仏教を本気で学ぶ

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学生カッパ

学生カッパは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】11、学生カッパの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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ニガンタ・ナータプッタ(マハーヴィーラ/尼乾陀若提子/大勇)

ニガンタ・ナータプッタは、ジャイナ教の開祖でお釈迦様とほぼ同時代にマガダ国(摩訶陀国)周辺で活躍しました。『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に登場する仏教の側から見て異端だと見なされた六師外道の1人です。はじめはバラモン教の一派ニガンタ派で修行したため「ニガンタ」と称されていますが、修行期を経て従来のバラモンの教えに満足できずニガンタ派の教義からジャイナ教を確立し、以来「マハーヴィーラ」(偉大な勇者)の尊称でも知られています。また、ナータ族の出身であることからナータプッタ(ナータ族の子)と呼ばれました。ニガンタ・ナータプッタは、相対主義、苦行主義、要素実在説者で、霊魂は永遠不滅の...
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パスーラ

パスーラは『スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】8、パスーラ』内に登場してお釈迦様に論争を挑んだと思われる記述があります。<< 戻る
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学生ジャトゥカンニン

学生ジャトゥカンニンは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】12、学生ジャトゥカンニン』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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結髪の行者ケーニヤ

結髪の行者ケーニヤは『スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ』に登場するお釈迦様の信者です。また、セーラ・バラモンのことも信奉していました。上記の章で結髪の行者ケーニヤがお釈迦様に食事を供養する様子が記されています。<< 戻る
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マーガンディヤ

マーガンディヤは『スッタニパータ【第4 八つの詩句の章】9、マーガンディヤ』内に登場してお釈迦様に反対意見をぶつけている記述があります。信奉者だけを登場させるわけではない点がリアルで、敵対する意見にどのようにお釈迦様が説いたかが分かります。<< 戻る
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学生バドラーヴダ

学生バドラーヴダは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】13、学生バドラーヴダ』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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田を耕すバラモン・バーラドヴァージャ

田を耕すバラモン・バーラドヴァージャは『スッタニパータ【第1 蛇の章】4、田を耕すバーラドヴァージャ』に登場する。ブッダの弟子となり、悟りを得る。<< 戻る
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セーラ・バラモン

セーラ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】7、セーラ』に登場するお釈迦様の弟子です。上記の章でセーラ・バラモンの信奉者である結髪の行者ケーニヤがお釈迦様に食事を供養する準備をしていたことを切っ掛けにお釈迦様の弟子になったことが記されています。<< 戻る
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学生ウダヤ

学生ウダヤは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】14、学生ウダヤの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
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自力本願と小乗仏教

子ども向けの学習書に目を通す鎌倉新仏教の説明書きその特色として他力本願と自力本願とあるこれを偏向という他力本願が優れていることを示すための自力本願という言葉だと思う自・他の区別を無くしたものが仏教が指し示すところ鎌倉新仏教もそうだったただ自分のところの宗派が優れていると思うことは当然のこと自分のことはよく見えるから智慧が足りないとそんな表現になる大乗仏教もそう自分たちの大乗仏教は優れていると思っているから智慧が足りないと自分たち以外のことを小乗仏教と呼んでしまうこれは差別的な表現で上座部仏教と正される人は対比することですっきりしたい他力本願と自力本願大乗仏教と小乗仏教だからといって片方の言い分...
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無量相仏(むりょうそうぶつ)

無量相仏とは、無量のかたまりを持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitaskandha(アミタ・スカンダ)といいます。また、無量相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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梵音仏(ぼんのんぶつ)

梵音仏とは、梵天の音声ある者という意味の上方の現在仏です。梵語では brahmaghosa(ブラフマ・ゴーシャ)といいます。また、梵音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量幢仏(むりょうどうぶつ)

無量幢仏とは、無量なる幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitadhvaja(アミタ・ドバージャ)といいます。また、無量幢如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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宿王仏(しゅくおうぶつ)

宿王仏とは、星たちの王という意味の上方の現在仏です。梵語では naksatraraja(ナクシャトラ・ラージャ)といいます。また、宿王如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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大光仏(だいこうぶつ)

大光仏とは、大いなる光輝ある者という意味の西方の現在仏です。梵語では mahaprabha(マハー・プラバ)といいます。また、大光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。なお、『阿弥陀経』にこの大光仏に続いて大明仏がチベット訳と漢訳に列記されていますが、その他の原典には見られない為、別の仏である可能性もありますが、同じ意味を持ちそうなこの大光仏に合わせて記入しておきます。<< 戻る
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インドラケートゥ・ドバージャ・ラージャ

インドラケートゥ・ドバージャ・ラージャとは、帝釈天の幢幡<はたぼこ>の王という意味の上方の現在仏です。漢訳仏典には翻訳されなかったので漢字の名前はありません。梵語では indraketudhvajaraja(インドラケートゥ・ドバージャ・ラージャ)といいます。<< 戻る
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宝相仏(ほうそうぶつ)

宝相仏とは、大いなる宝の幢を持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では maharatnaketu(マハー・ラトナケートゥ)といいます。また、宝相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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香上仏(こうじょうぶつ)

香上仏とは、最上の香りある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhottama(ガンドゥーツタマ)といいます。また、香上如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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浄光仏(じょうこうぶつ)

浄光仏とは、清らかな光線の光明ある者という意味の西方の現在仏です。梵語では suddharasmiprabha(シュッダ・ラシュミ・プラバ)といいます。また、浄光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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香光仏(こうこうぶつ)

香光仏とは、香りの光輝ある者という意味の上方の現在仏です。梵語では gandhaprabhasa(ガンダ・プラバーサ)といいます。また、香光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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阿閦鞞仏(あしゅくびぶつ)

阿閦鞞仏とは、阿閦鞞如来、阿閦仏、阿閦如来という記述でも同様に、梵語で Akṣobhya(アクショービヤ)といい、不動なる者という意味の東方の現在仏です。阿閦婆などとも音写し、他にも無動(無動如来)、無瞋恚、無怒、不動などと意訳されている場合もあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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最勝音仏(さいしょうおんぶつ)

最勝音仏とは、その音があまねく鳴り響いている者という意味の北方の現在仏です。梵語では Vaisvanaranirghosa(ヴァイシヴァーナラ・ゴーシャ)といいます。また、最勝音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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雑色宝華厳身仏(ざっしきほうけごんしんぶつ)

雑色宝華厳身仏とは、身体が宝の花で飾られた者という意味の上方の現在仏です。梵語では ratnakusumasampuspitagatra(ラトナ・クスマ・サンプシピタ・ガートラ)といいます。また、雑色宝華厳身如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須弥相仏(しゅみそうぶつ)

須弥相仏とは、須弥山の幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の東方の現在仏です。梵語ではメール・ドバージャといいます。また、須弥相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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無量天鼓震大妙音仏(むりょうてんくしんだいみょうおんぶつ)

無量天鼓震大妙音仏とは、その音声が太鼓の響きの如き者という意味の北方の現在仏です。梵語では dundubhisvaranirghosa(ドゥンドゥビ・スヴァラ・ニルゴーシャ)といいます。また、無量天鼓震大妙音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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娑羅樹王仏(さらじゅおうぶつ)

娑羅樹王仏とは、樹王サーラの王という意味の上方の現在仏です。梵語では salendraraja(サーレーンドララージャ)といいます。また、娑羅樹王如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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大須弥仏(だいしゅみぶつ)

大須弥仏とは、大いなる須弥山という意味の東方の現在仏です。梵語ではマハー・メールといいます。また、大須弥如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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難沮仏(なんそぶつ)

難沮仏とは、襲い難き者という意味の北方の現在仏です。梵語では duspradharsa(ドゥシプラダルシャ)といいます。また、難沮如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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宝華徳仏(さらじゅおうぶつ)

宝華徳仏とは、宝の蓮花の様に美麗なという意味の上方の現在仏です。梵語では ratnotpalasri(ラトノートパラシュリー)といいます。また、宝華徳如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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須弥光仏(しゅみこうぶつ)

須弥光仏とは、須弥山の輝きある者という意味の東方の現在仏です。梵語ではメール・プラバーサといいます。また、須弥光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
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日生仏(にっしょうぶつ)

日生仏とは、太陽から生まれた者という意味の北方の現在仏です。梵語では Adityasambhava(アーディティア・サンバヴァ)といいます。また、日生如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る