日曜日、インド教育支援活動NPOの展示を英知大学で行いました。その土曜、日曜は『関西エスペラント大会』が行われていました。そのプログラムの中に『第54回関西エスペラント大会キリスト者分科会礼拝プログラム(Ordo de Diservo de Ekumenaj Kristanoj)』という少々長めの題のものがありました。興味はあったのですが、表題に"キリスト者"と書いてありますし、入れないと思ったのですが、親身にしてくださ沼波先生という方が、「私も今から行きますから、是非いらして下さい!!」という言葉で行くことになりました。
英知大学にあるチャペルで行われた1時間のプログラムでしたが、前半30分はエスペラント語での聖書朗読(?)でした。その時点では、何が何だか分からなかったので、「来なければ良かった」と思ったものです。しかし、その間、聖書(エスペラント語と日本語が併記されたもの)を読んでいて、理にかなったことが多く書かれているなと感じました。朗読中に指名されて読んでいる人が何人かいたので、自分も間違って当てられないように、願うばかりでした。どうやら神に願いが通じたようでした。前半の終わりには『Donu al ni Vian pacon』という讃美歌がオルガンの音色と共に歌われました。
後半は質疑応答というか、会場全体のあちらこちらから質問され、それに答える人も様々という不思議な空間がありました。仏教なら中心にいる僧侶との問答になるのだけれど、キリスト教の話し合いはサークル型でした。そして、専門的な質問が飛び交い、ある質問ではこうです。「エスペラント語の聖書にHEAVENSと複数形で書かれているものと、HEAVENと単数形で書かれているものとの解釈の違いがあるのか」という質問で、これは英語のものでも違っているものがあるようで、翻訳されていく過程での解釈の違いとされているけれども、一番印象に残っているのはヨゼフ・カトリック大司教のお話でした。翻訳の違いはあるにしても、人間界と天国は違っていて、人間界は汚職や戦争といったことがおこるけれども、対照的な場所として天国はある。そして、天国の神の行いを学び真似することで我々は救われるというようなことを言っていました。これは仏教にも通じるところがあって、この人は本質を言っているなと思いました。私たちは学ぶ課程で、上辺だけを追いかけがちです。本質を理解した時に、はじめて救われる気持ちになれるのではないでしょうか。