buddhism

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東光寺-宮城県名取市

・東光寺 真言宗智山派 宮城県名取市下増田字丁地233真言宗 智山派 東光寺の敷地には宝篋印塔があり、以前、増田後島と下増田本村の境近くにあったもので、現在の東光寺境内に移設されたと言われています。塔は、高さ234cmで、塔身部に「金剛界四仏」の種子(不空成就如来、阿弥陀如来、宝生如来、阿閃如来)と、基礎部に「宝篋印陀羅尼経」の経文を四面に彫られている供養塔です。寛延4年(1751)の銘があり、江戸中期の現存する宝篋印塔としては、県内でも大型な石造物となっています。(リンク先より) << 戻る
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徳川吉宗が死去

1751年、徳川吉宗が死去。<< 戻る
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常現寺-青森県八戸市

・常現寺 曹洞宗 青森県八戸市小中野6-25-8寛延元年(1748)、常現寺の前身である梅翁庵は、下北郡大畑村の曹洞宗円祥山大安寺三世寿仁州関大和尚により、宿庵として大畑村関根橋に開庵された。(リンク先より) << 戻る
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石田梅岩(いしだばいがん)

江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。諱は興長。通称、勘平。丹波国生まれ。小栗了雲門下。在野(民間研究者)上がりの学者である石田を無学で文字に疎いと批判した者に対し、「文字がなかった昔に、忠孝はなく、聖人はいなかったとでもいうのか。聖人の学問は行いを本とし、文字は枝葉なることを知るべし」といい、自ら徳に至る道を実行せず、ただ文字の瑣末にのみ拘泥しているのは「文字芸者という者なり」と痛烈に反論した。生誕 貞享2年9月15日(1685年10月12日)命日 延享元年9月24日(1744年10月29日)<< 戻る
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市川團十郎(3代目)(いちかわだんじゅうろう)

三代目 市川 團十郎は享保期の歌舞伎役者。屋号は成田屋。定紋は三升(みます)。 享保6年 (1721) 生まれ。父は初代團十郎の高弟初代三升屋助十郎。生誕 享保6年(1721年)命日 寛保2年2月27日(1742年4月2日)<< 戻る
年表

公事方御定書を出す

1742年、公事方御定書を出し、裁判の基準を定める。 << 戻る
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朝日寺-岡山県瀬戸内市

・朝日寺 高野山真言宗 岡山県瀬戸内市邑久町庄田12071739年建立。廃寺復興の際には、1728年に客殿が先に建てられました。 その後1734年に本尊薬師如来が修復され、本尊様をきちんとお祀りするべく、 さらにその5年後にこの本堂が建立されました。(リンク先より) << 戻る
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広徳寺-北海道北斗市

・広徳寺 曹洞宗 北海道北斗市中央2丁目3−141736年 広徳寺は江戸時代からある曹洞宗のお寺です。高龍寺十一世華重禅海大和尚(けじゅうぜんかい だいおしょう)によって、元文元年5月10日に創立されました。当時は観音様のお寺として、観音庵と称され地域から親しまれてきました。(リンク先より) << 戻る
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江岸寺-岩手県上閉伊郡

・江岸寺 曹洞宗 岩手県上閉伊郡大槌町末広町10-11江岸寺の開山は、盛岡市にある法恩寺第三世幸岳東慶大和尚ですが、元文元年(一七三六)以来、再三の火災により本堂、講堂、什宝物、過去帳、古文書等、ほとんど焼失しているため由来を知ることが困難です(リンク先より) << 戻る
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楷定寺-大阪府高石市

・古今山 楷定寺 浄土真宗本願寺派 大阪府高石市取石2-24-11江戸時代中期の元文年間(一七三六〜一七四〇年)陽柳法師により創建せれたと伝えられています。現在の本堂は、江戸時代後期の文化十年(一八一三年)に建立されました。本尊の阿弥陀如来立像は、江戸時代に制作され、高さ六一・五㎝の寄木造りです。(リンク先より) << 戻る
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紀伊國屋文左衛門(きのくにやぶんざえもん)

江戸時代、元禄期の商人である。元姓は五十嵐氏。名は文吉。俳号は千山。略して「紀文」と呼ばれ、「紀文大尽」と言われた。生没年もはっきりしないなど、人物伝には不明な点が多く、半ば伝説上の人物である。架空の人物であるとする説もあるが、実在したとする説が主流である。生誕 寛文9年(1669年)命日 享保19年4月24日(1734年5月26日)帰性融相信士<< 戻る
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西代寺-兵庫県神戸市長田区

・西代寺 東寺真言宗 兵庫県神戸市長田区神楽町6-7-18創建年代は、お寺に古くからお祀りされている弘法大師像の裏面に享保19年(1734年)に造立と記されていることから、おそらく江戸時代中期にお寺が建立されたと推測致しますが、宥岳大和尚入寺前の寺号等については度重なる災害等で記録を無くし、不詳でございます。(リンク先より) << 戻る
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井戸正明(いどまさあきら)

江戸時代中期の幕臣、大森代官、笠岡代官。享保の大飢饉の際に石見銀山領を中心とする窮民救済のため数々の施策を講じた。生誕 寛文12年(1672年)命日 享保18年5月26日(1733年7月7日)泰雲院義岳良忠居士<< 戻る
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渭信寺-愛知県岡崎市

・黄梅山 渭信寺 曹洞宗 愛知県岡崎市上衣文町字神五鞍30そぶみ観音 渭信寺は、享保十八年(西暦一七三三年)八月、三河路で初めてのご祈祷寺として開かれました。当寺のご本尊は運慶作と伝えられ、そもそもは加賀百万石(今の金沢市)の藩主、前田利家公の守り本尊だったと言われています。その御神体を当時前田家と縁の深かった、金沢大乗寺の三十一代目のご住職、智燈照玄和尚様が隠居される時に、この地へ移されました。それが、このお寺の始まりというわけです。(リンク先より) << 戻る
年表

享保の大飢饉

1732年、享保の大飢饉。<< 戻る
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各地に百姓一揆や打ちこわしが起こる

1732年、このころ、各地に百姓一揆や打ちこわしが起こる。<< 戻る
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西永寺-新潟県十日町市

・西永寺 真宗大谷派 新潟県十日町市上野甲87西永寺(さいえいじ)は、新潟県十日町市にある1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。 1835年(天保6年)焼失後、1848年(嘉永元年)に再建される。(リンク先より)・西永寺 - Wikipedia
年表

青木昆陽がさつまいもの栽培を始める

1727年、青木昆陽がさつまいもの栽培を始める。<< 戻る
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祥福寺-香川県高松市

・祥福寺 曹洞宗 香川県高松市西春日町1626祥福寺は江戸時代、初代高松藩主松平頼重公に招かれた鶴洲和尚を開山とし、享保十一(1726)年二代藩主頼常公の時に禅宗の一派である黄檗宗本山満福寺の末寺・瑞亀山祥福寺として宮脇邑(現宮脇町)に創建された後、曹洞宗に改宗されました。(リンク先より) << 戻る
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近松門左衛門(ちかまつもんざえもん)

江戸時代の浄瑠璃及び歌舞伎の作者。本名は杉森 信盛。平安堂、巣林子、不移山人と号す。家紋は「丸に一文字」。代表作『曽根崎心中』(1703年)『冥途の飛脚』(1711年)『国性爺合戦』(1715年)『心中天網島』(1720年)忌日の11月22日は近松忌、巣林子忌、または巣林忌と呼ばれ、冬の季語となっている(明治以降は新暦で行われる)。生誕 承応2年〈1653年〉命日 享保9年11月22日〈1725年1月6日〉阿耨穆矣一具足居士<< 戻る
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隆光(りゅうこう)

江戸時代中期の新義真言宗の僧。出自は大和国の旧家河辺氏。初名は河辺隆長、字(あざな)は栄春。大和国超昇寺郷(現在の奈良市二条町)で生まれ、長谷寺等で学んだ後、江戸へ出て関東新義真言宗本山の「護持院」を創設した。 5代将軍徳川綱吉の生母桂昌院の寵愛を受け、綱吉の護持僧となった。生誕 慶安2年2月8日(1649年3月20日)命日 享保9年6月7日(1724年7月26日)<< 戻る
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向陽寺-熊本県上天草市

・向陽寺 曹洞宗 熊本県上天草市松島町合津2856九州三十三観音霊場二十一番札所 松島慈光観音 開基 天光丹瑞和尚 建立 享保8年向陽寺は熊本県天草の松島、風光明媚な雲仙天草国立公園の一角にあります。 当山は、旅の僧、悟室宗舜上座により観音様のお堂が建てられたとされています。(リンク先より)※享保8年 1723年 << 戻る
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華厳寺(鈴虫寺)-京都府京都市西京区

・華厳寺(鈴虫寺) 臨済宗永源寺派 京都府京都市西京区松室地家町31秋だけでなく、四季を通じて鈴虫の音色を聞くことのできる境内。それゆえ「鈴虫寺」の名で親しまれている当寺ですが、正式な名称は「妙徳山 華厳寺(みょうとくざん けごんじ)」といいます。華厳寺は江戸時代中期の享保8年(1723)、華厳宗の再興のために鳳潭上人(ほうたんしょうにん)によって開かれ、現在は臨済宗に属する禅寺となっています。(リンク先より) << 戻る
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足高の制

1723年、足高の制を定め、人材を登用する。<< 戻る
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上げ米の制

1722年、上げ米の制をもうけ、参勤交代をゆるめる。大名の江戸滞在を半年(それまでは1年)とするかわりに、石高1万石につき100石の割合で米をさし出させるようにした制度。<< 戻る
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報恩寺-奈良県宇陀市

・報恩寺 浄土宗 奈良県宇陀市大宇陀区大東45当、報恩寺は、享保6年6月2日、開基裕誉智圓尼の創始によるものであり、詳しい縁起は残されていないのですが、大宇陀のお墓守のお寺としての役割を果たしております。そして、昭和17年の宗教団体法が施工されるに当たり、同年10月18日付で浄土宗 総本山知恩院の末寺として承認され、今日に至ります。(リンク先より)※享保6年 1721年 << 戻る
年表

目安箱を置く

1721年、目安箱を置いて人々の不満をきく。<< 戻る
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安城寺-愛媛県松山市

・安城寺 黄檗宗 愛媛県松山市朝美2-5-16安城寺は、享保5年(1720年)徳川8代将軍吉宗のとき、松平定英が松山城主となり、享保8年(1723年)松山城と城下町が安泰でありますようにとの願いから「安城寺」と名付け、石門和尚により開山されました。(リンク先より) << 戻る
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養平寺-埼玉県熊谷市

・養平寺のホームページ 真言宗霊雲寺派 埼玉県熊谷市原島1192当山は「真言宗霊雲寺派有應山浄圓院養平寺」と称し享保五年七月二十四日、天下泰平・国家安全を祈念し新発田藩七代目藩主の溝口出雲守直温公により創建されました。東京都文京区湯島の霊雲寺を総本山とし、創建から霊雲寺派として宗祖弘法大師並びに派祖浄厳大和尚の法灯を灯す真言宗の寺院です。(リンク先より)※享保五年 1720年 << 戻る
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江戸町火消しをつくる

1720年、江戸町火消しをつくる。 << 戻る
年表

キリスト教以外の洋書の輸入を許す

1720年、キリスト教以外の洋書の輸入を許す。 << 戻る
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本龍寺-富山県高岡市

・本龍寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市末広町1005浄土真宗本願寺派 光慶寺11代了寿の2男恵仁が、享保4年(1719)5月、佐賀野村で一宇を建立して本龍寺と称した。享保15年(1730)6月、本寺の光慶寺が移転したので、これに応じて鴨嶋村(現博労)へ移った。明治の大火の後、明治30年6月再び高岡市末広町に移転して現在に及んでいる。(リンク先より) << 戻る