buddhism

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了賢寺-和歌山県海南市

・了賢寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県海南市冷水浦483文明8年(1476年)3月に紀伊国阿間郡(きいのくに あまのこうり)清水浦の住人、喜六太夫(きろくだゆう)が熊野街道の藤白峠の『御所の芝』(別名『後世の芝』)にて、熊野参詣の途中の本願寺第8代宗主(しゅうしゅ)蓮如上人に出会い、上人より直々に「他力念仏の教え」を教導いただく。 上人熊野よりの帰路の途中、喜六太夫の案内により清水浦に立ち寄られ、太夫の自宅にて更に教えを受け、太夫は浄土真宗のみ教えに帰依し、上人の直弟子となって、「釋了賢(りょうけん)」という法名を頂きました。その後、自宅に上人直筆の「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の六字名号(ろ...
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大樹寺-愛知県岡崎市

・大樹寺 浄土宗 愛知県岡崎市鴫田町広元5-1成道山松安院大樹寺は、安城城主松平左京亮親忠法名大胤西忠が真蓮社勢誉愚底を開山として文明7年(1475)2月22日創建した浄土宗の寺院である。(リンク先より) << 戻る
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長泉寺-埼玉県本庄市

・長泉寺 曹洞宗 埼玉県本庄市児玉町高柳901長泉寺は曹洞宗で、伊豆国奨茂郡宮上村(静岡県田方郡中伊豆町)最勝院の直末、山号は大用山で、本尊は釈迦牟尼仏です。開山は最勝院第四世住職大洞存奝、開基は文明四年(1474)、上州平井城主関東管領上杉顕定といわれています。(リンク先より) << 戻る
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浄明寺-千葉県船橋市

・浄明寺 じょうみょうじ 浄土真宗本願寺派 千葉県船橋市楠が山町231浄明寺の沿起は、文明6年(1474年)本願寺中興の祖と称されます蓮如上人(れんにょしょうにん)が、越前の国吉崎(福井県)に下向されておられました時、美濃国(現在の岐阜県)に天台崇僧が吉崎に行き、蓮如上人に帰依して名を西蓮(さいれん)と改め、念仏の道を広めるために越中の野積谷(のずみだに)に一寺を建立した時を縁起とします。(リンク先より) << 戻る
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細川勝元(ほそかわかつもと)

室町時代中期の武将・守護大名。室町幕府16・18・21代管領。土佐国・讃岐国・丹波国・摂津国・伊予国守護。細川京兆家11代当主。応仁の乱の東軍総大将として知られている。生誕 永享2年(1430年)命日 文明5年5月11日(1473年6月6日)龍安寺殿宗寶仁榮大居士<< 戻る
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山名宗全(やまなそうぜん/持豊/もちとよ)

室町時代の武将、守護大名。家系は新田氏庶流の山名氏。室町幕府の四職の家柄で侍所頭人。但馬・備後・安芸・伊賀・播磨守護。山名時熙の3男で、母は山名氏清の娘。諱は持豊で、宗全は出家後の法名。応仁の乱の西軍の総大将として知られ、西軍の諸将からは宗全入道または赤入道と呼ばれていた。生誕 応永11年5月29日(1404年7月6日)命日 文明5年3月18日(1473年4月15日)達碧院殿最高宗峯大居士<< 戻る
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蓮如、『正信偈』・『三帖和讃』開板

1473(文明五)年3月、蓮如上人、『正信偈』・『三帖和讃』開板。<< 戻る
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徳性寺-石川県加賀市

・徳性寺 浄土真宗本願寺派 石川県加賀市山中温泉菅谷町ヘ30当寺の「御旧跡略縁起」「天保由緒書」によりますと、往古は天台宗豊原三千坊の一宇で西潟の西芳寺と称したとあります。本願寺の八代目、蓮如上人が加賀越前の境の吉崎に滞在中、文明五年(1473)加賀の山中温泉ご入湯の途中、当菅谷村に立ち寄られました。上人は越前藤島の超勝寺より、国境の大内峠を越えて、当寺の前の石に腰を掛け休憩されました。(リンク先より) << 戻る
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妙行寺-福岡県福岡市南区

・妙行寺 単立 福岡県福岡市南区野間4-33-38当寺は往昔天台宗盧原道場と称し、創建以来世々博多市街の中心部に位置していた。文明5年時の住僧良言が、本願寺蓮如上人に帰依して真宗となり、妙行寺の寺号を授与された。当寺では、改宗した良言を以て中興第一世住職としている。(リンク先より)※文明5年 1473年 << 戻る
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善興寺第41世俊乗法師と蓮如上人

文明5年(1473)、善興寺第41世俊乗法師は、越前吉崎を拠点に北陸地方を巡教していた本願寺第8世の蓮如上人の教化に遇い、浄土真宗に帰依します。<< 戻る
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『正信偈』(しょうしんげ)

『正信偈』とは略称で、正式には『正信念仏偈』(しょうしんねんぶつげ)といい、親鸞聖人の著書『教行信証』の「行巻」の末尾にある偈文です。全ての人に同じ心になってもらいたいという親鸞聖人の想いから、七言60行120句の偈文にまとめられたものです。浄土真宗で『正信偈』をお勤めするようになったのは、本願寺第8世蓮如上人(1415~1499年)が越前の吉崎(福井県あわら市吉崎)にいた文明5年(1473年)からです。それまでの浄土真宗では、善導大師の『六時礼讃』を日常のお勤めとしていたのを改め、親鸞聖人の『正信偈』と『三帖和讃』とを合わせて木版で印刷・出版し、僧侶・門徒がともに朝夕の勤行として読誦するよう...
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岩松院-長野県上高井郡

・岩松院 曹洞宗 長野県上高井郡小布施町大字雁田615荻野備後守常倫が雁田の辺に20端の城塁をつくり岩松と称しました。開創は文明4年(1472年)、開山は不琢玄珪禅師。本尊仏は宝冠をいただく釈迦牟尼仏で、江戸時代初期(慶長かその直後)に作られました。(リンク先より) << 戻る
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勝興寺-富山県高岡市

・勝興寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市伏木古国府17-1本願寺八世蓮如上人が、文明3年(1471年)越中の布教の拠点として、砺波郡蟹谷庄土山(現在の南砺市福光土山)に土山御坊を開き、蓮如の子孫が代々住職を務めました。本願寺が門跡に任ぜられると他の寺院と共に院家に任ぜられるなど、真宗王国越中における代表的寺院であると同時に、本願寺を支える連枝寺院の一つとして重要な働きをなしてきました。永正14年(1517年)寺号を本山に申請したところ、佐渡にあって廃絶していた順徳上皇勅願所「殊勝請願 興行寺」を再興相続して、勝興寺と称することを認められました。(リンク先より) << 戻る
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本願寺堺別院-大阪府堺市堺区

・本願寺堺別院 浄土真宗本願寺派 大阪府堺市堺区神明町東3-1-10蓮如上人は遣明船が帰港した翌年、文明2年6月に堺南庄の紺屋道場円浄に寿像(蓮如上人の肖像)を授けられ、同年10月には堺北庄の山口中町の樫木屋道場道顕に親鸞聖人御絵伝を、さらに文明8年(1476年)には同じく道顕に対して開基道祐の影像を、それぞれ免許されました。(リンク先より)※文明2年 1470年 << 戻る
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増上寺-東京都港区

・大本山増上寺 浄土宗 東京都港区芝公園4-7-35酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されました。その後、1470(文明2)年には勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきました。(リンク先より) << 戻る
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吉祥院-埼玉県川口市

・珍珠山・多聞寺・吉祥院 真言宗智山派 埼玉県川口市南町2-6-8珍珠山・多聞寺・吉祥院です。その歴史をさかのぼると今からおよそ550年前、1470年(文明2年)になります。この頃には荒川(旧入間川)の清域に堂宇が建立されていたと伝えられます。それから歳月の流れる中、末寺十一カ寺を有りし、鎮守には八幡社が勧請されておりました。(リンク先より) << 戻る
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正行寺-奈良県大和高田市

・正行寺 真宗大谷派 奈良県大和高田市有井335正行寺(しょうぎょうじ)は文明2年當麻四朗為網が(1470年)本願寺八代蓮如上人に帰依に出来た寺で大和高田では最初の真宗寺院です。(リンク先より) << 戻る
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光圓寺-広島県広島市中区

・光圓寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市中区寺町5-43光圓寺は、佛護寺十二坊の一つで、往古から川の内衆であって、安藝郡牛田村風呂の谷に所在し、宗旨は眞言宗であったが「願了」の代に、京都本願寺蓮如上人の弟子となり文明年間(室町時代1470年ごろ)浄土真宗に改宗し、初めは本願寺と号したが、本願寺派になった後東林坊と改めたと言われる。(リンク先より) << 戻る
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称名寺-大阪府茨木市

・称名寺 浄土真宗本願寺派 大阪府茨木市主原町5-37文明年間(1469~1486)に称名寺開基祐西が、蓮如上人に帰依し、念仏道場より始まった寺院で、永正17年(1520)に本願寺より方便法身尊像を授かる歴史の長い寺院です。(リンク先より) << 戻る
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白禅寺-福井県福井市

・白禅寺 真宗大谷派 福井県福井市三尾野町6-85当寺は、昔、曹洞宗で、もと丹生郡山下飯郷若須村にある曹洞宗柏庭寺の別院で「白蓮禅寺」といい、丹生郡織田村にありました。文明年間八世蓮如上人に帰依し、曹洞宗から真宗に改宗し、現在の福井市三尾野町に移り、寺号を「白禅寺」と改称しました。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
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全長寺-滋賀県長浜市

・全長寺 曹洞宗 滋賀県長浜市余呉町池原文明元年(1469)僧全長、池原村字新堂に阿弥陀如来を本尊とする浄土宗の一宇を開き、全長坊と称す。大永六年(1526)全長示寂を前に禅門に帰依し、同郡椿坂村曹洞宗桂照院二世頤正全養(いしょうぜんよう)に請うて全長坊を託す。慶弔二年(1597)頤正禅師、全長の意を受け全長坊を曹洞宗に転じ、寺名を久澤山全長寺と改め、当寺の開山となる。(リンク先より) << 戻る
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如来寺-栃木県日光市

・如来寺 浄土宗 栃木県日光市今市710文明年間(1469~87年)に常福寺(茨城県那珂市瓜連)の第5世・昇蓮社超譽聖欽上人の高弟であった金蓮社暁譽最勝大和尚によって開かれました。(暁譽上人の経歴は明らかではありません。永正13年(1516年)4月16日寂し、お墓は当寺の歴代上人の墓地にあります)(リンク先より) << 戻る
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常光寺-富山県下新川郡

・常光寺 真宗大谷派 富山県下新川郡朝日町泊283寺院明細帳や下新川郡史稿や寺院規則の沿革によると、「祖先は松厳といって前は真言宗で魚津の鹿熊に住んでおり、寺号を常光寺といったが、応仁の乱に戦争のため焼かれて、石川県大聖寺へ寓居(かりずまい)し、文明年間に蓮如聖人が吉崎で布教された時、真宗に帰依し明譚という法名を貰い相変らず常光寺といった。(リンク先より)※文明年間 1469年から1487年 << 戻る
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安福寺-茨城県つくば市

・安福寺 真言宗豊山派 茨城県つくば市西大橋459寺伝によると当山は鎌倉時代中期に創建され、中興第一世は永国大聖寺住職第六世の弟子、良栄が文明元年に再興し大伽藍を建立したが元禄年間に焼失、のちに再建し大師信仰の中心地として今に至る。当山名称は金剛山無量寿院安福寺と申し真言宗豊山派に属する古刹であります。(リンク先より)※文明元年 1469年 << 戻る
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照光寺-滋賀県蒲生郡

・照光寺 真宗大谷派 滋賀県蒲生郡日野町内池655應仁二年(1468年)近江源氏の始祖、源扶義卿より十九世の子孫である、花木吉成によって創立された寺院です。鎌倉時代の宝治元年(1247年)に佐々木信治が戦功によってこの地に住み、北條時頼公の上洛の途次に、信治の館舎(當寺)に停留の時、庭前の櫻花を愛観され、自ら扇子に櫻花を載せ、信治に与えてこれを家紋とし、また佐々木を改めて花木を姓とすべきと命じられました。(リンク先より) << 戻る
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教蓮寺-愛知県西尾市

・教蓮寺 ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県西尾市吉良町荻原川中24-1教蓮寺は応仁2年(1468年)に本願寺8代門主蓮如上人の教化を受け、当時吉良家の士族であった小野氏が出家してお弟子となり、法名釋明源をいただき、明源山教蓮寺を建立しました。寺号は蓮如上人より教えを受けたと言うことで、教えの「教」と、蓮如上人の「蓮」をいただき、「教蓮寺」となりました。(リンク先より) << 戻る
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瑞雲院-岐阜県岐阜市

・瑞雲院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19開山は天縦宗受(てんしょうそうじゅ)大和尚。金寶山瑞龍寺は1468年(応仁2年)後土御門天皇の御代にときの守護代斉藤妙椿(みょうちん)が主君の美濃守護、土岐成頼の菩提所として建立、悟渓宗頓(ごけいそうとん)国師を迎えて開山とした(瑞龍寺誌)。(リンク先より) << 戻る
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瑞龍寺-岐阜県岐阜市

・瑞龍寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市寺町19応仁二年(一四六八)美濃の国守斉藤利藤公(妙椿大居士)が、主君・土岐成頼公菩提の為当時大徳とあおがれた、悟渓宗頓禅師を迎え開いた。古く飛鳥時代より中林寺、厚見寺などと称した天台宗の寺が在り、その後廃寺となっていた由緒のあるところであった。妙心寺四派中の東海派の祖、悟渓宗頓禅師は荒廃していた寺域を修し、文明二年(一四七〇)に七堂伽藍を完成した。(リンク先より) << 戻る
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本宗寺-愛知県岡崎市

・本宗寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 愛知県岡崎市美合町字平地50応仁2年(1468年) 本願寺第八世の法主蓮如上人が、三河御巡化の折り、真宗繁昌の中心たるべき寺院として、額田郡土呂の郷に創建されました。蓮如上人につづき、第九世実如法主も本宗寺を拠点として三河門徒教化につとめられ、四男実円上人を本宗寺の初代住職に任ぜられました。(リンク先より) << 戻る
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聞名寺-富山県富山市

・桐野山聞名寺 浄土真宗本願寺派 富山県富山市八尾町今町1662聞名寺がはじめて越中に入ったのは応仁二年(1468)、本格的に拠点を移したのは大永四年(1524)であったと伝えます。八尾南部の山間地(乗峰や倉ヶ谷など)を経て、福島の台地に一旦寺域を構えましたが、越後上杉勢の来襲に備え、天文二十年(1551)、三方を崖に囲まれた旧い砦の址、「八尾前山」(現在地)に移りました。その後寛永十三年(1636)境内に八尾町建てがなされ、当寺は町そのものの母胎として今日に至っています。(リンク先より) << 戻る
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蓮乗寺-大阪府大阪市城東区

・蓮乗寺 真宗大谷派 大阪府大阪市城東区永田4-4-7応仁2年(1468年)に蓮如上人が叡福寺(南河内郡太子町)に参詣する途中、永田村の宮木久兵衛方に立ち寄り、その庭先の石に腰掛けて村人に説法されました。その後、上人の説法が数年に及び、信者の願いによって草庵を建立したのが蓮乗寺のはじまりとのことです。縁起によれば蓮如上人が説法されるとき、池の蛙が鳴くのをやめて上人の教えに聞き入ったとされています。今でも、かえるが鳴くのをやめたという不鳴池(なかずのいけ)や、上人が腰を掛けたという腰掛け石など、当時をしのばせるものが残っています。<< 戻る
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蓮華寺-京都府京都市右京区

・蓮華寺 真言宗御室派 京都府京都市右京区御室大内20藤原康基は、御冷泉天皇の御願により蓮華寺を建立。1467年応仁の乱の兵火にあい、蓮華寺は鳴滝音戸山の山上に移される。(リンク先より) << 戻る