「生死するいのち」、「しょうじ」とは「生き死に」という字を書きますが、「生死するいのち」とは、わたしたちが疑いようもなく今まさに生きているということです。それを「見えるいのち」と言ってみたいと思います。(リンク先より)
第2話 見えるいのち 見えないいのち 内藤円亮(長崎県 光西寺)

「生死するいのち」、「しょうじ」とは「生き死に」という字を書きますが、「生死するいのち」とは、わたしたちが疑いようもなく今まさに生きているということです。それを「見えるいのち」と言ってみたいと思います。(リンク先より)