富山県富山市

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慶集寺-富山県富山市

・慶集寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市岩瀬町170<< 戻る
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仏照寺-富山県富山市

・仏照寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市高屋敷840−10<< 戻る
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光暁寺-富山県富山市

・光暁寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市下新本町9-22<< 戻る
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覚玄寺-富山県富山市

・覚玄寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市呉羽町3679-2<< 戻る
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安立寺-富山県富山市

・安立寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市友杉284<< 戻る
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銀山寺-富山県富山市

・銀山寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市向新庄町2-3-5<< 戻る
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明淳寺-富山県富山市

・明淳寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市婦中町下井沢2334<< 戻る
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西勝寺-富山県富山市

・西勝寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町城生1669<< 戻る
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勝善寺-富山県富山市八尾町

・勝善寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町城生1246<< 戻る
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光讃寺-富山県富山市

・光讃寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市稲代11-108<< 戻る
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善久寺-富山県富山市

・善久寺 真宗大谷派 富山県富山市稲荷元町2-10-12<< 戻る
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福恩寺-富山県富山市

・福恩寺 真宗大谷派 富山県富山市堀川小泉町519<< 戻る
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康楽寺-富山県富山市

・康楽寺 真宗大谷派 富山県富山市山田白井谷719<< 戻る
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西元寺-富山県富山市

・西元寺 真宗大谷派 富山県富山市草島511<< 戻る
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富山別院-富山県富山市

・富山別院 真宗大谷派 富山県富山市総曲輪2-8-29明治維新という日本が大変革された時代に、廃仏毀釈の嵐が富山藩を吹き荒れました。明治3年、藩内の仏教諸宗に対して一宗に一カ寺しか存続を認めない「合寺令」が断行されたのです。権力による激烈な仏教弾圧によって、藩内の200以上の真宗寺院が取り壊されました。 念仏の灯火が消されそうになった地に、門徒たちは聞法の場を求めました。明治19年、富山城の外堀を埋め立てて説教所の敷地にしようと「砂持奉仕」が実施されました。延べ7000人以上の人々が神通川から土砂を運び、埋め立てて、現在の総曲輪に寺地を築きました。これが富山別院の始まりです。(リンク先より)※...
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本願寺富山別院-富山県富山市

・本願寺富山別院 浄土真宗本願寺派 富山県富山市総曲輪2-7-121800年頃 (寛政年間~天保頃)川端町に町屋を買い本山会所を設ける1884年(明治17年) 9月13日 別院昇格の許可(以後3度の火災にあうが復興する) 1945年(昭和20年) 8月1日 深夜、富山大空襲にて別院4度目の焼失1946年(昭和21年) 8月1日 仮本堂入仏法要(リンク先より)<< 戻る
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真国寺-富山県富山市

・真国寺 曹洞宗 富山県富山市八ケ山4185春に雪の立山連峰、脚下に日本海を一望できる標高八十メートルの高台に曹洞宗、長岡山御廟真国寺があります。延宝三年(1675年)富山藩主前田公の廟所”長岡御廟”守り役として建立されました。(リンク先より) << 戻る
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長蓮寺-富山県富山市

・長蓮寺 法華宗(陣門流) 富山県富山市西中野本12-8法華宗総本山本成寺の8世日覺聖人が富山を通りかかられた時、天台宗(当時)の本覚寺と言うお寺で「法華経」の教義をお説きになりました。当時の住職はとても感銘を受け、法華宗に改宗し 一寺を富山覚中町に建立されました。これが「長蓮寺」です。 1556年(弘治2年)3月4日の事でした。(リンク先より) << 戻る
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聞名寺-富山県富山市

・桐野山聞名寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町今町1662聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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玉永寺-富山県富山市

・玉永寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市水橋西大町560本県最古の本願寺門徒集団。本願寺三代覚如の長男存覚の『存覚袖日記』の1360年(延文5)閏4月条には越後柿崎庄(現新潟県柿崎町)に住む教浄房が持参した本尊軸に、存覚が、<越中国水橋門徒 越後国柿崎住人尼浄円本尊也>と書いたとある。この本尊軸は、法然・親鸞・如信・覚如の4祖を描いた先徳連座像で、これら先徳から法系が水橋門徒へと手継(継承)されたことを存覚が認めたことになる。(リンク先より) << 戻る
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来迎寺-富山県富山市

来迎寺は、大宝2年(702年)創建時には五智山円福寺といいました。立山説法ケ原にある立山権現の別当職を代々務め、久寿2年(1155年)に婦負郡荻の島に移ったと伝えられていました。光明房林海上人は浄土宗開祖の法然上人のもとに帰位し、直弟子となり、建久8年(1197年)に光明山摂取院来迎寺と改称し、「北国念佛最初道場」を開きます。文亀2年(当山二十六世)萩の島より富山町桑原(右寺町)に移り慶長14年(当山二十八世)高岡木町に、慶長19年再び富山古寺町旧地に戻り、万冶5年に現在地に移っている。所蔵されている鎌倉時代初期の作、本尊「木造阿弥陀如来立像」、及び鎌倉時代中期の作「絹本彩色騎獅文珠菩薩図」は...