木魚は仏具の一種、あるいは打楽器の一種として使われています。中国では北宋(960~1127年)の頃に魚形のものが現れていたようです。魚はまぶたがありませんね。ですから、その目は閉じることが出来ません。魚が昼夜目ざめているように見えることから、不眠勉学をさとし怠惰を戒めたことにもとづくといわれています。
木魚がどのような用途で使われてきたかですが、はじめは寺院などで衆を集めるための鳴物であったようです。形は横に長く、魚の形をそのまま形どったものでした。木魚鼓(もくぎょく)、魚鼓(ぎょく)、魚板(ぎょばん)、魚ほう(ぎょほう:ほうは「木」へんに「邦」梆)などとも呼ばれていました。
明(1368~1644年)の頃になると、細長い魚の形から頭と尾が相接する円形となりました。その後、さらに一身二頭の円形竜頭に変わり、読経唱名(どきょうしょうみょう)の声を合わせるために使われるようになりました。魚形から竜形に変化したのは、「魚が化して竜となる」との故事によるもので、凡より聖に至る意味を表わすといわれています。
日本へは江戸時代の承応年間(1652~1655年)に黄檗宗(おうばくしゅう)が中国から伝来した時にともに伝わってきました。それから、曹洞宗、臨済宗、天台系、浄土系などの諸宗の間に使用されるようになりました。読経時には木魚を「ばい」や「撞木(しゅもく、しもく)」と呼ばれる棒で叩いて鳴らします。
現在、木魚と呼ばれるものは読経唱名に用いられ、木魚とは別に魚鼓、魚板の類は日常の行事、儀式、作法などの合図に用いられています。
<< 戻る