安土桃山時代末期から江戸時代初期の武将・大名。加賀藩の第2代藩主。加賀前田家3代。
父・前田利家の特長を受け継いだ立派な体格の持ち主であり、その点が数多くいる利家の子供たちから利長の後継に選ばれる決め手となったという。家康の遺言などから家康は利常にかつてのライバルだった利家を見出して警戒していたとされ、幕府からは「底の知れぬ人」と警戒されていたとされる。
金工師の後藤顕乗(下後藤)や後藤覚乗(上後藤)、蒔絵師の五十嵐道甫や清水九兵衛など、京都や江戸から優れた一流の名工たちを高禄で召し抱え、藩内の美術工芸の振興に努めた。
生誕 文禄2年11月25日(1594年1月16日)
命日 万治元年10月12日(1658年11月7日)
微妙院殿一峯克巌大居士
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