193 あるいは歩み、あるいは立ち、あるいは坐り、あるいは臥し、身を屈め、あるいは伸ばす、これは身体の動作である。
194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。
195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、
196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。
197 またその九つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、
198 鼻からは鼻汁、口からはある時は胆汁を吐き、ある時は痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。
199 またその頭蓋骨は空洞であり、脳髄にみちている。しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。
200 また身体が死んで臥す時には、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。
201 犬や野狐や狼やは虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。
202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(ブッダ)の言葉を聞いて、このことを完全に了解する。なんとなれば、彼はあるがままに見るからである。
203 かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろうと内面的にも外面的にも身体に対する欲を離れるべきである。
204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。
205 人間のこの身は、不浄で、悪臭を放ち、花や香を以てまもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出る。
206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また軽蔑するならば、彼は見る視力が無いという以外の何だろう。
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なお、底本としてパーリ語経典の『スッタニパータ』を使用していますが、学問的な正確性を追求する場合、参考文献である『「ブッダの言葉」中村元訳 岩波文庫』を読むようおすすめします。なお、章題/節題は比較しやすいよう同じにしました。
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