戦国時代から江戸時代前期にかけての大名、武将。出雲国の戦国大名・尼子晴久の次男として生まれる。弟に倫久・秀久がいた。幼名は三郎四郎、のち室町幕府13代将軍・足利義輝より偏諱(足利将軍家の通字である「義」の字)の授与を受けて、義久と名乗る。
天正17年(1589年)に元就の孫の毛利輝元より義久は毛利氏の客分として遇され、安芸国志道に居館を与えられた。
慶長元年(1596年)、長門国阿武郡嘉年の五穀禅寺(現・極楽寺)において剃髪、出家して友林と号した。
生誕 天文9年(1540年)
命日 慶長15年8月28日(1610年10月14日)
大覺寺殿大圓心覺大居士
冨春院殿泉福友林大禅定門
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