ある日のインドでのこと。デリーにて列車の時間まで若干の暇が出来たのでジャマー・マスジッドに行くことにした。ここは2006年の春にテロがあり、犠牲者も多数出たというイスラム教(正確にはイスラーム)の寺院だ。日曜日ということもあり寺院までの道にはバザールが所狭しと出ていて、人も多くて暑くて思うように動けない程だった。やっとのことでたどり着き、入場料を払うつもりだったが、この日は無料で入ることができた。しかし、カメラを持っていたので150ルピー(570円)を払うことに。撮影しても、しなくても持っていれば払わなければいけないらしい。この値段はインドにしてみれば非常に高い値段。一緒に行った後輩の日本人青年はタンクトップを着ていて、タンクトップは寺院内に入れないということで、薄汚れたオレンジ色の布をプラス30ルピーで貸し付けられていた。僕は自分の分の料金を払うために200ルピー払ったのに、お釣りをくれる気配がないので、何度もヒンディ語で言ってようやく返してくれた。寺院でだまそうとするなんて許せない。
なかに入るとさらに凄い人で、まずは座るところを探した。ひと休みしてから寺院内を見学させてもらおうと思ったからだ。イスラム教寺院に2人の日本人は目立ちすぎたのか、声を掛けてくる人が多かった。毎週、日曜日に遠くからこの寺院に来るという少年など、ヒンディ語とは少し違う言葉を話す人も多くよく分からないことの方が多かった。しかし、嫌がらずに相手をしたご褒美に飴玉をもらってしまった。見学をしようかという時には多少疲れてしまっていたが、ぐるっと見て回る。お祈りをするところは近づき難いほど熱心にお祈りしていたので、遠くから見るだけにした。イスラム教は日本人が思う以上に大きな勢力を持っていて、イスラム教の過激派が余計なことをしなければ、世界中で拡大し続けることになると予測される。
私が関わるインド教育支援団体が支援するクシナガラの小学校は仏教、ヒンドゥ教、イスラム教、キリスト教と宗教を拘らない体制を自然ととっている。普通に生活していれば争いは簡単には起きないものだと思う。しかし、世界情勢というものに意外と敏感なようで、間接的な世界のニュースで他の宗教を批判することはよくあるようだった。この様子だと残念だが、宗教によって平和がもたらされることは無さそうだと感じた。まあ、違う考え方があるからこそ宗教は宗教として存在できるのだから、世界をまとめるには他の何かを利用するしかないのだろうが。