仏教を本気で学ぶ

人物

スタンダリカ・バーラドヴァージャ

スタンダリカ・バーラドヴァージャは『スッタニパータ【第3 大いなる章】4、スタンダリカ・バーラドヴァージャ』に登場するお釈迦様の弟子です。上記の章でバラモンの家に生まれたスタンダリカ・バーラドヴァージャはお釈迦様に質問する様子が記されています。<< 戻る
人物

トーデーヤ・バラモン

トーデーヤ・バラモンは『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内でお釈迦様の生きていた時代、コーサラ国のイッチャーナンガラ村に住んでいる著名なバラモンとして紹介されています。<< 戻る
人物

学生ティッサ・メッテイヤ

学生ティッサ・メッテイヤは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】3、学生ティッサ・メッテイヤの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

マーガ

マーガは『スッタニパータ【第3 大いなる章】5、マーガ』に登場するお釈迦様の在家信者です。上記の章でマーガ青年がお釈迦様に質問する様子が記されています。<< 戻る
人物

ヴァーセッタ青年

ヴァーセッタ青年は『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内に登場するお釈迦様の弟子です。バラモンの家に生まれ、バラモンの師であるポッカラサーティについて学び、ヴェーダの語句と文法とに精通していましたが、コーサラ国のイッチャーナンガラ村においてバーラドヴァージャ青年とのやりとりから、「生まれによってバラモンとなるのか、それとも行いによってバラモンになるのか」をお釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

学生プンナカ

学生プンナカは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】4、学生プンナカの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

サビヤ

サビヤは『スッタニパータ【第3 大いなる章】6、サビヤ』に登場するお釈迦様の弟子です。上記の章で遍歴の行者サビヤがお釈迦様に質問する様子が記されています。<< 戻る
人物

バーラドヴァージャ青年

バーラドヴァージャ青年は『スッタニパータ【第3 大いなる章】9、ヴァーセッタ』内に登場するお釈迦様の弟子です。バラモンの家に生まれ、バラモンの師であるタールッカについて学び、ヴェーダの語句と文法とに精通していましたが、コーサラ国のイッチャーナンガラ村においてヴァーセッタ青年とのやりとりから、「生まれによってバラモンとなるのか、それとも行いによってバラモンになるのか」をお釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

学生メッタグー

学生メッタグーは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】5、学生メッタグーの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
人物

コーカーリヤ

コーカーリヤは『スッタニパータ【第3 大いなる章】10、コーカーリヤ』内に登場するお釈迦様の弟子です。ある時、お釈迦様が祇園精舎にいましたが、コーカーリヤは「サーリプッタとモッガラーナとは邪念があります。悪い欲求に捕らわれています。」と再三訴えました。それに対して再三「温良な性の人たちだから信じなさい」と諫められたものの、コーカーリヤは、サーリプッタおよびモッガラーナに対して敵意をいだいていたので、死んだ後、紅蓮地獄に生まれたことが記されています。<< 戻る
人物

学生ドータカ

学生ドータカは『スッタニパータ【第5 彼岸にいたる道の章】6、学生ドータカの質問』内に登場するバーヴァリ・バラモンの弟子で、お釈迦様に質問します。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

自力本願と小乗仏教

子ども向けの学習書に目を通す鎌倉新仏教の説明書きその特色として他力本願と自力本願とあるこれを偏向という他力本願が優れていることを示すための自力本願という言葉だと思う自・他の区別を無くしたものが仏教が指し示すところ鎌倉新仏教もそうだったただ自分のところの宗派が優れていると思うことは当然のこと自分のことはよく見えるから智慧が足りないとそんな表現になる大乗仏教もそう自分たちの大乗仏教は優れていると思っているから智慧が足りないと自分たち以外のことを小乗仏教と呼んでしまうこれは差別的な表現で上座部仏教と正される人は対比することですっきりしたい他力本願と自力本願大乗仏教と小乗仏教だからといって片方の言い分...
仏教を本気で学ぶ

須弥光仏(しゅみこうぶつ)

須弥光仏とは、須弥山の輝きある者という意味の東方の現在仏です。梵語ではメール・プラバーサといいます。また、須弥光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

日生仏(にっしょうぶつ)

日生仏とは、太陽から生まれた者という意味の北方の現在仏です。梵語では Adityasambhava(アーディティア・サンバヴァ)といいます。また、日生如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

見一切義仏(けんいっさいぎぶつ)

見一切義仏とは、一切の意義を見る者という意味の上方の現在仏です。梵語では sarvarthadarsa(サルヴァールタ・ダルシャ)といいます。また、見一切義如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

妙音仏(みょうおんぶつ)

妙音仏とは、妙なる幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の東方の現在仏です。梵語では Manjudhvaja(マンジュ・ドバジャ)といいます。また、妙音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

網明仏(もうみょうぶつ)

網明仏とは、網の様に広く覆う光明ある者という意味の北方の現在仏です。梵語では jaliniprabha(ジャーリニー・プラバ)といいます。また、網明如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

如須弥山仏(にょしゅみせんぶつ)

如須弥山仏とは、須弥山の如き者という意味の上方の現在仏です。梵語では sumerukalpa(スメール・カルパ)といいます。また、如須弥山如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

師子仏(ししぶつ)

師子仏とは、獅子という意味の下方の現在仏です。梵語では simha(シンハ)といいます。また、師子如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

日月灯仏(にちがつとうぶつ)

日月灯仏とは、月と太陽のごとき燈明ある者という意味の南方の現在仏です。梵語では candrasUryapradIpa(チャンドラ・スーリヤ・プラディーパ)といいます。また、日月燈如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

名聞仏(みょうもんぶつ)

名聞仏とは、名声という意味の下方の現在仏です。梵語では yasas(ヤシャス)といいます。また、名聞如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

名聞光仏(みょうもんこうぶつ)

名聞光仏とは、ほまれの光ある者という意味の南方の現在仏です。梵語では yasahprabha (ヤショー・プラバ)といいます。また、名聞光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

名光仏(みょうこうぶつ)

名光仏とは、名声という光輝ある者という意味の下方の現在仏です。梵語では yasahprabhasa(ヤシャハ・プラバーサ)といいます。また、名光如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

大焔肩仏(だいえんけんぶつ)

大焔肩仏とは、大いなる炎のかたまりを持つ者という意味の南方、北方、上方の現在仏です。梵語では maharciskandha (マハー・ルチ・スカンダ)といいます。また、大焔肩如来、焔肩仏と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

達摩仏(だつまぶつ)

達摩仏とは、法という意味の下方の現在仏です。梵語では dharma(ダルマ)といいます。また、達摩如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

須弥灯仏(しゅみとうぶつ)

須弥灯仏とは、須弥山の如きの灯明ある者という意味の南方の現在仏です。梵語では merupradipa(メール・プラディーパ)といいます。また、須弥灯如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

法幢仏(ほうどうぶつ)

法幢仏とは、法の幢幡<はたぼこ>を持つ者という意味の下方の現在仏です。梵語では dharmadhvaja(ダルマ・ドバージャ)といいます。また、法幢如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

無量精進仏(しゅみとうぶつ)

無量精進仏とは、限りなき精進を為す者という意味の南方の現在仏です。梵語では anantavirya(アナンタ・ヴィーリヤ)といいます。また、無量精進如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

持法仏(じほうぶつ)

持法仏とは、法を持つ者という意味の下方の現在仏です。梵語では dharmadhara(ダルマ・ダラ)といいます。また、持法如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

阿弥陀仏(あみだぶつ)

西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)の中心にいる仏です。もともとの梵名は「アミターバ」あるいは「アミターユス」 といい、それを音写して「阿弥陀」、漢訳して無量光、無量寿とも呼ばれます。阿弥陀如来と呼ぶ場合もあり、如来とは悟りを開いた仏の姿です。また、略して、弥陀仏とも呼ばれることもあります。無量光仏、無量寿仏。浄土教の本尊で、現在も説法し、衆生(人間をふくむ全ての生き物)を救う活動を続けています。日本では、浄土信仰の勢いが盛んになるにともない、彫刻・図像の制作が行われ、平安時代中期以後、浄土美術の中心となりました。(→ 阿弥陀如来像)10円玉のデザインに採用されている平等院鳳凰堂(びょうど...
仏教を本気で学ぶ

無量相仏(むりょうそうぶつ)

無量相仏とは、無量のかたまりを持つ者という意味の西方の現在仏です。梵語では amitaskandha(アミタ・スカンダ)といいます。また、無量相如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る
仏教を本気で学ぶ

梵音仏(ぼんのんぶつ)

梵音仏とは、梵天の音声ある者という意味の上方の現在仏です。梵語では brahmaghosa(ブラフマ・ゴーシャ)といいます。また、梵音如来と記述されることもあります。如来とは悟りを開いた仏の姿です。<< 戻る