便り 長命寺-東京都練馬区 ・東高野山 長命寺 真言宗豊山派 東京都練馬区高野台3-10-3当寺院は、慶長18年(1613年) に後北条氏の一族である増島重明(北条早雲のひ孫にあたる。のちに出家して慶算阿闍梨になる)によって弘法大師像を祀る庵を作ったのが始まりといわれている。その後寛永17年(1640年) 奈良・長谷寺の小池坊秀算により十一面観音像が作られ、「長命寺」の称号を得る。(リンク先より) << 戻る 1613.01.01 便り年表
便り 浄心寺-東京都文京区 ・江戸札所十番 浄心寺 浄土宗 東京都文京区向丘2-17-4浄心寺は、元和2年(1612年、徳川2代将軍秀忠の頃)に畔柳助九郎氏が大旦那となり、還蓮社到誉文喬和尚を開山上人とし、湯島妻恋坂付近に創建されました。その後、八百屋お七の振り袖火事として知られる江戸の大火により焼失し、現在の地に移転しました。(リンク先より) << 戻る 1612.01.01 便り年表
便り 泉岳寺-東京都港区 ・曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺 曹洞宗 東京都港区高輪2-11-1泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した寺院です。(現在の警視庁の近く)しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったのです。(リンク先より) << 戻る 1612.01.01 便り年表
便り 雲光院-東京都江東区 雲光院 浄土宗 東京都江東区三好2-17-14徳川家康公の側室阿茶局の菩提寺として、慶長十六年(1611年)阿茶局自らの発願により、増上寺の高僧であった潮呑上人を開山上人(初代住職)として仰ぎ開創されました。阿茶局の法号「雲光院」がそのまま寺の名称になりました。 開創地は中央区馬喰町付近でありましたが、明暦三年(1657年)の大火に被災し、神田岩井町に替地となり、天和二年(1682年)現在の深川の地に再び替地となりました。(リンク先より) << 戻る 1611.01.01 便り年表
便り 森巖寺-東京都世田谷区 ・森巖寺のホームページ 浄土宗 東京都世田谷区代沢3-27-1江戸から遠く離れた越前での臨終に際して秀康公は、一乗院住職万世和尚に自分の死後に江戸の地に一寺を建立し、自らの位牌所とせよと命じました。この遺命を託された万世和尚が高齢だったため、弟子の清譽存廓上人に託して、慶長13年(1608年)に當寺を開山。その建立にあたっては隣接する北沢八幡 別当寺とし、森巖寺一帯は天領となりました。そしてその八幡を山号、秀康公の法名浄光院殿森巖道慰運正大居士にちなんで浄光院を院号寺号として、八幡山浄 光院森巖寺と命名されました。(リンク先より) << 戻る 1608.01.01 便り年表
便り 養国寺-東京都新宿区 ・養国寺 公式ホームページ 曹洞宗 東京都新宿区愛住町21養国寺は慶長七年(1602)、祥岩存吉大和尚により麹町半蔵門近くに開創されました。その後、寛永11年(1634)現在の愛住町へ移転しました。410年以上の星霜を重ねて今日に至っています。(リンク先より) << 戻る 1602.01.01 便り年表
便り 青松寺-東京都港区 ・萬年山 青松寺 曹洞宗 東京都港区愛宕2-4-7開山当初は麹町貝塚(今の国立劇場・最高裁判所の辺り)にあり、「江戸貝塚青松寺」と称されました。その後、慶長五年(1600年)、徳川家康公が江戸城の外堀をつくる際に、愛宕山南に続く丘陵「含海山」と呼ばれる現在の地へと移りました。(リンク先より) << 戻る 1600.01.01 便り年表
便り 法真寺-東京都文京区 ・法真寺 浄土宗 東京都文京区本郷5-27-11当山は、和順山歓喜院法真寺といい、慶長元年(1596年)に京都知恩院より、寺号を附与されている。家康公御台所の天野図書(法真寺殿歓譽西喜大禅定門 寛永十年五月二十日寂)が、同家下屋敷を寄進し、寺の開基となる。この時の開山上人が、伝通院から来た栄誉泉良和尚という人であった。(リンク先より) << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 常性寺-東京都調布市 ・調布不動尊常性寺 真言宗豊山派 東京都調布市国領町1-2-8常性寺は、正式には「医王山長楽院常性寺」と称し、鎌倉時代に創建された由緒ある真言宗豊山派の寺院です。往古は多摩川沿いに壮麗な諸堂が建立されていましたが、安土桃山時代の慶長年間に旧甲州街道沿いの現在地に移築させられました。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 大増寺-東京都港区 ・大増寺ホームページ 単立 東京都港区三田4-12-6大増寺の縁起は、約400年前、慶長年間にさかのぼります。江戸の八丁堀に、朝ごとに光を放つ池がありました。月山和尚が掘り起こしたところ、やさしい顔をした聖観音像が現れました。和尚は、その観音様を「朝日観音」と名付け、一寺を開基し、「池宝山大増寺」と命名。(リンク先より)※慶長年間 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 泰宗寺-東京都豊島区 ・泰宗寺ホームページ 曹洞宗 東京都豊島区駒込7-1-1泰宗寺は千葉県君津貞元村新御堂、最勝福寺の末寺で慶長年代攝津三田城主九鬼守隆の開基で江戸茅場町に建立されました。寛永拾年幕府の命に依り ・東京市下谷稲荷町に移転(リンク先より)※慶長年代 1596年から1615年 << 戻る 1596.01.01 便り年表
便り 覚證寺-東京都調布市 ・覚證寺 浄土真宗本願寺派 東京都調布市富士見町1-35-5永禄4年(1561)に信濃国に生まれた細川辨之輔光惠が、仏教に帰依して得度、釋宗龍の法名をいただき京都加茂川のほとりに草庵を結び、帰国して一寺を建立。その後、文禄3年(1594)の春に江戸に移転した。この時をもって創建の年と伝えられる。(リンク先より)水木しげる墓所。 << 戻る 1594.01.01 便り年表
便り 長光寺-東京都新宿区 ・玉寶山 長光寺 曹洞宗 東京都新宿区百人町1-5-2当山は文禄3年(1594年)建立の新宿の禅寺です。曹洞宗認可参禅道場として毎月坐禅会を行っております。 喧騒の海のなかにあっても、静かな時間が流れるお寺でありたいと願っております。(リンク先より) << 戻る 1594.01.01 便り年表
便り 興岳寺-東京都八王子市 ・萬松山 興岳寺 曹洞宗 東京都八王子市千人町1-2-8萬松山興岳寺は文禄元年(1592年)に石坂勘兵衛が菩提寺として建立した寺院です。甲斐(今の山梨県)の大名だった武田信玄が病死したあと、その子勝頼も豊臣氏のために亡ぼされたので、彼らの遺臣は徳川家康の指揮下に入りました。その中で石坂勘兵衛が旗本となってここに所領をいただき、組屋敷の東部に建てたものが興岳寺の基であります。(リンク先より) << 戻る 1592.01.01 便り年表
便り 薬研堀不動院-東京都中央区 ・薬研堀不動院 真言宗智山派 東京都中央区東日本橋2-6-8天正13年(1585)、豊臣秀吉勢の兵火に遭った際、根来寺の大印僧都(だいいんそうず)はそのご尊像を守護して葛篭(つづら)に納め、それを背負ってはるばる東国に下りました。そして、隅田川のほとりに有縁の霊地をさだめ、天正19年(1591)、そこに堂宇を建立しました。これが現在の薬研堀不動院のはじまりです。(リンク先より) << 戻る 1591.01.01 便り年表
便り 重願寺-東京都江東区 ・重願寺 浄土宗 東京都江東区猿江1-11-15當山は所伝によると天正18年(1590)千葉邦胤の女(娘)、不虚大禅尼によって日本橋郡代屋敷に草創され、ついで寛永6年(1629)普光観智国師(増上寺第十二世)の高弟、本蓮社願譽是哲上人によって開山され、不虚山 當知院 重願寺と称しました。この寺号は『往生礼讃』という書物に唐代の善導大師みづからの信仰体験を記し、「深く阿弥陀佛を信じて称名念佛するものは必ず浄土に救いとろうと誓われたご本願は決して虚りではない」(當知本誓重願不虚、衆生称念必得往生)と言われた言葉に基づくものです。(リンク先より) << 戻る 1590.01.01 便り年表
年表 光善寺-東京都港区 ・光善寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区元麻布1-7-4天正11年(1583年)、本願寺11代門主顕如上人のご教導により僧、明藝(みょうげい)、武蔵国世田ヶ谷上宿に一宇を建立し、松本山光善寺と号す。(公式ページより) << 戻る 1583.01.01 年表
便り 安楽寺-東京都港区 ・安楽寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区芝1-12-181582年(天正10年) 安楽寺創建 ※「本能寺の変」の年1639年(寛永18年) 開基(一世)釋良信往生1923年(大正12年) 関東大震災の延焼により本堂消失1929年(昭和4年) 本堂再建(リンク先より) << 戻る 1582.01.01 便り年表
便り 円乗寺-東京都文京区 – 八百屋於七墓所 ・円乗寺 八百屋於七墓所 天台宗 東京都文京区白山1-34-6圓乗寺は天正9年(1581年)、圓栄法印が本郷に密蔵院として創建したと伝えられており、元和6年(1620年)に實仙法師が圓乗寺と寺号を改めました。本尊は釈迦牟尼如来と、江戸三十三観音第11番札所の聖観世音菩薩です。(リンク先より)八百屋於七墓所。 << 戻る 1581.01.01 便り年表
便り 満福寺-東京都国分寺市 ・満福寺トップページ 臨済宗建長寺派 東京都国分寺市戸倉4-34-3満福寺は、元、東京都西多摩郡桧原村一等地吉祥寺の開山で、臨済禅師十八世の法孫である古先印元和尚(勅謚正宗広智禅師)五世の法孫秋波江和尚が開基となり、天正二年(1573年)永岳全嘉禅師を開山として、吉祥寺の隠居寺として桧原村に開創した寺であるが、五世中興開山無印宗達和尚の時になって、現在の地(国分寺市戸倉)に引寺して今日に及んでいるものである。従って吉祥寺の末寺に属している。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 廣慶寺-東京都町田市 ・三輪山 廣慶寺 曹洞宗 東京都町田市三輪町1609廣慶寺は西暦1572年の安土桃山時代に、神奈川県川崎市高津区下作延の、円福寺第二世「最安慶初大和尚」さまによって開かれました。当時は現在の墓地の窪地に本堂がありましたが、焼失したため、文政4年(1821年)1月28日に現在の地に移転し、茅葺きの本堂が檀信徒の力で再建されたと、棟札に記されており今なお健在です。(リンク先より) << 戻る 1572.01.01 便り年表
便り 徳蔵寺-東京都東村山市 ・徳蔵寺 臨済宗大徳寺派 東京都東村山市諏訪町1-26-3徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、開山年は元和年中(1615~1623)と伝えられている。徳蔵寺は当時赤坂種徳寺末であったが、徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、 璧英禅師を奉請し中興開山となって頂き、全叟由禅師「自ら」は徳蔵寺中興2代(世)となった。(リンク先より) << 戻る 1560.01.01 便り年表
便り 東雲寺-東京都町田市 ・東雲寺 曹洞宗 東京都町田市成瀬4464曹洞宗東雲寺は、『新編武蔵風土紀稿』(しんぺんむさしふどきこう)によれば「字奈良谷あり。寺領六石三斗の御朱印を賜りしは慶安元年(1648)7月7日なり。(中略)その地を領せしはそれよりも先なることしるべし。曹洞宗にて小机村(横浜市港北区)雲松院(うんしょういん)末寺なり。龍谷山 成就院(りゅうこくざん じょうじゅいん)と号す。開祖僧・龍谷(性孫)は天文5年(1536)5月27日に寂せり。(リンク先より) 1536.05.27 便り年表
便り 祥雲寺-東京都豊島区 ・祥雲寺 曹洞宗 東京都豊島区池袋3-1祥雲寺が開山したのは、江戸時代より前のこと。小田原・北条氏が関東を治めていた1532年(天文元年)、豪族・江戸氏の館だった江戸城(和田倉門)の内側に、約30年をかけた大伽藍が完成しました。しかし江戸のまちづくりを進める徳川家康の命により、祥雲寺は城内から神田へ移転。その後も日暮里、白山と2度の引っ越しを余儀なくされ、大正4年、4度目の移転でようやく現在の地に根を下ろしました。(リンク先より) << 戻る 1532.01.01 便り年表
便り 源証寺-東京都足立区 ・源証寺 単立(浄土宗系) 東京都足立区入谷2-15-251532年(天文元年)、十蓮社念誉一向源證上人によって開山された。境内には、江戸時代中期に建立された太子堂がある。太子堂の天井は格天井になっており、その一つ一つに絵が描かれている。聖徳太子を祀る太子堂は足立区内唯一であり、足立区の文化財に登録されている。山号 入谷山院号 太子院本尊 阿弥陀三尊札所等 荒綾八十八ヶ所霊場39番札所<< 戻る 1532.01.01 便り年表
便り 祥雲寺-東京都町田市 ・龍澤山 祥雲寺 曹洞宗 東京都町田市高ケ坂7-15-1当寺院は、山号を龍澤山、寺号を祥雲寺と称し、小田原大雄山最乗寺住職輪番ならびに一万石の格式にて、大永6年(1526)8月、現在の神奈川県伊勢原市石雲寺第三世寥堂秀郭大和尚を請して開山とし、小田原北條家が武運長久祈願のためと檀信徒の帰依のためとに因って建立され現在に至っております。(リンク先より) << 戻る 1526.08.01 便り年表
便り 松門寺-東京都八王子市 ・松門寺 曹洞宗 東京都八王子市片倉町212延徳元年(1487年)、子安六萬坊の地に虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)を本尊として開創され当初子安山松門寺と称しました。本尊は密教の菩薩であり当初は密教の寺であったかと推測されます。慶長元年、寺町に移され鶴壽山と山号を改め、禅室祖参大和尚を心源院より請し禅宗として坐禪の真髄を伝えていくことになります。(リンク先より) << 戻る 1487.01.01 便り年表
便り 増上寺-東京都港区 ・大本山増上寺 浄土宗 東京都港区芝公園4-7-35酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。(リンク先より) << 戻る 1470.01.01 便り年表
便り 龍眼寺-東京都江東区 – 萩寺 ・龍眼寺 通称萩寺 天台宗 東京都江東区亀戸3-34-2龍眼寺創建は応永2年(1395年)、良博大和尚が観世音の夢告とおり、柳島辻堂の下に眠る観世音をまつり、村に流行していた疾病を平癒し、慈雲山無量院柳源寺と号しました。その後、寺の湧き水で洗顔すると目がよくなると眼病平癒の観世音として信仰を集め、龍眼寺と改名しました。(リンク先より) << 戻る 1395.01.01 便り年表
便り 常保寺-東京都青梅市 ・瀑布山常保寺 臨済宗建長寺派 東京都青梅市滝ノ上町1316当寺は、昭和39年発行の「稿本青梅市史第6集」によると、応永年間(室町時代・西暦1394年)天ケ瀬町の真言宗金剛寺の第2世により創建されましたが、西暦1400年代頃になり、山梨県の塩山恵林寺より吹峰宗陰禅師が赴き臨済宗に転宗となりました。(リンク先より) << 戻る 1394.01.01 便り年表
便り 心光院-東京都港区 心光院 浄土宗 東京都港区東麻布1-1-5明徳4年(1393)、江戸の「貝塚」(現在の千代田区麹町付近)の地に酉誉聖聰上人が増上寺を開山し、山内に学寮として庵を結んだことからと伝わります。 慶長3年(1598)、増上寺は徳川家の菩提寺に定められ、現在地である芝への移転に心光院も随行しました。将軍の霊廟や子院学寮をいただく芝増上寺は、浄土宗の東国の要として発展します。やがて心光院は、元禄8年(1695)、徳川二代将軍秀忠公(台徳院殿)菩提のため、増上寺の別院・念仏道場となりました。(リンク先より)<< 戻る 1393.01.01 便り年表
便り 円泉寺-東京都世田谷区 ・円泉寺 真言宗豊山派 東京都世田谷区太子堂3-30-8聖王山法明院円泉寺の草創は、遅くとも 南北朝時代 末期(~1392)のころには、太子堂ならびに小堂(円泉寺前身・円泉坊)が結ばれていたものと推察され、 文禄4年(1595)、 賢惠(けんけい)大和尚によって中興がなされました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表