「 興福寺-奈良県奈良市 」 一覧

阿修羅

  阿修羅(あしゅら)とは、古代インドの神アスラが仏教に取り入れられたものです。仏教では悪神ともされます。仏教で説く六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)の修羅(しゅら)が阿修羅の世界とさ ...

当たりで福をもらってきました

昨日は、豪雨の中を出発して、奈良へ向かいました。 雨天決行、でもこんなに降ったらあかん…かも。 興福寺中金堂落慶法要の記念コンサートの入場券が当たり🎯ました。(リンク先より) ・当たり ...

奈良県奈良市の諸宗派寺院

蓮長寺 日蓮宗 奈良県奈良市油阪町426 唐招提寺 律宗 奈良県奈良市五条町13-46 元興寺 真言律宗 奈良県奈良市中院町11 西大寺 真言律宗 奈良県奈良市西大寺芝町1-1-5 不退寺 真言律宗 ...

興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山に

1882年に興福寺、薬師寺、法隆寺の3寺が法相宗の大本山となった。 << 戻る

興福寺奏状

元久2(1205)年9月、興福寺衆徒、後鳥羽院に念仏禁断の奏状に九箇条の過失を書きそえ強訴しました。法然上人およびその門弟、とくに法本房行空と安楽房遵西の処罰を強訴しました。 その内容は勅許(ちょっき ...

法然上人、学匠を訪問

保元元(1156)年、求法のため洛西嵯峨の清凉寺に参籠、のち南都の興福寺に法相宗の蔵俊をたずね、醍醐に三論宗の寛雅をたずね、御室に華厳宗の慶雅をたずねなど学匠を訪問する。 << 戻る

祈親上人定誉、高野山復興に着手

落雷からの火災で荒廃した高野山を再興したのは、法華経の持経者(聖)だった興福寺の定誉(958-1047)です。長和5年(1016年)、観音像のお告げで高野山に登った定誉は、冬の寒さを防ぐ方法を編み出し ...

奈良の興福寺に悲田院・施薬院

730年、奈良の興福寺に悲田院・施薬院をもうける。 << 戻る

義淵の弟子玄昉が入唐

717年(養老元年) 入唐した義淵の弟子玄昉(げんぼう)も、ともに濮陽の智周に師事して法相宗を修め、帰国後これを広めた。なかでも玄昉は興福寺にあって当宗を興隆し、興福寺法相宗の基をきずき、興福寺伝また ...

興福寺に改称

和銅3年(710年)の平城京への遷都に際し、鎌足の子不比等は厩坂寺を平城京左京の現在地に移転し「興福寺」と名付けた。中金堂の建築は平城遷都後まもなく開始されたものと見られる。 << 戻る

山階寺の移転、厩坂寺に改称

天武天皇元年(672年)、山階寺は藤原京に移り、地名の高市郡厩坂をとって厩坂寺(うまやさかでら)と称した。後の興福寺。 << 戻る

興福寺

法相宗の大本山として知られる興福寺。その前身は飛鳥の「厩坂寺」であり、さらにさかのぼると天智朝の山背国「山階寺」が起源となります。 その山階寺は、天智8年(669)に藤原鎌足が重い病気を患った際に、夫 ...

興福寺(山階寺)の創建

藤原鎌足夫人の鏡大王が夫の病気平癒を願い、鎌足発願の釈迦三尊像を本尊として、天智天皇8年(669年)山背国山階(現・京都府京都市山科区)に創建した山階寺(やましなでら)が起源です。 << 戻る



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