便り 千光寺-広島県尾道市 ・千光寺 単立(真言宗) 広島県尾道市東土堂町15-1開基は平安時代の始め大同元年(806年)で、後に源氏の名将多田満仲の中興と伝えている。境内中央の巨岩「玉の岩」は昔この岩の頂に如意宝珠があって、夜毎に海上を照らしていたのでこの地を「玉の浦」と呼ぶとか。玉の岩の右には朱塗りの本堂、左には龍宮造りの鐘楼を配して、尾道の風光のかなめをなしている。(リンク先より) << 戻る 0806.01.01 便り年表
便り 往生院六萬寺-大阪府東大阪市 ・往生院六萬寺 単立 大阪府東大阪市六万寺町1-22-36天平17年(745年)、行基菩薩49院建立の折に、聖武天皇の勅願により、桜井寺荒廃の跡へ、六萬寺を再建し、薬師如来を本尊としていたことが伝わっています。それ以前も文武天皇の時、役小角(修験道の開祖)が来山し、背後の岩瀧山にこもり、修験錬行の地としていたことも伝えられています。(リンク先より) << 戻る 0745.01.01 便り年表
便り 円福寺-千葉県銚子市 ・飯沼山 圓福寺(円福寺) 単立 千葉県銚子市馬場町293-1天平年間(729~749)になり、行基菩薩がこの奇瑞を耳にして、厨子を作って奉納した。しかし尊像の方が少し大きくて入らなかったので、行基が祈願すると、尊像は首をたれて、みずから厨子に入ったという。後に、弘法大師が東国を巡錫した弘仁年間(810~824)、この尊像を拝したが、海中出現のままの姿だったので、台座や光背を作り、開眼供養をおこなった。そして、下総国の守護千葉氏の系統を引く海上長者が、尊像と大師に帰依して、壮大な伽藍を天生六年(1578)建立したとされる。(リンク先より) << 戻る 0729.01.01 便り年表
便り 法承寺-福井県福井市 ・法承寺 単立 福井県福井市飯塚町23-2飯塚町観音堂に安置し奉る聖観音菩薩御尊像(秘仏)は、人皇第四十四代元正天皇の御代養老二年(718年)に奈良の菅原寺住職の行基が彫刻した御尊像であります。養老二年の春、行基菩薩が当地に巡幸の折、一夜の宿を飯塚の氏神様にお求めになり、その夜に瑞夢に紫雲たなびき光明が輝きましたので、これは不思議の霊地として一刀刻みにより御丈五尺三寸の聖観音菩薩の御尊像を彫刻し、国家安穏、五穀成就、万民快楽を祈願されたのであります。(リンク先より) << 戻る 0718.01.01 便り年表
便り 松尾寺-奈良県大和郡山市 ・松尾寺 単立(松尾山真言宗) 奈良県大和郡山市山田町683松尾寺は、養老2年(718)、天武天皇の皇子舎人親王が、勅命による日本書紀編纂の折、42歳の厄年であったため、日本書紀の無事完成と厄除けの願をかけて建立された日本最古の厄除霊場です。(リンク先より) << 戻る 0718.01.01 便り年表
便り 願慶寺-石川県白山市 ・願慶寺 単立(東本願寺浄土真宗) 石川県白山市吉野タ25-1伝承によれば当寺の草創は極めて古く、養老年間、僧泰澄が白山を開く時に、当寺に立ち寄って一夜の宿としたという。また、古老の語る民話では、『昔吉野の地には大きな沼があり、そこに一匹の龍が住んで、絶えず雨を降らせ、村民は田畑を作ることができずに困っていたという。ある時、たまたまこの地を訪れた高僧(泰澄か?)が泊めてもらった家でこの話を聞き、一晩の恩義に報いるため、三日三晩の祈祷の末、この龍を退治し、白蛇に姿を変えて、小さな祠の中に閉じ込めたという。(リンク先より)※養老年間 717年から724年 << 戻る 0717.01.01 便り年表
便り 壷阪寺-奈良県高市郡 ・壷阪寺 真言宗 奈良県高市郡高取町壷阪3・第五番 ⇒ 西国三十三所 第六番 壺阪山 南法華寺 (壺阪寺) ⇒ 第七番創建は寺蔵の『南法花寺古老伝』によると、大宝3年(703)年に元興寺の僧、弁基上人がこの山で修行していたところ、愛用の水晶の壺を坂の上の庵に納め、感得した観音像を刻んでまつったのが始まりと言われる(リンク先より) << 戻る 0703.01.01 便り年表
便り 明星輪寺-岐阜県大垣市 ・明星輪寺 真言宗 岐阜県大垣市赤坂町4610持統天皇の勅願により鎮護国家の道場として朱鳥元年(686年)役の小角の創立にかかり七堂伽藍をはじめ一山五坊を創建し本尊虚空蔵菩薩を安置す。その後衰退していたが空海(弘法大師)来山し諸堂を再建修復す。このとき桓武天皇は勅願を下し封戸三百石を寄進された。(リンク先より) << 戻る 0686.01.01 便り年表
便り 善光寺-長野県長野市 ・善光寺 単立 長野県長野市元善町491『善光寺縁起』によれば、御本尊の一光三尊阿弥陀如来様は、インドから朝鮮半島百済国へとお渡りになり、欽明天皇十三年(552年)、仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれております。 この仏像は、仏教の受容を巡っての崇仏・廃仏論争の最中、廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられました。後に、信濃国司の従者として都に上った本田善光が信濃の国へとお連れし、はじめは今の長野県飯田市でお祀りされ、後に皇極天皇元年(642年)現在の地に遷座いたしました。皇極天皇三年(644年)には勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と... 0642.01.01 便り年表
便り 法輪寺-奈良県生駒郡 ・法輪寺 単立 奈良県生駒郡斑鳩町大字三井1571当寺の創建には二説が伝えられています。ひとつは、推古30年(622)聖徳太子がご病気になられた折、太子の御子山背大兄王がその子由義王らと共に太子のご病気平癒を願って建立されたという説(巻子本『聖徳太子伝私記』引用の『寺家縁起』) もうひとつは、天智9年(670)の斑鳩寺焼失後、百済開法師・圓明法師、下氷新物三人が合力して造寺したとする説(『聖徳太子伝暦』『上宮聖徳太子伝補闕記』)です。昭和に行なわれた石田茂作博士の発掘調査では、伽藍配置が法隆寺式であること、規模は法隆寺西伽藍の3分の2であること、出土する鐙瓦・宇瓦の文様が法隆寺のそれぞれと類似... 0622.01.01 便り年表
便り 統国寺-大阪府大阪市天王寺区 ・統国寺 単立 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-31聖徳太子の創建になる名刹で、百済の僧観勒(かんろく・・・・602年に来日し、暦法・天文学・地理学・方術などを伝来し、飛鳥寺にも住し僧正に任ぜられている)が開山住持として招かれ、推古天皇の帰依により厚遇を賜った。寺伝(『邦福寺梵鐘銘文』)には帝が専修念仏して、西山に阿弥陀、観音、勢至の尊姿を感得したのにちなんで、別念仏寺とも称されたとある。(リンク先より) << 戻る 0602.01.01 便り年表