「起きて半畳、寝て一畳」。これは禅寺などでの修行僧">修行僧の生活を端的に表しています。実際はどうかというと、私も坐禅堂で寝る生活をしていましたが、そこでは確かにそのような生活を今でも守っています。
早朝、振鈴と言って、大きな鈴を振ってお寺中を駆け回る当番が時間を知らせます。その合図で起きたら、一畳分のスペースに敷かれていた布団をまとめて仕舞う、押入れのようなスペースが、寝ていた頭元にあり、そこに押し込み木の蓋を閉めます。そうすると、ただ畳と壁側に木の収納スペースがあることしか見えない状態になります。
坐禅する時は半畳ほどのスペースで足りますが、大人数の時は一畳分に二人が座りました。坐禅堂で食事をする場合は坐禅をして食事をします。起きて半畳、寝て一畳。とは、このような生活でした。
日本の生活スタイルは多様化していますが、一般的な家庭でも似たようなところがあると思います。寝るときは押入れから布団を出して寝床になり、起きている時は布団を片づけて、机を出して、食事部屋にも、勉強部屋にも、仕事部屋にもなります。一つの空間を多機能化して使うことに違和感はないと思います。
アップルの創業者であり、iPhoneを開発し世界中に流行らせたスティーブ・ジョブズさんは禅の精神に惹かれ、実践していました。そのiPhoneを代表とするスマホは、一つの携帯端末を多機能化して使われています。シンプルを追求することで、そうなったのだと思います。
仕切りのあるネットカフェの空間が「起きて半畳、寝て一畳」の空間と似ているなと感じたこともあります。休む人、勉強する人、働く人、利用者によって目的が違います。やはり、必要最低限のスペースを求めていくと、共通点が生まれるというのは興味深いところです。
限られたスペースを工夫して使う智慧。限られた資源に頼って生きる私たちにとって重要なヒントがそこにあるように感じます。狭い空間では、より自分の内面を見ることが出来ること、守る場所が小さくて済むこと、そのスペースさえあれば、より多くの人が学ぶ機会に恵まれることなどの利点もあります。
しかし、そこだけで生活しているわけではなく、一歩外に出れば共有スペースであったり、公共の場であったり、私有地であったり、気にしなければならないことが多くなります。そういう場所に出たからと言って、大きなスペースを使っていいということではないはずです。
人と人との距離であったり、誰がいるかによって、パーソナルスペースは狭まったり、広まったりすると思います。普段はそんなに意識していないかもしれませんが、お坊さんであれば「起きて半畳、寝て一畳」がそれに当たります。自分のパーソナルスペースを意識しながら動くことで新たな発見があるかもしれません。