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金田一京助(きんだいちきょうすけ)

言語学者、民俗学者。日本のアイヌ語研究の本格的創始者として知られる。國學院大學教授を経て東京帝国大学教授、國學院大學名誉教授。日本学士院会員。日本言語学会会長。東京帝国大学より文学博士。栄典は従三位・勲一等・瑞宝章・文化勲章。盛岡市名誉市民。歌人・石川啄木の親友であったことでも有名。生誕 1882年〈明治15年〉5月5日命日 1971年〈昭和46年〉11月14日寿徳院殿徹言花明大居士<< 戻る
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志賀直哉(しがなおや)

明治から昭和にかけて活躍した日本の小説家。白樺派を代表する小説家のひとり。「小説の神様」と称せられ多くの日本人作家に影響を与えた。代表作に「暗夜行路」「和解」「小僧の神様」「城の崎にて」など。宮城県石巻生まれ、東京府育ち。生誕 1883年(明治16年)2月20日命日 1971年(昭和46年)10月21日<< 戻る
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山下清(やましたきよし)

画家。代表作に、「花火」、「桜島」、「東海道五十三次」など。生誕 1922年(大正11年)3月10日命日 1971年(昭和46年)7月12日<< 戻る
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山口蓬春(やまぐちほうしゅん)

画家。北海道松前郡松城町(現・松前町)生まれ。本名、三郎。1913年に東京府(現東京都)高輪中学校を卒業後、東京美術学校(現東京芸術大学)に進学。代表作「三熊野の那智の御山」「緑庭」など多数。生誕 1893年10月15日命日 1971年5月31日俶徳院殿温岳蓬春大居士<< 戻る
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横山エンタツ(よこやまエンタツ)

大正・昭和期の漫才師・俳優。本名:石田 正見。花菱アチャコとのコンビによって、それまでの「萬歳」に代わる現在の「しゃべくり漫才」のスタイルを発明し、今につながる漫才の形式の基礎を作った。漫才作家秋田實のよき相談者として上方漫才、喜劇の興隆に大きく貢献した。生誕 1896年4月22日命日 1971年3月21日<< 戻る
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喜多六平太(14世)(きたろっぺいた)

十四世喜多六平太は、喜多流シテ方能楽師で、喜多流十四世宗家。能の文化的向上に多大な影響を与え、文化勲章・人間国宝(正式には無形文化財保持者)。生誕 1874年(明治7年)7月7日命日 1971年(昭和46年)1月11日<< 戻る
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三島由紀夫(みしまゆきお)

小説家・劇作家・随筆家・評論家・政治活動家・皇国主義者。血液型はA型、身長は163cm。本名は平岡公威(ひらおか きみたけ)。戦後の日本文学界を代表する作家の一人であると同時に、ノーベル文学賞候補になるなど、日本語の枠を超え、海外においても広く認められた作家です。代表作 『仮面の告白』(1949年)『潮騒』(1954年)『近代能楽集』(1956年)『金閣寺』(1956年)『鹿鳴館』(1956年)『鏡子の家』(1959年)『憂国』(1961年)『サド侯爵夫人』(1965年)『豊饒の海』(1965年-1970年)生誕 1925年〈大正14年〉1月14日命日 1970年〈昭和45年〉11月25日彰武...
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力石徹(りきいしとおる)

漫画・アニメ作品「あしたのジョー」の登場人物で、主人公・矢吹丈の最大のライバル。 解説 あしたのジョーの登場人物。 主人公・矢吹丈と少年院で運命的な出会いを果たし、永遠のライバルとなる。生誕 命日 1970年3月24日功徹院清精道観居士<< 戻る
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佐藤得二(さとうとくじ)

仏教学者、作家。哲学研究者として朝鮮の水原高等農林学校(現・ソウル大学校農業生命科学大学)、京城帝国大学予科教授、第一高等学校教授を歴任。『仏教の日本的展開』は名著として知られる。その後、文部省督学官、社会教育局長、国際文化会館参与などを務めた。生誕 1899年1月30日命日 1970年2月5日<< 戻る
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冨澤有爲男(とみさわういお)

作家、画家。『地中海』『東洋』『侠骨一代』など多数。生誕 1902年3月29日命日 1970年1月15日<< 戻る
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正力松太郎(しょうりきまつたろう)

内務官僚、警察官、実業家、政治家。 読売新聞社社主、日本テレビ放送網代表取締役社長、読売テレビ会長、日本武道館会長等を歴任。また、読売ジャイアンツ創立者であり初代オーナー。 位階勲等は従二位勲一等。富山県高岡市の名誉市民であり、京成電鉄OBでもある。読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。日本におけるそれぞれの導入を強力に推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。1885年(明治18年)4月11日、富山県射水郡枇杷首村(後の大門町、射水市)に土建請負業を営む父・正力庄次郎、母・きよの次男として生ま...
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井植歳男(いうえとしお)

実業家。三洋電機株式会社の創業者。松下電気器具製作所(松下電器産業を経て、現・パナソニック)の創業メンバーで、元専務取締役。生誕 1902年12月28日命日 1969年7月16日<< 戻る
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植芝盛平(うえしばもりへい)

武道家。合気道の創始者。合気道界では「開祖」と敬称される。生誕 1883年(明治16年)12月14日命日 1969年(昭和44年)4月26日合気院盛武円融大道士<< 戻る
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山本周五郎(やまもとしゅうごろう)

小説家。デビュー作『須磨寺附近』(1926年)、代表作は『樅ノ木は残った』(1954-58年)、『赤ひげ診療譚』(1958年)、『青べか物語』(1960年)、『季節のない街』(1962年)、『さぶ』(1963年)、『ながい坂』(1964-66年)など多数。生誕 1903年(明治36年)6月22日命日 1967年(昭和42年)2月14日恵光院周嶽文窓居士<< 戻る
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鈴木大拙(すずきだいせつ)

仏教学者、僧侶。文学博士。禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広く知らしめた。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教学者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。名の「大拙」は居士号である。同郷の西田幾多郎、藤岡作太郎とは石川県立専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は「加賀の三太郎」と称された。また、金沢時代の旧友である安宅産業の安宅弥吉は「お前は学問をやれ、俺は金儲けをしてお前を食わしてやる」と約束し、大拙を経済的に支援した。1963年にノーベル平和賞の候補に挙がっていたものの、受賞を逸している。著作『大乗起信論』〔英訳〕(...
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山田耕筰(やまだこうさく)

日本の作曲家、指揮者。山田耕作とも表記します。生誕 1886年(明治19年)6月9日命日 1965年(昭和40年)12月29日響流院釈耕筰<< 戻る
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谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)

小説家。『刺青』(1910年)、『痴人の愛』(1924年-1925年)、『卍(まんじ)』(1928年-1930年)、『蓼喰ふ虫』(1928年-1929年)『春琴抄』(1933年)、『陰翳禮讚』(随筆、1933年-1934年)、『細雪』(1944年-1948年)、『少将滋幹の母』(1949年-1950年)、『鍵』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1961年-1962年)生誕 1886年(明治19年)7月24日命日 1965年(昭和40年)7月30日安楽寿院功誉文林徳潤居士<< 戻る
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江戸川乱歩(えどがわらんぽ)

大正から昭和期にかけて主に推理小説を得意とした小説家・推理作家である。また、戦後は推理小説専門の評論家としても健筆を揮った。実際に探偵として、岩井三郎探偵事務所に勤務していた経歴を持つ。 本名は平井 太郎。日本推理作家協会初代理事長。ペンネーム(江戸川乱歩)は小説家の、エドガー・アラン・ポーに由来する。代表作『D坂の殺人事件』(1925年)『陰獣』(1928年)『孤島の鬼』(1930年)『黒蜥蜴』(1934年)『怪人二十面相』(1936年)『幻影城』(1951年、評論)『探偵小説四十年』(1961年、自伝)生誕 1894年(明治27年)10月21日 命日 1965年(昭和40年)7月28日智勝...
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大坪砂男(おおつぼすなお)

、 - )は、日本の探偵小説作家。本名和田六郎。谷崎潤一郎の書生、警視庁鑑識課職員などを経て、師事していた佐藤春夫の推薦により「宝石」に発表した『天狗』でデビュー。筆名はE・T・A・ホフマンの「砂男」に由来する。1951年に大坪 沙男と改名した。代表作は他に『立春大吉』『私刑』『男井戸女井戸』などがある。生誕 1904年2月1日命日 1965年1月12日<< 戻る
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佐藤春夫(さとうはるお)

詩人・作家。艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・童話・戯曲・評伝・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和まで旺盛に活動した。筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。初代新宮市名誉市民。代表作『西班牙犬の家』(1914年、小説)『田園の憂鬱』(1919年、小説)『殉情詩集』(1921年、詩集)『都会の憂鬱』(1922年、小説)『退屈読本』(1926年、随筆集)『車塵集』(1929年、訳詩集)『晶子曼陀羅』(1954年、小説)生誕 1892年(明治25年)4月9日命日 1964年(昭和39年)5月6日凌霄院殿詞誉紀精春日大居士<< 戻る
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堤康次郎(つつみやすじろう)

実業家、財界人で、滋賀県選出の衆議院議員として政治家でもあった。西武グループの創業者。第44代衆議院議長。滋賀県大津市名誉市民。正三位勲一等。「ピストル堤」の異名を持つ。 五島慶太は東急対西武戦争でライバルとも言われた。生誕 1889年(明治22年)3月7日命日 1964年(昭和39年)4月26日清浄院釈康信<< 戻る
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三好達治(みよしたつじ)

大阪府大阪市出身の詩人、翻訳家、文芸評論家。日蓮宗本山本満寺貫首を務めた三好龍紳は実弟。代表作『測量船』(1930年)、『駱駝の瘤にまたがつて』(1952年)など多数。生誕 1900年(明治33年)8月23日命日 1964年(昭和39年)4月5日法治院平安日達居士<< 戻る
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力道山(りきどうざん)

プロレスラー、大相撲力士。17歳で大相撲二所ノ関部屋に入門する。関脇にまでなるが、27歳の時に自ら髷を落とし廃業後、プロレスに転進し、日本プロレスの基礎を築いた。生誕 1924年11月14日命日 1963年12月15日大光院力道日源居士<< 戻る
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松林桂月(まつばやしけいげつ)

画家。山口県萩市生まれ。元の姓は伊藤、本名は篤。字は子敬。別号に香外、玉江漁人。妻の松林雪貞も日本画家。《春宵花影》東京国立近代美術館蔵/《愛吾廬》山口県立美術館蔵など多数。生誕 1876年8月18日命日 1963年5月22日豪徳院殿彩譽松林桂月大居士<< 戻る
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鈴木虎雄(すずきとらお)

古典中国文学者。東京大学卒業。京都大学教授を経て,同大名誉教授。文学博士。学士院会員。中国文学の研究によって 1961年文化勲章受章。新潟県西蒲原郡粟生津村(のち吉田町、現在は燕市に合併)出身。燕市名誉市民。生誕 1878年(明治11年)1月18日命日 1963年(昭和38年)1月20日<< 戻る
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吉川英治(よしかわえいじ)

小説家。現在の神奈川県横浜市中区出身。 様々な職についたのち作家活動に入り、『鳴門秘帖』などで人気作家となる。1935年より連載が始まった『宮本武蔵』は広範囲な読者を獲得し、大衆小説の代表的な作品となった。戦後は『新・平家物語』、『私本太平記』などの大作を執筆。生誕 1892年〈明治25年〉8月11日命日 1962年〈昭和37年〉9月7日崇文院殿釈仁英大居士<< 戻る
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柳田國男(やなぎたくにお)

民俗学者・官僚。明治憲法下で農務官僚、貴族院書記官長、終戦後から廃止になるまで最後の枢密顧問官などを務めた。1949年日本学士院会員、1951年文化勲章受章。1962年勲一等旭日大綬章。 「日本人とは何か」という問いの答えを求め、日本列島各地や当時の日本領の外地を調査旅行した。生誕 1875年〈明治8年〉7月31日命日 1962年〈昭和37年〉8月8日永隆院殿顕誉常正明国大居士<< 戻る
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石井漠(いしいばく)

舞踊家、ダンサーである。代表作は『甦る新世界』(1933)や、晩年視力をほとんど失ってから上演した『人間釈迦』(1953,芸能選奨文部大臣賞)などがある。いずれも作曲家の石井歓、石井眞木は息子、石井五郎は弟。また舞踊家の石井登は孫、石井武は曾孫である。生誕 1886年12月25日命日 1962年1月7日<< 戻る
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津田左右吉(つだそうきち)

20世紀前半の日本の歴史学者・思想史家。『古事記』と『日本書紀』を史料批判の観点から研究したことで知られる。生誕 1873年(明治6年)10月3日命日 1961年(昭和36年)12月4日<< 戻る
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和辻哲郎(わつじてつろう)

哲学者、倫理学者、文化史家、日本思想史家。『古寺巡礼』『風土』などの著作で知られ、その倫理学の体系は和辻倫理学と呼ばれる。生誕 1889年3月1日命日 1960年12月26日明徳院和風良哲居士<< 戻る
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風巻景次郎(かざまきけいじろう)

国文学者。主著『中世の文学伝統』。また、数校の北海道の公立高等学校の校歌の作詞も手がけた。生誕 1902年(明治35年)5月22日命日 1960年(昭和35年)1月4日<< 戻る
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北大路魯山人(きたおおじろさんじん)

芸術家。本名は北大路 房次郎。 晩年まで、篆刻家・画家・陶芸家・書道家・漆芸家・料理家・美食家などの様々な顔を持っていた。生誕 1883年〈明治16年〉3月23日命日 1959年〈昭和34年〉12月21日妙法祥院高徳魯山居士<< 戻る