buddhism

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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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西琳寺-千葉県夷隅郡

・西琳寺 曹洞宗 千葉県夷隅郡御宿町高山田1553西琳寺は、今から約700年前、鎌倉時代の中期に真言宗の寺院として開山された後、浄土宗時代を経て、江戸時代初期の1618年、現在の千葉県いすみ市万木の海雄寺の4世嶽應義賢大和尚により、海雄寺を本寺とする曹洞宗の寺院となりました。(リンク先より) << 戻る
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西方寺-愛媛県大洲市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県大洲市西大洲甲1979元和3年、大洲城主・加藤貞泰公によって城下裏町3丁目山根(現在・町の駅あさもや)に入城記念として開基され、 本堂五間四面、庫裡五十坪、山門、長屋等が建てられた。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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常敬寺-東京都新宿区

常敬寺 真宗大谷派 東京都新宿区市谷山伏町1−7地下鉄牛込柳町駅から神楽坂へ上がったところにあるます。境内には親鸞上人像を見ることが出来ます。元和3年(1617)八丁堀に建立されたものが、明暦2年(1656)にここに移転されました。 << 戻る
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築地本願寺-東京都中央区

・築地本願寺 浄土真宗本願寺派 東京都中央区築地3-15-11617年に浅草近くに創建されましたが、1657年の「明暦の大火」と呼ばれる大火事で焼失してしまいます。その後、再建のため江戸幕府から与えられた土地が現在の場所ですが、当時は海上でした。そこで海を埋め立てて土地を築き本堂を建立したことが「築地」という名称の由来になっています。また1923年には関東大震災に伴う火災により再度本堂を焼失しましたが、1934年に再建し現在の本堂の姿となりました。(リンク先より) << 戻る
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宗英寺-神奈川県横浜市青葉区

・宗英寺ホームページ 曹洞宗 神奈川県横浜市青葉区鉄町1783新編武蔵風土記稿によると、除地、2町8段4畝、村の西にあり、禅宗曹洞派、江戸渋谷長谷寺末、一抽山と号す、開山仁嶺寅怒元和3年5月21日寂す、開基は此の村の地頭加藤権右衛門景正なり、法名を大樹院一抽宗英と云、寛永7年8月卒す、客殿7間半に5間半未、坤の方に向かう、本尊釈迦木の座像にして長一尺ばかり、と書かれている。(リンク先より)※元和3年 1617年 << 戻る
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常栄寺-東京都世田谷区

・常栄寺 浄土真宗本願寺派 東京都世田谷区北烏山4-13-1寺伝の過去帳によると、寛永16年(1639年)6月8日に示寂した正教法師を第一世とします。寺は創建当初、浅草烏越の地にありましたが、元和3年(1617年)、本願寺十二代宗主・准如上人が築地本願寺の前身・浅草御堂を浅草横山町に創建したとき、当寺もこれに従って浅草へ移転しました。(リンク先より) << 戻る
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臨川寺-岐阜県関市

・臨川寺 黄檗宗 岐阜県関市小屋名957-11617年に小屋名村の豪族であった「喜多嶋きたじま(亀山)惣右衛門そうえもん 雅利まさとし」が、小屋名村の領主であった「池田図書政長いけだずしょまさなが」の菩提寺として創建しました。当初は臨済宗でしたが、1660年に潮音道海禅師を迎え、黄檗宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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真英寺-東京都新宿区

・真英寺 真宗大谷派 東京都新宿区若葉2-1-3開基 祐眞(三河出身の僧侶)元和 3年(1617年) 麹町清水谷貝塚村(現在の千代田区紀尾井町)創立天保12年(1841年) 現住所へ移転(リンク先より) << 戻る
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徳川家康(とくがわいえやす)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・戦国大名・天下人。安祥松平家9代当主で徳川家や徳川将軍家、御三家の始祖。旧称は松平 元康。戦国時代に終止符を打ち、朝廷より征夷大将軍に任せられ江戸幕府を開く。三英傑のひとり。家系は三河国の国人土豪・松平氏。幼名は竹千代。通称は次郎三郎のちに蔵人佐。諱は今川義元より偏諱を受けて元信(もとのぶ)次いで元康と名乗るが、今川氏から独立した際に「元」を返上して家康に改める。勅許され永禄9年12月29日(1567年2月18日)に徳川氏に改姓。本姓は私的には源氏を称していた。従五位の叙位に際し藤原氏と称し、豊臣政権では豊臣氏を称した形跡もあるが、天正16年(1588年...
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本念寺-秋田県秋田市

・本念寺 浄土宗 秋田県秋田市広面字赤沼98本念寺は元和2年(1616)良無文廓上人が開基されました。 しかし本念寺には縁起(建立理由)が残されておりません。​ですが歴代の住職のお戒名から察せられることがあります。(リンク先より) << 戻る
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心行寺-東京都江東区

・双修山 心行寺 浄土宗 東京都江東区深川2-16-7双修山養源院と号し、元和2年(1616年)京橋八丁堀寺町に創立。開山は観智国師の高弟、光蓮社団誉一路屋道上人、開基は岩国城主吉川監物の室養源院殿である。寛永10年(1633年)現在地深川寺町に移転した。(リンク先より) << 戻る
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清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
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実際寺-岡山県倉敷市

・実際寺 高野山真言宗 岡山県倉敷市中島516中島山実際寺は、元和2年(西暦1616年)に、当時の中大道城主だった建部民部慰政喜によって中興されました。建部氏は、慶長9年11月(西暦1604年)西阿知の遍照院に身を寄せながら、現在実際寺のある中島地区の干拓などを手掛け、1616年に松山藩の検地を受けて中島が誕生しました。(リンク先より) << 戻る
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龍岸寺-京都府京都市下京区

・龍岸寺 浄土宗 京都府京都市下京区塩小路通大宮東入八条坊門町564寺史によれば龍岸寺は僧・三哲によって、元和2年(1616)に創建されたとされる。龍岸寺の山門前の通りは、いまは塩小路通と呼ばれるが、かつては三哲通だった。(リンク先より) << 戻る
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西岸寺-東京都文京区

・東光山荘厳院 西岸寺 浄土宗 東京都文京区春日1-12-12創 建 元和2年(1616年)開山上人(初代住職) 単称長察和尚開 基(お寺の創建者) 内藤家と小田切家本 尊 阿弥陀如来 木立像2尺 恵心僧都作と伝えられている(リンク先より) << 戻る
年表

ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。

1616年、ヨーロッパ船の来航を平戸と長崎に制限する。<< 戻る
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傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
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古田織部(ふるたおりべ/重然/しげなり)

戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名、茶人、芸術家。通称は古田織部。豊臣秀吉・徳川家康の茶堂、徳川秀忠の茶の湯指南役。茶道織部流の祖。江戸幕府の御茶吟味役。柳営茶道の祖。南山城・東大和1万石の大名。官位は従五位下織部助。生誕 天文12年(1543年)命日 慶長20年6月11日(1615年7月6日)金甫宗屋禅人<< 戻る
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海北友松(かいほうゆうしょう)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。海北派の始祖。姓は源氏、友松は字。近江の湖北地区に生まれる。名ははじめ「友徳」。「紹益」とも。「如切斎」「有景斎」などと号した。子に同じく絵師の海北友雪。建仁寺本坊大方丈障壁画 、琴棋書画図。生誕 天文2年(1533年)命日 慶長20年6月2日(1615年6月27日)<< 戻る
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長宗我部盛親(ちょうそかべもりちか)

安土桃山時代から江戸時代前期の土佐国の大名・武将。長宗我部氏第22代当主。長宗我部元親の四男。戦国大名としての長宗我部氏の最後の当主。父・元親の死後に長宗我部家の家督を継ぐ。関ヶ原の戦いで西軍に属すが、敗色濃厚と見て戦わず帰国し、徳川氏に謝意を表した。また、京都府京都市下京区の蓮光寺境内には土佐の大名である長宗我部盛親のお墓があります。盛親公は長曾我部家の再起を期して、京洛の地に大岩祐夢と号して寺子屋を営んでいました。この間に蓮光寺の住職、蓮光上人と親交があったといいます。大坂夏の陣に敗れ、六条河原で斬首されるや蓮光上人は所司代板倉勝重に請い、首級を蓮光寺の墓地に葬って供養しました。生誕 天正...
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豊臣秀頼(とよとみひでより)

安土桃山時代から江戸時代前期にかけての大名。太閤・豊臣秀吉の三男で庶子。 秀吉の側室であった茶々の第二子。子は側室・和期の方との間に国松と、小石の方との間に天秀尼。位階は正二位、官職は右大臣。幼名は拾丸。なお、豊臣とは名字ではなく、本姓である。乳母は宮内卿局・右京大夫局・正栄尼が伝わる。生誕 文禄2年8月3日(1593年8月29日)命日 慶長20年5月8日(1615年6月4日)帰寂山高陽寺殿秀山大居士<< 戻る
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真田幸村(さなだゆきむら/信繁/のぶしげ)

安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。真田昌幸の次男。通称は左衛門佐で、輩行名は源二郎。真田幸村の名で広く知られている。豊臣方の武将として大坂夏の陣において徳川家康の本陣まで攻め込んだ勇敢な活躍が、江戸幕府や諸大名家の各史料に記録され、「日本一の兵」と評されるなどした。後世、そこから軍記物、講談、草双紙(絵本)などが創作され、さらに明治-大正期に立川文庫の講談文庫本が幅広く読まれると、真田十勇士を従えて宿敵である家康に果敢に挑む英雄的武将というイメージで、庶民にも広く知られる存在となった。今でも多くの人に愛され続けている。生誕 永禄10年(1567年)または、元亀元年(1570年)...
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後藤基次(ごとうもとつぐ)- 後藤又兵衛

安土桃山時代から江戸時代初期の武将。黒田氏、豊臣氏の家臣。通称は後藤 又兵衛。黒田孝高、黒田長政、豊臣秀頼に仕え数多くの軍功を挙げ、江戸時代に、「黒田二十四騎」「黒田八虎」、また大坂の陣の講談や軍記物語などで豪傑として描かれ、「大坂城五人衆」の一人に数えられた。生誕 永禄3年4月10日(1560年5月5日)命日 慶長20年5月6日(1615年6月2日)西照院殿夏安道蓮大居士心岩宗伝居士(福岡金龍寺過去帳)<< 戻る
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江巖寺-宮城県仙台市青葉区

・江巖寺 曹洞宗 宮城県仙台市青葉区柏木3-7-40政宗43歳、晩年に近づいていた政宗は、落ち着いた人情味を持ち、子供を思う気持ちが一段と強くなっていた。7歳といえば可愛い盛りである。そういう時に竹松丸君は夭折した。1615(元和元年)年3月18日のことである。 江巖寺開山鱗庵光 金大和尚(輪王寺十世)の導師にて慇勤に葬儀を営み「江巖寺殿惠春大禅定門」と法諡(おくりな)したが、政宗その死をいたく悲しんでいとけなき 人は見果し ゆめかとよ うつつに残る 老の身のうきと詠じ、竹松丸の菩提を弔うため一寺を創建して、微笑山江巖寺と号した。(リンク先より)<< 戻る
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慈眼寺-愛媛県新居浜市

・慈眼寺 曹洞宗 愛媛県新居浜市西の土居町2-16-47口碑によれば当時、金子備後守元宅は東予全軍の指揮をとるため高尾城(西条市氷見)に行き、兄に代わって金子城を守っていた弟の対馬守元春は、落城後戦で亡くなった人達の菩提を弔うため仏門に入り、奥州(福島県いわき市)の長源寺へ行き卓眼和尚の下で修行を積み、後に故郷の地に帰って生残りの者や戦死した子孫と力を合わせ、この戦で亡くなった将士の菩提を弔うため、金子城の館跡に一寺を建立し、松樹林正法山慈眼寺と呼びました。時は元和年間と伝えられており、また関庵本微和尚は対馬守元春の後身といわれております。(リンク先より)※元和年間 1615年から1624年 ...
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緑泉寺-東京都台東区

・浅草・湯島山 緑泉寺 浄土真宗東本願寺派 東京都台東区西浅草1-8-5当山は、初代覺春法師が越前の国より江戸に下り、元和元年(1615年)本郷湯島(現在の文京区湯島)に湯島山緑泉寺として興したことによりはじまりました。しかし明暦3年正月、俗に言う振袖火事により類焼、当山もことごとく焼失しました。その後浅草に遷り、今日まで連綿と法燈を継いでまいりました。(リンク先より) << 戻る
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高音寺-宮城県亘理郡

・高音寺 曹洞宗 宮城県亘理郡亘理町逢隈十文字字牛頭190紅梅山 高音寺(こうばいさん こうおんじ)開創 1615年(元和3年)開山 大雄寺5世仲巖文堂大和尚(リンク先より) << 戻る
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宗禅寺-東京都羽村市

・宗禅寺 臨済宗建長寺派 東京都羽村市川崎2-8-20歴史開創1615年(元和元年)。現在の川崎会館、玉川上水付近にあったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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盛岩寺-新潟県新潟市秋葉区

・盛岩寺 曹洞宗 新潟県新潟市秋葉区大安寺815元和元年(1615年)開山。2015年に開山400年を迎えた曹洞宗の古刹。本寺は五泉市の(旧村松町滝谷)慈光寺で末寺一寺を持つ。先代英鳳紀典和尚が新潟市江南区の(旧横越町沢梅)大榮寺の住職になり(リンク先より) << 戻る
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善徳寺-岐阜県岐阜市

・善徳寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県岐阜市加納柳町33もとは岐阜市西川手の地に発祥しましたが、 関ヶ原の戦いによって徳川家康の覇権が確立した慶長5(1600)年の翌年、慶長6(1601)年に加納藩の創設にともなって加納城と城下町の建設が開始されると、元和元年(1615年)に旧中山道沿いの現在地(岐阜市加納)に寺基が移されました。加納の城下町が中山道加納宿として栄えた江戸時代の間、当寺は宿場町の東番所手前の寺として親しまれていたようです。(リンク先より) << 戻る