仏教を本気で学ぶ

中国への仏教伝来

67年(中国)(後漢 永平10年)、中国への仏教伝来。明帝と洛陽白馬寺に纏わる求法説話より。(諸説あり)<< 戻る
人物

チュンダ(純陀)- ブッダ最後の食事を提供

チュンダとは、鍛治屋(かじや)・工巧師(こうこうし)の子で、ブッダ最後の食事を提供したことから、ブッダへの最後の布施者とも呼ばれています。漢訳では純陀、准陀、淳陀、周那などと音写され、妙義と意訳されることもあります。チュンダはブッダやその弟子たちを招待することが出来るほどの富裕層であったと考えられています。当時、インドのカースト社会では鍛治屋、工巧師、金属加工師というのは賤しい職業と見なされ、蔑視されていましたが、ブッダのような新しい精神的な指導者を求めていました。鍛治屋の子チュンダの招待を受け入れたブッダは、当時の階級的差別を打ち破って欲しいという要求に応えたものであったと考えられます。『大...
人物

スジャータの乳粥供養 – ブッダが悟りを得たときの供養

(乳粥供養の場に建つスジャータ寺院がある祠には、スジャータと召使のプンナ、厳しい苦行を終えたばかりのお釈迦様の像が白い牛の像と一緒に祀られています)スジャータとは、ブッダが悟りを得たときの供養者として知られています。後にブッダとなるシッダッタの苦行放棄のきっかけとなり、悟りを得る直前の乳粥供養により身心ともに回復することになります。シッダッタはナイランジャラー川で沐浴を済ませた後、岸に上がり瞑想に適した場所を求め、あるガジュマル(ベンガルボダイジュ)の樹下に座り瞑想を行います。そこにたまたま現れたのが村の長者の娘スジャータです。スジャータは男の子に恵まれるよう村の聖樹(上記)に毎日、祈りをささ...