平安時代の陰陽師。「晴明」を「せいめい」と読むことが多いが、これは音読みであり、諱本来の読み方は確定していない。鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏流土御門家の祖。官位は従四位下・播磨守。
安倍晴明については『蘆屋道満大内鑑』による人物像が定着しているが、平安時代では最先端の学問(呪術・科学)であった「天文道」や占いなどを、体系としてまとめた思想としての陰陽道に関して、卓越した知識を持った陰陽師ともいわれ、当時の朝廷や貴族たちの信頼を受け、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。蘆屋道満こと道摩法師とはライバル関係にあった。
晴明が死んだ11世紀の内に、安倍晴明は神秘化されていった。歴史物語の『大鏡』『十訓抄』や説話集の『今昔物語集』『宇治拾遺物語』にはいくつかの安倍晴明に関する神秘的な逸話を載せ、他にも『源平盛衰記』『北条九代記』『古事談』などがある。
後世に陰陽道の経典となる秘伝書『簠簋内伝』(別名『金烏玉兎集』)の著者に仮託されている。実際の晴明の著作としては土御門家に伝わった『占事略决』がある。
生誕 延喜21年1月11日〈921年2月21日〉
命日 寛弘2年9月26日〈1005年10月31日〉
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