buddhism

便り

永正寺-愛知県江南市

・【公式】江南 永正寺 臨済宗妙心寺派 愛知県江南市高屋町中屋舗46永正寺(高屋山永正寺・こうおくさんえいしょうじ)は、永正元年(1504年)に開創された、臨済宗妙心寺派の寺院です。所在地・江南市は、愛知県北県境を流れる木曽川の南に位置します。(リンク先より) << 戻る
便り

本念寺-香川県綾歌郡

・本念寺 真宗大谷派 香川県綾歌郡綾川町山田上甲256永正年間 念西坊建立(全讃史) 伝承によると松下本念 伝教大師の弟子となり台密を修得し帰郷の途次 阿波国海部郡由岐村に茅舎を結ぶ。二代良源に至って万松院弘道院本念寺と称した。(リンク先より)※永正年間 1504年から1521年 << 戻る
便り

西蓮寺-富山県砺波市

・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 富山県砺波市庄川町庄3804永正甲子元年《一五〇四年、五〇三年前》天台宗金剛寺教誓法師が浄土真宗本願寺九代の実如上人に帰依し西蓮寺と改称されました。当時該寺院は一の谷山に位置し、修行道場を始め伽藍も整い、周辺に存在する幾多の寺坊を圧したる主坊であったと伝えられています。後に現在地に遷居するに際し、金剛寺の寺号を今の村名に残されましたが、天和元年《一六八一年》加州候検地の際、雄神庄村と合併して庄金剛寺となったと旧記されています。(リンク先より) << 戻る
便り

玉泉寺-新潟県阿賀野市

・玉泉寺 曹洞宗 新潟県阿賀野市分田1043玉應山玉泉寺(ぎょくおうざんぎょくせんじ)は、その昔、真言宗の寺であった。 福聚山無量院(ふくじゅざんむりょういん)と称し、20世代まで続いた。開基は分田七郎俊長で彼の戦勝祈願の寺として建立され、俊長の墓が寺の脇の墓地にある。その後、永正元年(1504年)阿賀野市(旧水原町)にある西福寺の末寺として、雲山派天(うんざんはてん)大和尚によって禅宗の1つである曹洞宗に改宗され、開山された。(リンク先より) << 戻る
便り

長昌寺-栃木県足利市

・長昌寺 曹洞宗 栃木県足利市高松町450長昌寺の開創は今から500年前の文亀3年(1503年)と伝えられています。それは足利将軍家の世継ぎ問題で、11年も続いた『大仁の乱』がやっと終わり、足利幕府の権威が徐々に失われつつある時代でした。そのような時に、臨済宗の僧侶、玄甫蔵主によって開創されました。(リンク先より) << 戻る
人物

村田珠光(むらたじゅこう)

室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者とされる人物。なお僧侶であり本来ならば苗字は持たないが、慣習的に「村田珠光」という呼び方が広まっている。 近年では「しゅこう」と濁らないとする説もある。奈良に出生し、11歳の時、奈良の浄土宗・称名寺に入り出家。僧名である「珠光」の名は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』の語句「一々の珠、一々の光」からとられた。20歳以前に称名寺を出る。その後の経歴は不明。応仁の乱の頃には、奈良に帰るが、称名寺には戻らずに、東大寺の近くの北川端町で、庵を営む。当時の北川端町は、民家もない田園だった(『奈良坊目拙解』より)。生誕 応永29年(1422年)または30年(1423...
便り

松岩寺-神奈川県平塚市

・萬年山松岩寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県平塚市下吉沢614この地の地頭、布施三河守康貞は小田原北条時代の文亀2年(1502年)に同郷(山城国)の僧である如幻宗悟を請じ、曹洞宗大本山總持寺直末の寺院として、萬年山と号し開山した。開山の如幻宗悟の族性は菅原氏で、同じ神奈川県内では1503年に徳翁寺(横浜市戸塚区)、1519年に寶泉寺(藤沢市)の開山となっている。宗悟は享禄3年(1530年)11月20日に没したが、興山舜養・月松宗尖・陽始誾甫などの弟子を輩出し、相模国・武蔵国にその法を広めた。(リンク先より) << 戻る
便り

教深寺-愛媛県伊予郡

・教深寺 真言宗豊山派 愛媛県伊予郡松前町大間330開基、由来については、諸説があって確定し難い。文亀二年(一五〇二)金蓮寺七末寺の一寺として建立されたとも伝えられ、また明治初年の「寺院取調」によると、延宝七年(一六七九)仁良和尚の開山とも記され、当寺に伝わる「萬記録」によれば、享保一〇年(一七二五)開基とも記録されている。(リンク先より) << 戻る
便り

長勝寺-大分県大分市

・長勝寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市三川下2-6-23文亀元(1502)年に、喜峰禅悦という和尚様をご開山にお迎えして、亀王の地(現在の西公園付近)に大友統(のり)清(きよ)公によって創建されました。本尊は地蔵菩薩さまです。創建当初は建長寺派であったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
便り

最禅寺-広島県廿日市市

・最禅寺 浄土真宗本願寺派 広島県廿日市市峠1099明応10(1501)年、最禅寺と名付ける。寛永10(1633)年、本願寺末属となる。元禄7(1694)年、久保田の地より現在の位置に到る。(リンク先より) << 戻る
便り

洞福寺-宮城県石巻市

・洞福寺 曹洞宗 宮城県石巻市谷川浜字中井道7洞福寺のホームページをご覧いただきありがとうございます。洞福寺は石巻市十八成浜の陽山寺を本寺として文亀元年(1501)に開山したと伝えられる曹洞宗の寺院です。(リンク先より) << 戻る
便り

一心寺-愛知県愛西市

・一心寺 曹洞宗 愛知県愛西市赤目中屋敷154山号を国音山と称する。本尊は釈迦如来坐像で、文殊、普賢菩薩を脇侍としている。明応9年(1500)横井時永によって元赤目村に創建、萬福寺と称した。度々の水害により傾頽衰微したが、寛永17年(1640)横井時安が此の地に再建造営し寺領50石を寄進。(リンク先より) << 戻る
便り

観音寺-群馬県沼田市

・観音寺 曹洞宗 群馬県沼田市下発知町332石尊山観音寺は明応9年(1500年)天山見亮禅師により開創され、以来戦後争乱の中を生き抜き永い星霜を累ねてきました。御開山天山見亮禅師は御本寺迦葉山龍華院3世であり、群馬成孝院2世、永福寺2世、福島清光寺2世、茨城鱗勝寺3世と各地の住職を務めた高徳です。(リンク先より) << 戻る
年表

朝廷がおとろえ、公家・貴族などが多く地方に下る

1500年、このころ朝廷がおとろえ、公家・貴族などが多く地方に下る。<< 戻る
人物

蓮如(れんにょ)

蓮如とは、室町時代の浄土真宗の僧です。浄土真宗本願寺派第8世宗主・真宗大谷派第8代門首を務めました。大谷本願寺住職でもあります。諱は兼壽で、院号は信證院です。法印権大僧都、本願寺中興の祖とも呼ばれます。また、本願寺蓮如とも呼ばれます。浄土真宗では、蓮如上人と尊称されています。1882年に、明治天皇より慧燈大師の諡号を追贈されました。蓮如は、応永22年(1415)に本願寺第七世・存如の長男として京都に生まれました。母は蓮如が6歳の時に事情があって本願寺を去りました。その時の形見として持っていったのが『 鹿子の御影』(かのこのみえい)です。永享3年(1431)、蓮如は天台宗門跡寺院の青蓮院において...
年表

バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見

1498年、バスコ・ダ・ガマがインド航路を発見。<< 戻る
便り

金勝寺-兵庫県神戸市西区

・金勝寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区玉津町上池190金勝寺縁起によると開基は1497年(明応6年)己3月とあります。かつて、金勝寺十代浄玄が大本堂で開いていた寺子屋は、1873年(明治6年)5月新政府の学制発布令公布に先駆け、寺子の子孫たちが池野村立濫觴小学校として新たに創立しました。また、金勝寺のある玉津町では歴史的価値のある多くの古墳や遺跡などが見つかっています。(リンク先より) << 戻る
人物

日野富子(ひのとみこ)

室町時代後期から戦国時代前期の女性。室町幕府8代将軍・足利義政の正室。父は蔵人右少弁・日野重政、母は従三位・北小路苗子(北小路禅尼)。日野富子の活動に対する庶民からの評価は決して高くなく、戦乱で苦しむ庶民をよそに巨万の富を築いた「悪女」「守銭奴」と評された。夫の義政が東山山荘の造営のため費用捻出に苦心していたときは、一銭の援助もしていないことから「天下の悪妻」とも呼ばれる。一方で、火災で朝廷の御所が焼け、修復するため膨大な費用が必要になったときは自身の蓄財から賄ったりしていた。富子の遺産は7万貫(約70億円)に達していたという。学問にも熱心であり、関白・一条兼良に源氏物語の講義を受けている。将...
便り

金剛頂寺-神奈川県平塚市

・金剛頂寺 公式サイト 東寺真言宗 神奈川県平塚市岡崎3152本尊は大日如来、相模薬師第十九番札所弘安年間(鎌倉時代)東寺の僧 融仙が、関東来錫の砌、現在地(岡崎)に開創1496年(明応5年3月13日卒)開山賢秀(リンク先より) << 戻る
便り

宗隆寺-神奈川県川崎市高津区

宗隆寺 日蓮宗 神奈川県川崎市高津区溝口2-29-1宗隆寺はかつては「天台宗本立寺」であったが、明応5年(1496年)に日蓮宗に改宗された。(リンク先より) << 戻る
便り

林泉寺-山形県米沢市

・林泉寺 曹洞宗 山形県米沢市林泉寺1-2-3明応5年(1496年)に越後国高田(今の新潟県上越市)の蜂ヶ峯の麓に一宇が建立されました。曹洞宗開祖道元禅師から下って11代にあたる勅特賜 宗猷大光禅師 曇英慧應大和尚(しゅうゆうたいこうぜんじ どんえいえのう)が、本師である一州正伊大和尚(いっしゅうしょうい)を勧請し、開山されました。(リンク先より) << 戻る
便り

常福寺-石川県七尾市

・常福寺 真宗大谷派 石川県七尾市相生町91本願寺9世実如上人(1458^1525)より下付された方便法身尊像(ご本尊)とその裏書が今ものこっていますが、その裏書によると、常福寺の草創は、明応5年(1496年)に七尾城山の麓、鹿島郡矢田郷府中おいて開かれた真宗道場のようです。(リンク先より) << 戻る
便り

光福寺-兵庫県川西市

・光福寺 真宗大谷派 兵庫県川西市笹部2-16-16・光福寺寿徳山光福寺の歴史は、明応二年に開基されて五百年を超えています。東谷地区で初めての内科医でもあった慧廣法師が中興開基しました真宗大谷派の末寺です。(リンク先より)※明応二年 1493年 << 戻る
便り

浄泉寺-埼玉県比企郡

・浄泉寺 浄土真宗本願寺派 埼玉県比企郡吉見町長谷1678-6浄土真宗本願寺派浄泉寺のルーツは、富山県中新川郡上市町の浄泉寺、そしてそのルーツである福泉坊にさかのぼることが出来ます。浄泉寺の礎を築いた僧、福泉坊は寺伝によれば1493(明応2)年、蓮如上人より南無阿弥陀仏の六字名号を下附され、続いて一貫代の大きさの阿弥陀如来の絵像本尊(冥加金一貫で求められるご絵像)が下附されたことが記録に残されています。ここに、本願寺の末道場、福泉坊が誕生したと考えられます。福泉坊という坊号は僧侶個人の名前であると同時に、後年、浄泉寺と名乗る前の道場の名称でもありました。そして、浄泉寺の開基仏は現在も残されてい...
便り

蓮光寺-京都府京都市下京区

・蓮光寺 浄土宗 京都府京都市下京区富小路通六条上る本塩竃町534明応元年(1492年)に天台宗真盛派開祖の真盛上人を開基とし、高野山の苅萱堂を模して下京区新町高辻に草庵を結んだことから、当初「萱堂」と称し、天台宗に属していた。天正19年(1591年)豊臣秀吉の命により現在の富小路通り六条に移り、真盛上人の弟子、玉譽光順上人が浄土宗に改め、二世順譽蓮光上人のとき寺号を蓮光寺と改称した。(リンク先より) また、境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に当山の住職、蓮光上人と親交があったといいま...
便り

明応寺-岐阜県美濃加茂市

・明応寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県美濃加茂市加茂野町木野1164明応年間(1492~1501)に、三河(現在の岡崎市上佐々木町)の上宮寺様より分かれて、この地に布教の場を求めて、やって参りました。もともと、天台宗の空き寺に初代、佐々木大弐が入寺し、浄土真宗のお念仏のみ教えを地域の人々と共に慶びつつ、爾来、500年以上に亘って相続されて来ました。(リンク先より) << 戻る
便り

弘誓寺-岐阜県関市

・弘誓寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県関市鋳物師屋6丁目3−11神石山 弘誓寺は明応元年(1492)に、足利直義(室町幕府初代将軍、足利尊氏の同母弟)の後裔で、現在の関市鋳物師屋地域で代々庄屋をつとめていた早川家より、阿弥陀法を信じ後に本願寺九世 実如法王に弟子入りし遁世出家した早川直政が興したと伝えられる寺院です。(リンク先より) << 戻る
便り

徳誓寺-新潟県三条市

・徳誓寺 真宗仏光寺派 新潟県三条市八幡5-15明応年中(1492~1500)、摂津国豊島郡萱場村(現在の大阪府北西部)にて創建される。寛永年間(1621~1642)ごろ、信濃松本在時代を経て、三條町八幡小路にて寺基固まり、現在に至る。(リンク先より) << 戻る
便り

清立寺-香川県坂出市

・清立寺 浄土真宗本願寺派 香川県坂出市神谷町572明応年中(1492~1500)旧青海村(現・青海町)に開基の僧・正本が「青立寺」(せいりゅうじ)を建立しました。第3世住職・正品は天正13年1585)豊臣秀吉の四国征伐で落城した天霧城城主・香川信景の嫡子と伝えられています。(リンク先より) << 戻る
便り

龍仙寺-広島県安芸郡

・龍仙寺 浄土真宗本願寺派 広島県安芸郡府中町山田1-2-53十五世紀後期(明応年中1492~1501)、現在地の東北、江本寺(石井城二丁目)に蓮華寺(瀬野川町畑賀)の末寺として僧深澄によって建立された。当初は真言宗だったが、大永三年(1523)に浄土真宗に改宗。第八代住職釈了安が、現在地に移転。寛永十三(1636)年五月十八日付けで本山本願寺より阿弥陀如来木像が下附、正式に本願寺末寺として寺号認許となった。(リンク先より) << 戻る
便り

弘法寺-広島県呉市

・弘法寺 高野山真言宗 広島県呉市安浦町大字中畑132野路山 伊音城・弘法寺は弘法大師空海が御年19歳49歳と2度に渡り登山され、岩屋で修業に専念された地として伝えられる霊山です。伝えられるところによると『川尻海上に漁人あり、毎夜野路山上に火光を認め、奇異の思いをなして登り見れば弘法大師の像と梵鐘の破片散乱せり』中切地区の住民が相はかりて岩窟に堂を建て弘法大師を祀り毎月21日の大使の命日に御影供養の法要をするようになり、現在に連綿として続けられおる地区の伝統祭事です。大師堂の堂字の起源は、明應年間(1492年~1500年)と思われ、村民2名が燈明供養する古例があり、その後 度々の補修・再建・改...
便り

浄應寺-秋田県大館市

・浄應寺 真宗大谷派 秋田県大館市大館5戦国時代(1467-1568年)、河内国(大阪)に生まれて京都御所の守護に当った誉田大内記が、戦国の世の無常を感じ、本願寺八世蓮如上人の弟子となって、道願の法名を受けた。道願は、他力本願の慈悲法悦を体得して、諸国巡教を上人に願い出たところ、上人は非常に喜ばれ、三方阿弥陀如来像の軸を下さった。道願は、信者の河内屋嘉兵衛を供として秋田に下向し、寺内将軍野に草庵を結んで人々を教化したが、のち大館の片杭村(大館二ツ山)に来て一寺を建立した。明応年間(1492-1501年)の開基である。<< 戻る