ブッダが涅槃に入ってから、何を信仰対象にすればいいか人々は考えました。ブッダの教えに対する信仰はあったのですが、より分かりやすく伝えるためにはどうしたらいいのか?
ブッダの教えで「自燈明、法燈明」があり、その言葉は「私が亡くなった後は自分自身にある仏法を拠り所にしなさい」と言いましたが、実際に残された人々は次第に迷い、悩み、救いを求めるようになったのです。そして、仏法への理解を助けるためにも、出来ることなら形で見える信仰対象が欲しいと求めたのでした。
初期仏教では仏舎利(ブッダの遺骨)への信仰が中心でしたが、次第にブッダの足型を刻んだ仏足石【写真】、法輪(ほうりん)、ストゥーパ(塔)、菩提樹(ぼだいじゅ)などに対してブッダに対するのと同じく礼拝するようになりました。仏像が作られるようになったのはもっと後のことです。
ちなみに写真のような仏足石が日本に伝わったのは奈良時代で、さらに模写されて日本各地に伝えられたと言われます。その頃には仏像も同じように伝えられましたので、日本には歴史的な礼拝対象の変遷と関係なく同時に入ってきたということも注目に値します。
(仏足石 清澄寺境内)
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