不明ですが、どうやら彼は同じ佐世保にある『東嶽山 西光寺』という寺院で修行して僧侶になったそうです。僧侶となった彼ははじめ、現在の佐世保市折橋町辺りに『折橋山 明見院』という小さな庵を設け、そこで祈願・祈祷などを行...
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大宥寺-北海道札幌市中央区

・大宥寺 曹洞宗 北海道札幌市中央区南11条西13-1-11忍法山大宥寺は大正12年に曹洞宗山鼻説教所として設立され、以来山鼻地区の発展と共に、檀信徒の皆様の篤い御法愛に支えられ、禅風の宣揚に勤めて参りました。(リンク先より)※大正12年 1923年 << 戻る
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関東大震災

1923年、関東大震災が発生する。<< 戻る
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孝勝寺-北海道石狩郡

・孝勝寺 法華宗(真門流) 北海道石狩郡当別町太美町16法栄山 孝勝寺は大正11年(西暦1922年)に夕張市で開山いたしました。夕張市は明治以降、 多くの炭鉱が拓かれ 国内有数の炭鉱町として栄えた町です。その町で孝勝寺は炭鉱業に従事する方々の信仰の拠り所として永きに渡り活動してまいりました。(リンク先より) << 戻る
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安泰寺-兵庫県美方郡

・安泰寺 曹洞宗 兵庫県美方郡新温泉町久斗山字中ノ平106安泰寺は曹洞宗に属しております。 大正10年丘宗潭により宗学研究の学堂として、 京都洛北の玄琢に開創されました。 多くの学匠を輩出し、近代の伝統宗学はこの学堂によって継承発展してきました。第二次世界大戦中には一時期荒廃していましたが、 昭和24年澤木興道と内山興正の師弟が、 只管打坐を純粋に行持する寺として再興されました。(リンク先より)※大正10年 1921年 << 戻る
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四か国協定(日・英・米・仏)を結び、日英同盟を破棄する

1921年、四か国協定(日・英・米・仏)を結び、日英同盟を破棄する。<< 戻る
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国際連盟に加入し、常任理事国になる

1920年、国際連盟に加入し、常任理事国になる。<< 戻る
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戦後の経済恐慌

1920年、戦後の経済恐慌が起こる。<< 戻る
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北大寺-北海道札幌市北区

・北大寺 曹洞宗 北海道札幌市北区北十二条西3北大寺は中央寺住職三沢松偃師が、大正7年12月19日、北区北8条西1丁目に中央寺法務所を開設したのをその淵源とする。開設時の主任に任命された開創二世道円和尚は、19年間、熱意あふれる布教活動により多数の檀信徒を擁するに至った。(リンク先より)※大正7年 1918年 << 戻る
人物

大内青巒(おおうちせいらん)

明治期から大正期における仏教学者・思想家。父は仙台藩士大内権右衛門。名は退。字は巻之。別号を藹々居士。陸奥国仙台出身。はじめ宮城郡東宮浜(現在の七ヶ浜町)、後に常陸国水戸の寺院で出家して泥牛と号し、その後江戸へ出て仏教の研究を志した。明治維新後は、大洲鉄然の推挙により浄土真宗本願寺派本山本願寺(西本願寺)第21世宗主大谷光尊の侍講をつとめた。1874年(明治7年)雑誌『報四叢談』、1875年(明治8年)新聞『明教新報』を発刊し、仏教における啓蒙思想家として活動した。1889年(明治22年)島地黙雷・井上円了らと共に天皇崇拝を中心とする仏教政治運動団体「尊皇奉仏大同団」を結成した。曹洞宗の『修証...
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高野寺-福岡県朝倉市

・高野寺 高野山真言宗 福岡県朝倉市菩提寺588御本尊、弘法大師は紀州高野山より大正七年にお受けした由緒ある仏様です。以来宗派にこだわらない開かれたお寺として今日まで続いております。(リンク先より) << 戻る
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宝光寺-北海道斜里郡

・宝光寺 真言宗智山派 北海道斜里郡斜里町本町15-7大正7年、 初代住職である中川隆潮師が5月9日98坪の土地に教会所として本堂と庫裡を 建立する。昭和6年、 宝光寺創立の許可を北海道庁長官より得る。昭和7年、 創立完了。寺号公称して正式に「宝光寺」となる。(リンク先より) << 戻る
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米騒動

1918年、富山に米騒動が起こる。<< 戻る
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順信寺-北海道枝幸郡

・順信寺 真宗大谷派 北海道枝幸郡枝幸町歌登西町120大正6(1917)年    大谷派布教所設置大正15(1926)年   「順信寺」寺号公称(リンク先より) << 戻る
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慈光寺-北海道札幌市西区

・慈光寺 真宗木辺派 北海道札幌市西区八軒七条東3-4-1大正4(1915)年、慈光寺の前身である真宗木辺派錦織寺札幌説教所として開教し、その後、寺号公称(寺院として独立すること)によって慈光寺となりました。(リンク先より) << 戻る
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第一次世界大戦

1914年、第一次世界大戦が起こり、日本も参戦する。このころ世界大戦の影響で好景気になる。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

伊藤左千夫(いとうさちお)

伊藤左千夫は1864年に千葉県で生まれ、1913年7月30日に脳溢血が原因で死去しました。明治時代から大正時代にかけて活躍した歌人・小説家です。歌人としては正岡子規の実質的な後継者として歌集『左千夫歌集』など優れた短歌・歌論を発表し『アララギ』を主宰。小説家としては歌集『左千夫歌集』などを執筆しました。1902年9月19日、師である正岡子規が死去し、長男・次男と相次ぐ別れと重なったことも契機となり「新仏教」の同人となり、特に新鸞聖人の教えに傾倒しました。さびしさの極みに堪へて天地(あめつち)に寄する命をつくづくと思ふ『左千夫全集』より<< 戻る