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青龍寺-青森県青森市

・青龍寺 単立 青森県青森市桑原字山崎45-2開山織田隆弘師は仏法興隆への篤い思いと「伽藍が無言の説法をする」との揺るぎない信念から、自然豊かな桑原の地に一大霊場を開くことを決意されました。 昭和57年、高野山東京別院旧書院を譲り受け移築復元し、昭和59年には隆弘師の大願が結実し、稲山中腹に日本最大の青銅座像仏、昭和大仏造立が成り、平成4年には金堂建立と大事業を続けざまに成満されました。(リンク先より)<< 戻る
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法得寺-広島県広島市西区

・法得寺 真言宗 広島県広島市西区庚午南1-2-13当寺は正式名を 「光恵山法得寺」 という真言宗のお寺です。本尊を 「叶不動尊」 としてお祀りし、昭和56年(1981)に広島市西区に開創されました。多くの方々の尽力により、平成元年(1989)には現在の伽藍が建設されました。『庚午のお不動さん』として地域の方々に厚く信仰されています。(リンク先より) << 戻る
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福祉寺-群馬県伊勢崎市

・福祉寺 単立 群馬県伊勢崎市境東新井224平等山福祉寺は昭和49年に松原日治(まつばらにちじ)初代住職が建立した無宗派の寺です。福祉寺はとても小さな寺ですが皆様に喜ばれるよう活動しております。(リンク先より) << 戻る
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龍玄院-広島県東広島市

・龍玄院 真言宗 広島県東広島市西条町上三永643-3「ご先祖様の供養を大切にし、正しい信仰の道を真に理解し、信心を深めていく」という理念の下昭和46年6月、石鎚蔵王大権現を勧請し、呉市平原町に『龍玄院』として創設しました。(リンク先より) << 戻る
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金毘羅院-鳥取県倉吉市

・金毘羅院 単立(真言宗) 鳥取県倉吉市上井一番地昭和37年、それまでは岡山県新見市を中心に活動をしていた先代の住職が、新しい布教の場を求めて托鉢修行を発願いたしました。 その時に倉吉の地で知り合った方から現在の金毘羅院の基礎となる土地を譲り受け小さなお堂を建立しました。これが当山の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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勝光寺-大阪府河内長野市

・勝光寺 真言宗 大阪府河内長野市日野1379-6昭和三十一年夏の夜のこと、井本凡勝は激しい霊夢に襲われた。右手に剣、左手に青年を抱いた物凄い形相の不動明王が夢枕に立ち、「我は勝負の神なり、この世の勝負をつかさどる不動明王なり。我をまつれよ」と不動明王の激しい啓示を賜った。(リンク先より) << 戻る
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活禅寺-長野県長野市

・活禅寺 単立 長野県長野市箱清水3-29-60昭和18年2月11日、徹禅無形大師により開山。当初は無形庵という小さな庵でしたが、第二次大戦後の混乱した日本を背負って立つ青少年の育成を主眼に青年錬成参禅道場として発足。(リンク先より) << 戻る
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正信寺-神奈川県横浜市都筑区

・正信寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 神奈川県横浜市都筑区荏田南1-4-4釈友教は昭和10年に上京し、浅草本願寺で一時役僧を務めましたが、昭和20年3月10日、東京大空襲で焼け出されました。 一旦故郷に戻りますが、間もなく再び上京し、縁あって横浜市港北区の住宅で念仏の道場を開き、 布教活動だけでなく法務も行いました。(リンク先より)※昭和10年 1935年 << 戻る
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太光寺-広島県広島市西区

・太光寺 単立(天台宗) 広島県広島市西区田方1丁目551-1昭和元年(1926年) 旧広島市の猿楽町(現在の広島市中区大手町の原爆ドーム付近)に、「原光明」師が「天台宗三井寺派」の「石光寺」を設立し、当山(石光寺)が開山されることになった。(リンク先より) << 戻る
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日泰寺-愛知県名古屋市千種区

・覚王山日泰寺 単立 愛知県名古屋市千種区法王町1-1釈尊(お釈迦さま)のご真骨をタイ国(当時シャム国)より拝受し、仏教各宗代表が協議し奉安する為に1904年(明治37年)に建立された。釈尊を表す「覺王」を山号とし、日本とシャム(暹羅)国の友好を象徴して覺王山 日暹寺にっせんじとして創建された。その後、昭和14年(1939年)シャム国のタイ王国への改名に合わせて、昭和17年(1942年)日泰寺に改名された。(リンク先より) << 戻る
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今山大師-宮崎県延岡市

・今山大師 単立 宮崎県延岡市山下町2-39981839年(天保10年)延岡の地で疾病が猛威を振るいました。 そこで延岡城下の大師信徒たちが高野山金剛峰寺(こんごうぶじ)まで行き、弘法大師座像(現在の本尊)を勧請(かんじょう)して「家内安全」「息災延命」「五穀豊穣」「商工発展」の祈願のために大師庵を経てたことが縁起となっています。(リンク先より) << 戻る
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日本橋西河岸地蔵寺教会-東京都中央区

・日本橋西河岸地蔵寺教会 単立 東京都中央区八重洲1-2-51718年に地蔵堂を建立し正徳院と称していましたが、東京の空襲で燃えてしまい、昭和24年に現在の名称に変えて再建されました。現在のお堂は昭和52年に建て替えられたものとのことです。この寺院には行基菩薩が彫刻した地蔵菩薩像があり、至心で祈願すれば日ならずしてご利益を授かることから「日限地蔵尊」と呼ばれています。<< 戻る
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仏心寺-岡山県岡山市中区

・仏心寺 単立 岡山県岡山市中区湊449正徳四年(1714年)年岡山藩主池田綱政の姉(一条右大臣教輔夫人)の発願による建立と伝えられる当寺院には、池田家縁のものが残されています。写真の門、鬼瓦にも池田家の家紋である蝶の紋が施されています。(リンク先より) << 戻る
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瑞聖寺-東京都港区

・紫雲山 瑞聖寺 単立 東京都港区白金台3-2-19紫雲山瑞聖寺は、江戸で最初の黄檗宗(おうばくしゅう)の寺院で、寛文十年(1670)から建設に着手し、翌年諸堂が完成しました。 創建伽藍は亨保十一年(1726)と延亨二年(1745)の二回の火災で大きな被害を受けましたが、文化年間(1804~18)に再び整備されました。 (リンク先より) << 戻る
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荘厳寺-千葉県香取市

・諏訪山荘厳寺 単立 千葉県香取市佐原イ1110・荘厳寺本尊不動明王。開基は寛永18年となっていますが、境内に永禄年間の板碑があり室町時代に遡れると郷土歴史家は言います。かつては真言宗豊山派に属しており、佐原市牧野にある観福寺の末寺でありましたが、平成8年1月単立となりました。(リンク先より)※寛永18年 1641年 << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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大増寺-東京都港区

・大増寺ホームページ 単立 東京都港区三田4-12-6大増寺の縁起は、約400年前、慶長年間にさかのぼります。江戸の八丁堀に、朝ごとに光を放つ池がありました。月山和尚が掘り起こしたところ、やさしい顔をした聖観音像が現れました。和尚は、その観音様を「朝日観音」と名付け、一寺を開基し、「池宝山大増寺」と命名。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る
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正行寺-福岡県筑紫野市

・正行寺 単立 福岡県筑紫野市二日市中央4-7-1文祿2年(1593)2月10日創建。開基は了圓法師、俗名を竹原主水正種善(たけはらもんどのしょうたねよし)という。代々、竹原氏は、肥後国阿蘇家の一族の武将であった。(リンク先より) << 戻る
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西教寺-福岡県福岡市博多区

・西教寺 単立 福岡県福岡市博多区上呉服町9-4寺院名 :恵日山 西教寺開基 :勝願法師:1544年(天文13年)6月 本願寺證如上人より本願寺前住実如上人影像並びに実如上人自筆之六字名号同上人自筆の御文賜之候而(リンク先より) << 戻る
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源証寺-東京都足立区

・源証寺 単立(浄土宗系) 東京都足立区入谷2-15-251532年(天文元年)、十蓮社念誉一向源證上人によって開山された。境内には、江戸時代中期に建立された太子堂がある。太子堂の天井は格天井になっており、その一つ一つに絵が描かれている。聖徳太子を祀る太子堂は足立区内唯一であり、足立区の文化財に登録されている。山号 入谷山院号 太子院本尊 阿弥陀三尊札所等 荒綾八十八ヶ所霊場39番札所<< 戻る
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妙行寺-福岡県福岡市南区

・妙行寺 単立 福岡県福岡市南区野間4-33-38当寺は往昔天台宗盧原道場と称し、創建以来世々博多市街の中心部に位置していた。文明5年時の住僧良言が、本願寺蓮如上人に帰依して真宗となり、妙行寺の寺号を授与された。当寺では、改宗した良言を以て中興第一世住職としている。(リンク先より)※文明5年 1473年 << 戻る
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宝鏡寺-京都府京都市上京区

・宝鏡寺 単立 京都府京都市上京区寺ノ内通堀川東入百々町547宝鏡寺は、山号を「西山(せいざん)」と号し、百々御所(どどのごしょ)という御所号をもつ臨済宗単立の尼門跡寺院です。 本尊は聖観世音菩薩で、伊勢の二見浦で漁網にかかった際、小さな円鏡を手にしていたと伝えられ、大変珍しいお姿をしています。宝鏡寺の開山は景愛寺(けいあいじ)第六世であった光厳天皇皇女華林宮惠厳(かりんのみやえごん)禅尼です。 応安年間(1368~1375)に御所に祀られていたこの聖観世音菩薩像が、禅尼によって景愛寺の支院であった建福尼寺に奉納安置され、 本尊の由緒にちなんだ「宝鏡寺」の名前を後光厳天皇より賜り、名前を改めて...
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地蔵院-京都府京都市西京区

・地蔵院(竹の寺) 単立(臨済宗) 京都府京都市西京区山田北ノ町23当山は衣笠山地蔵院といい、臨済禅宗の寺で、夢窓国師を開山とし、伝教大師の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。もともと、この地は今から八百年近く前、歌人衣笠内大臣藤原家良公が山荘を営まれた処で、南北朝時代の貞治六年(一三六七)室町管領細川頼之公が夢窓国師の高弟宗鏡禅師を招請して伽藍を建立された。これが現在の地蔵院で、宗鏡禅師は恩師夢窓国師を開山に仰ぎ、自らは第二世となられた。(リンク先より) << 戻る
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林光寺-茨城県水戸市

・林光寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 茨城県水戸市酒門町35-1林光寺 茨城県水戸市 文永2年(1265年)開基(リンク先より) << 戻る
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護村寺-新潟県佐渡市

・護村寺 単立(真言宗) 新潟県佐渡市新穂北方597番地当山は北方地頭 本間六郎満繁一族の菩提寺であり、順徳上皇佐渡配流の際、池蔵人の発願に依り、比叡山坂本の山王権現を勧請され十二坊の一坊として天福年間に明王院として建立され、副別当職であった。昭和17年4月護村寺と改名しております。(リンク先より)※天福年間 1233年から1234年 << 戻る
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高山寺-京都府京都市右京区

・高山寺 単立 京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾町8高山寺は京都市右京区栂尾(とがのお)にある古刹である。創建は奈良時代に遡るともいわれ、その後、神護寺の別院であったのが、建永元年(1206)明恵上人が後鳥羽上皇よりその寺域を賜り、名を高山寺として再興した。(リンク先より) << 戻る
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蓮通寺-滋賀県長浜市

・蓮通寺 単立(浄土真宗東本願寺派) 滋賀県長浜市西浅井町岩熊542源平争乱の寿永三年(1184年)、征夷大将軍源義仲は粟津ヶ原で敗死し、その室山吹御前は子息義隆・義順を伴い、北近江浅井郡の山中で世の浮沈を窺って暮らしていたが、義仲を破った頼朝・義経の兄弟も世を去り、琵琶湖にすぐ近い海津の荘に住まいを移したところ、本願寺御開山親鸞聖人、越後に流罪となり琵琶湖を舟で渡ってこられ海津にお着きになり、義隆・義順兄弟と師弟の約諾を交わしてくださり、兄の義隆は海津荘岩谷の地で願慶寺開基となり、弟の義順は浅井郡塩津荘岩熊に赴き蓮通寺の開基となった。(リンク先より) << 戻る
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法台寺-埼玉県新座市

・大平山法台寺ホームページ 単立 埼玉県新座市道場1-10-13源頼朝存命の治承4(1180)年、勅許に依り「館」が建てられた。その館を「清浄殿」と名づけた。それが当寺の原型となった「廣澤の清浄殿」である。執権職北條時宗の時、すなわち文永3(1266)年仲秋、宗尊親王の命に依り、源実朝の御台所久米御前(*5)(法名「廣澤院従二位承山寶臺禅定尼」)の菩提を弔うためにこの、清浄殿を「廣澤院寶臺寺」とした。寺院として建立したのである。(リンク先より) << 戻る
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平等院-京都府宇治市

・平等院 単立 京都府宇治市宇治蓮華116永承7年(1052)、時の関白藤原頼通が、父 道長より譲り受けた別業を仏寺に改め、平等院を開創しました。 この年は末法初年に当たるとされ、末法思想が貴族や僧侶らの心をとらえ、極楽往生を願う浄土信仰が社会の各層に広く流行していました。その翌年の天喜元年(1053)には阿弥陀堂(鳳凰堂)が落慶し、堂内には、平安時代の最高の仏師定朝によって制作された丈六の阿弥陀如来坐像が安置され、華やかさを極めたと言われています。(リンク先より)<< 戻る
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正暦寺-奈良県奈良市

・正暦寺 菩提山真言宗 奈良県奈良市菩提山町157992(正暦3)年、一条天皇の勅命を受けて兼俊僧正(藤原兼家の子)によって創建されました。山号を「菩提山」、院号を「龍華樹院」と号します。創建当初は、堂塔・伽藍を中心に86坊の塔頭が渓流をはさんで建ち並び、勅願寺としての威容壮麗を誇っていました。(リンク先より) << 戻る
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圓満院門跡-滋賀県大津市

・圓満院門跡 単立 滋賀県大津市園城寺町33圓満院は寛和三年(987年)に、村上天皇の第三皇子悟円親王により創立された天台宗の門跡寺院です。三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と呼ばれていました。藤原道長が宇治に建てた別荘をその子藤原頼道の時代に寺院にするよう命令が下され、平等院(後の圓満院)の明尊大僧正によって完成しました。(リンク先より) << 戻る
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注連寺-山形県鶴岡市

・注連寺 単立(真言宗) 山形県鶴岡市大網字中台92-1湯殿山注連寺は天長2年(825)弘法大師空海の開基であり、その後、大師が開創した霊場を慕い京都より訪ねてきた弟子の真然大徳が承和2年(835)、湯殿山権現堂を建立し、真然大徳を第一世とするお寺です。(リンク先より) << 戻る