十一面観音

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観自在寺-愛媛県南宇和郡

・観自在寺 真言宗大覚寺派 愛媛県南宇和郡愛南町御荘平城2253-1・39番札所 ⇒ 四国八十八ヶ所 第40番札所 平城山 薬師院 観自在寺 ⇒ 41番札所大同2年(807)、弘法大師が人皇五十一代平城天皇の勅願に奉じてこの地を訪れ、本尊薬師如来、脇仏阿弥陀如来、十一面観音の三体の尊像を自作なさり、堂宇に安置し、開基されました。(リンク先より) << 戻る
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櫟野寺-滋賀県甲賀市

・櫟野寺 天台宗 滋賀県甲賀市甲賀町檪野1377福生山自性院櫟野寺(いちいの観音)は桓武天皇の延暦十一年に比叡山の開祖伝教大師様が根本中堂の用材を得る為に甲賀郡杣庄おいでにまりました時、霊夢を感じて此の地の櫟の生樹に一刀三礼の下彫刻安置されました。日本最大坐仏十一面観音菩薩がご本尊様です。(世に生えぬきの観音様と称されております。) その後、延暦二十一年鈴鹿山の山賊追討に当たり、杣ケ谷を櫟野まで登られた坂上田村麻呂公は、当地鎮座の櫟野観音さまに祈られその御力により鈴鹿山の群賊を平定することが出来たのであります。(鈴鹿山の鬼退治と伝わる)それ故将軍は当寺を祈願寺と定め、大同元年七堂伽藍を建立、永...
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世音寺-広島県尾道市

・世音寺 曹洞宗 広島県尾道市原田町小原1695大同元年(806)建立。もとは地名を夜討峠畑山(えいちたばたやま)と呼ぶ丘の峰にあったと伝えている。戦国時代木梨元清と小原中山城主三浦氏との戦いのとき寺も焼かれたと伝えているが、本尊十一面観世音菩薩は難を逃れた。その後万治元年(1658)に福山市山手町三寶寺六世通天梵達大和尚〔萬治元(1658)年三月廿九日遷化〕の遺命により、現在の地に本尊を遷座し曹洞宗となった。(リンク先より) << 戻る
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法福寺-富山県黒部市

・法福寺 高野山真言宗 富山県黒部市宇奈月町明日836法福寺は、大同元年(806)幻識大和上の創建であると伝えられている。本尊は十一面観音であり、むかって右の脇立ちは馬頭観音、左の脇立ちは聖観音である。いずれも奈良の仏師春日の御作と言われている。かつては七堂伽藍があり、仁王門の中にも十六坊が立ち並んでいたが上杉謙信が侵入した折、兵火にかかって消失したという。(リンク先より) << 戻る
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華厳寺-岐阜県揖斐郡

・華厳寺 天台宗 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積23・第三十二番 ⇒ 西国三十三所 第三十三番 谷汲山 華厳寺 ​⇒ 第一番「谷汲さん」の愛称で親しまれる当山は、山号が「谷汲山(たにぐみさん)」、寺号が「華厳寺(けごんじ)」といいます。寺の草創は桓武天皇(737-806)の延暦十七年(798)で開祖は豊然上人、本願は大口大領です。(リンク先より) << 戻る
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紀三井寺-和歌山県和歌山市

・紀三井寺 救世観音宗 和歌山県和歌山市紀三井寺1201・第一番 ⇒ 西国三十三所 第二番 紀三井山 金剛宝寺 (紀三井寺)⇒ 第三番奈良朝時代、光仁天皇の宝亀元年(AD770)、唐僧・為光上人によって開基された霊刹です。為光上人は、伝教の志篤く、身の危険もいとわず、波荒き東シナ海を渡って中国(当時の唐国)より到来されました。 そして諸国を巡り、観音様の慈悲の光によって、人々の苦悩を救わんがため、仏法を弘められました。行脚の途次、たまたまこの地に至り、夜半名草山山頂あたりに霊光を観じられて翌日登山され、そこに千手観音様の尊像をご感得になりました。上人は、この地こそ観音慈悲の霊場、仏法弘通の勝地...
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自敬寺-大阪府大阪市淀川区

・自敬寺のホームページ 黄檗宗 大阪府大阪市淀川区西三国2-12-43749年~759年 奈良時代(天平勝宝年間)行基菩薩によって「仏生山金光寺」として創建されました。 1576年 天正4年(室町時代中期)現在のご本尊である「十一面観世音菩薩」が作られました。(リンク先より) << 戻る
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三津寺-大阪府大阪市中央区

・七宝山大福院 三津寺 真言宗御室派 大阪府大阪市中央区心斎橋筋2-7-12七宝山 大福院 三津寺(しっぽうざん だいふくいん みつてら)は、応神天皇を葬り奉った御墓所として、奈良時代の名僧・行基菩薩が楠を植えたのを始まりとし、のちに聖武天皇の勅命によって天平16年(744年)に行基菩薩が十一面観世音菩薩を安置した本堂を創建したことをもって開山とされています。また、七宝山という山号は、小松宮さまがお寺をご訪問された際に下賜されたものであります。(リンク先より) << 戻る
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杉本寺-神奈川県鎌倉市

・杉本寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市二階堂903当山は天平(てんぴょう)6年(734年)聖武天皇の后である光明皇后の御願により、藤原房前(ふじわらのふささき)、行基菩薩(ぎょうきぼさつ)によって建立されました。御本尊は天平6年(734年)行基菩薩御作(ぎょうきぼさつおんさく)、仁寿元年(851年)慈覚大師円仁御作(じかくだいしえんにんおんさく)、寛和(かんわ)2年(986年)恵心僧都源信御作(えしんそうずげんしんおんさく)の三体の十一面観音様です。(リンク先より) << 戻る
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遍照寺-兵庫県美方郡

・遍照寺 高野山真言宗 兵庫県美方郡香美町香住区小原616天平年間、行基菩薩によって開創され、天平宝字4年に洛陽椋橋山住僧法爾和上来臨され宝殿を築いて中興する。御本尊に十一面観世音菩薩を仰ぎ、法燈相伝えて1200有余年、幾多の栄枯盛衰の歴史の中、道俗こよなく浄心を運び地域の守護仏として十方を照らし安寧を願う。(リンク先より)※天平年間 729年から749年 << 戻る
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神武寺-神奈川県逗子市-観蔵院

・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市桜山5-6-1・神武寺と観藏院のホームページ 天台宗 神奈川県逗子市沼間2-1402醫王山来迎院と号する神武寺は、神亀元年(七二四)正月、聖武天皇の命により 行基菩薩が十一面観音・薬師如来・釋迦如来の尊像を彫刻・奉安し、玉体安穏・萬国和平・萬民豊楽の祈祷道場として開山された寺院です。(リンク先より) << 戻る
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大福寺-千葉県館山市

・大福寺 真言宗智山派 千葉県館山市船形835この観音堂の本尊は、十一面観世音菩薩で船形山の崖の中腹にある祠に刻まれています。この本尊は、養老元年(717年)に行基(668~749年)が東国行脚の折に神人の霊を受け、地元漁民の海上安全と豊漁を祈願して、山の岩肌の自然石に十一面観世音菩薩を彫刻したと言われています。その後、慈覚大師(794~863年)が当地に来錫した折に堂宇が創建されたと言われています。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-三重県津市

・長谷寺 臨済宗相国寺派 三重県津市片田長谷町230当山の開基は徳道上人で、その創設については大宝年間(七〇一~七〇四)と伝わる。大和の長谷寺を模したものとして多気郡多気町にある真言宗山階派の近長谷寺に対し遠長谷寺とも呼ばれております。(リンク先より) << 戻る
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長谷寺-奈良県桜井市

・長谷寺 真言宗豊山派 奈良県桜井市初瀬731-1・第七番 ⇒ 西国三十三所 第八番 豊山 長谷寺 ⇒ 第九番当山は山号を豊山(ぶさん)と称し、寺号を長谷寺(はせでら)と言い、正式には豊山神楽院長谷寺と申します。 「隠国(こもりく)の泊瀬(はつせ)」と万葉集にうたわれていますように、この地を昔は豊初瀬(とよはつせ)、泊瀬など美しい名でよばれていたので、初瀬寺、泊瀬寺、豊山寺とも言われていました。朱鳥元年(六八六)道明上人は、天武天皇の銅板法華説相図(千仏多宝仏塔)を西の岡に安置、のち神亀四年(七二七)徳道上人は、聖武天皇の勅を奉じて、衆生のために東の岡に近江高島から流れ出でた霊木を使い、十一面...
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天上寺-兵庫県神戸市灘区

・天上寺 高野山真言宗 兵庫県神戸市灘区摩耶山町2-12摩耶山天上寺は、大化二年、孝徳天皇の勅願により、インドの高僧法道仙人によって開創されました。ご本尊は、お釈迦さまがみずから感成されたと言われる一寸八分の秘仏十一面観音です。(リンク先より)※大化二年 646年 << 戻る
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浄土寺-広島県尾道市

・浄土寺 真言宗泉涌寺派 広島県尾道市東久保町20-28瑠璃山の翠松を背に、玉の浦の碧波に臨む山陽道の名刹転法輪山大乗律院荘厳浄土寺(以下浄土寺)は、遠く飛鳥の昔、推古天皇の二十四(616)年、聖徳太子の開基と伝えています。ある時には高野山に縁を結び又は南都西大寺の列に連なり、更に江戸時代に至って京都の泉涌寺派に属して大本山となっています。(リンク先より) << 戻る