・福善寺 真宗大谷派 香川県高松市御坊町1-1
空賢、空信、空了、了心4代の記録はないが、逆算すれば、開基は嘉吉、文安の頃と思われる。大永元年に信玄が生まれているから5代正了は、深妙寺の澄俊が天正年中に甲州より来たり、坂田郷に創立したころと同じ頃かもしれません。天正元年は信玄の没年である。恵林寺に快川国師(心頭滅却すれば、火も自ら涼しいと焼死した)を招じて参禅した信玄は戦国武将の中でも特に教養があり、孫子を読み詩文に長じ「立ち並ぶ甲斐こそなければ桜花、松に千歳の色は習はで」と詠み、その死因は敵方の笛の名手松村芳休の笛に誘われ、耳を打たれたのが元になって亡くなったともいわれ、天正元年4月12日信州伊那の里に没した。(行年53)、比叡山竜仙院に毘沙門堂を築き大僧正を謚られ法性院といい、信玄は法諱である。その奥方は本願寺第18代顕如上人の裏方と姉妹であった。(リンク先より)
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