便り 法華経寺-千葉県市川市 ・中山法華経寺 日蓮宗 千葉県市川市中山2-10-1當山は、鎌倉時代に日蓮大聖人が最初に開かれた五勝具足の霊場です。大聖人のご生涯には四度の大きな法難があり、文応元年(1260)松葉ヶ谷の焼き討ちの折、大檀越であった下総若宮の領主富木常忍公と、中山の領主太田乗明公が、当地に大聖人をお迎えして御弘通をお願いされました。大聖人自ら立像釈迦牟尼佛を安置され、法華堂開堂供養会を営み、百日百座の説法をなされたことに始まります。(リンク先より) << 戻る 2018.09.17 便り
便り 法見寺-千葉県市川市 ・日蓮宗 北方(ボッケ)七面堂 妙法山 法見寺 日蓮宗 千葉県市川市本北方3-5-16法見寺の所在する北方地域は、草創干支不詳なるも、古より葛飾郡に属し、小金領八幡庄に隷す。口伝に北家とは、天平年間淡海公の第二の御子参議民部卿、房前親王の任地なり、京に於いて君の居館は北に在る故、北家と称すと云う。(リンク先より) << 戻る 2018.09.15 便り
便り 遠壽院-千葉県市川市 ・遠壽院-伝統と荒行、そして地域とのふれあい 日蓮宗 千葉県市川市中山2-3-2日蓮聖人に深く帰依して檀越(だんのつ)となった富木(とき)常忍は、文応元年(1260)、館の傍らに一宇を建立して妙連山法華寺と号した。そして、弘安五年(1282)、日蓮聖人の入滅後に出家して日常と名のり、法華寺の法灯を継いだ。当時、同じく有力な檀越であった太田乗明もまたその館を改めて本妙寺と号したが、乗明の遷化に伴い、日常上人が本妙寺に移り、両寺一主の制を定め、寺号を本妙法華経寺として中山門流の中心となった。その後、元徳三年(1331)、三代日祐上人の時に両寺が合併して正中山法華経寺と号した。(リンク先より) <<... 2018.09.15 便り