天台宗の出来事

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願乘寺-滋賀県彦根市

・願乘寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県彦根市錦町3-23天暦10年(956年)坂田郡荘厳寺村において、天台宗護念院願乘寺として、了覚が創立しました。その後12代を経て、13代了善が、柏原駅にて親鸞聖人の教化を蒙り浄土真宗に転派しました。(リンク先より) << 戻る
人物

相応和尚(そうおうかしょう)

相応和尚は近江国浅井郡の出身で、孝昭天皇の第一皇子天帯彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと)の子孫と伝えられています。15歳の時、鎮操(ちんそう)大徳に随って比叡山に登り17歳で剃髪し沙弥になりました。その後、法華経常不軽品によって大菩提心を発し、六、七年間一日も欠かさず根本中堂に花を供え続けていました。その信心堅固な青年僧を見いだし、年分度者(ねんぶんどしゃ)として得度せしめたのは慈覚大師円仁大徳でした。大師は大納言藤原良相(よしみ)からの度者の推薦依頼もあり、良相の一字を取って「相応(そうおう)」と名付けられました。比叡山の回峯行は、役小角(えんのおづぬ)を開祖とする南山修験に対...
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天龍寺-埼玉県飯能市

・子ノ権現天龍寺 公式サイト 天台宗 埼玉県飯能市南461当山は、延喜十一年(九一一)六月十三日、子ノ聖が初めてこの地に十一面観音をお祀りし、天龍寺を創建されたことに始まります。その後、弟子の恵聖上人が子ノ聖を大権現と崇め、子ノ聖大権現社を建立されました。 (リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

補陀落渡海のはじまり

868年11月3日、慶龍上人が熊野那智より渡海したのが一番古い記録です(「熊野年代記」)。補陀洛山寺は「補陀落渡海(ふだらくとかい)」の出発点だったことで知られています。「補陀落」とはサンスクリット語の「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住まう浄土のことをいい、『華厳経』にはインドの南端にあると説かれています。観音信仰の流布と共に、チベットや中国にも補陀落は想定されました。チベットではラサ北西に建つ、観音の化身ダライラマの宮殿をポタラ(補陀落)宮と呼び、中国では舟山諸島の2つの島を補陀落としました。日本においては南の海の果てに補陀落浄土はあるとされ、その南海の彼方の補陀落を目指して...
仏教を本気で学ぶ

伝教大師の諡号が贈られる

貞観8(866)年、清和天皇より最澄上人に伝教大師の諡号が贈られました。大師号も日本ではこれが最初です。<< 戻る
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立石寺-山形県山形市

・立石寺 天台宗 山形県山形市大字山寺4456-1貞観2年(860)、第三世天台座主慈覚大師円仁 が開いた、天台宗の御山で東北を代表する 霊山です。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 という松尾芭蕉の句でも知られています。豊かな自然に恵まれ、春・夏・秋・冬、 四季折々の雰囲気を楽しむことが出来ます。(リンク先より) << 戻る
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長福寺-茨城県水戸市

・長福寺 天台宗 茨城県水戸市塩崎町1135創建は清和天皇の御代の貞観元年(859年)平安時代で開基は慈覚大師。本尊は阿弥陀如来で、恵心僧都の作。恵心僧都は源信(942~1017)で「往生要集」の作者で、中世念仏興降のさきがけの人である。また中興開山は栄尊和尚である。(リンク先より) << 戻る
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伊崎寺-滋賀県近江八幡市

・伊崎寺 天台宗 滋賀県近江八幡市白王町1391伊崎寺は山号を「姨倚耶山(いきやさん)」といい、近隣にある西国三十三所札所である長命寺と同じ山号です。長命寺から連なる山系上に立地しています。伝承では奈良時代、修験道の開祖とされる役行者(えんのぎょうじゃ)がここを最初に見つけられて行場としたといわれています。その折、イノシシが役行者をこの地に導いたということから「猪先(いさき)」という名になったと伝えられています。その後、貞観年間(859〜876)に相応(そうおう)和尚が寺院を創建、自作の不動明王を安置されました。(リンク先より) << 戻る
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観音寺-福島県福島市

・観音寺 天台宗 福島県福島市上鳥渡字観音寺7当寺は天安二年(858年)に奥州安擦使(あぜち)山陰中納言(伊達家元祖)の発願により、慈覚大師の高弟道叡和尚が、奈良吉野山の白滝の中から出現した聖観世音菩薩(長野善光寺形)を本尊にいただき開山したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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専精寺-岐阜県不破郡

・専精寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県不破郡垂井町1349西暦858年(天安2年)慈覚大師が専精寺の前身である「天台宗 普門山善相院」を創建されました。その後、西暦1328年(元享3年)本願寺3世覚如上人が関東へ御下向の途中当院へお立ち寄りになった際、当寺住職は、覚如上人の教えに賛同し、天台宗より浄土真宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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錦織寺-滋賀県野洲市

錦織寺の創建は858年(天安2年)、天台宗の慈覚大師円仁により、最澄が比叡山を開く際に霊木で作成した鞍馬寺の毘沙門天像と同木同作の像を、天安堂(毘沙門堂)を建立して祀ったことによる。嘉禎元年(1235年)、浄土真宗の開祖である親鸞が関東からの帰洛の途中、美濃国の正蓮寺で毘沙門天の霊告を受けて当寺に立ち寄り、常陸国滞在中に霞ヶ浦にて感得した一尺八寸の阿弥陀如来座像をこの地に安置したとされる。そして、著述中であった『教行信証』全六巻の内、最後の二巻となる「真仏土巻」と「化身土巻」を作成し、教行信証を完成させ、その記念として真正面向きの肖像画である「満足の御影」を描いたとされる。そして親鸞に帰依した...
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八王寺(竹寺)-埼玉県飯能市

・八王寺(竹寺) 天台宗 埼玉県飯能市南704「竹寺(八王寺)略縁起」当山は、縁起によれば「天安元年丑年、慈覚大師東国巡修の折、疫病流行し患者の多きを憐れみて、当山を道場として大護摩の秘法を修し、一切の障 難を除き、疫病を降伏し病患を除かしめん事を誓い、一刀三礼して尊像を造り、世の人を救い後世に遺し給へり・・・」と。(リンク先より)※天安元年 857年 << 戻る
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倫勝寺-秋田県能代市

・倫勝寺 曹洞宗 秋田県能代市仁井田白山13853年(仁寿3年)慈覚大師がこの地を訪れて観世音の木像と地蔵尊の石像各1体を彫って安置。その後 桧山安東氏の菩提寺である華厳宗国清寺を開山したと言われる在天文龍大和尚がこの観世音を本尊として新田山林昌寺を建立。(リンク先より) << 戻る
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円融寺-東京都目黒区

・圓融寺(円融寺) 天台宗 東京都目黒区碑文谷1-22-22平安時代の仁寿3年(853)、慈覚大師による創建と伝えられる天台宗の古刹です。草創当時は法服寺と名付けられましたが、鎌倉時代の弘安6年(1283)に、日蓮上人の高弟である日源上人によって日蓮宗に改宗され、寺号も法華寺と改められます。(リンク先より) << 戻る
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塩谷寺-神奈川県横浜市港北区

・薬王山塩谷寺ホームページ 天台宗 神奈川県横浜市港北区高田西4-34-35薬王山光明院塩谷寺は、平安時代の初期、仁寿元(851)年に慈覚大師円仁によって開山された、天台宗の寺院です。文徳天皇(在位851~858)の時代、天皇は皇后の病や世継ぎの問題に悩まれておられました。この時、慈覚大師によって遠く横浜高田の地に湧き出でる、霊験あらたかであると言われる霊泉が献上されました。(リンク先より) << 戻る
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岩角寺-福島県本宮市

・岩角寺 天台宗 福島県本宮市和田字東屋口84開山は人皇55代 文徳天皇 の御代、仁寿元年(西暦851年)。天台宗第3祖慈覚大師が開基された霊場です。山中に点在する露出した岩石には、それぞれに即した名が付けられ、その岩肌には江戸時代に西国より移し線刻された西国霊場33ヵ所の観世音や菩薩、天王、天神などの808躯が刻まれています。(リンク先より) << 戻る
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千手院-長野県南佐久郡

・千手院 天台宗 長野県南佐久郡佐久穂町平林263佐久十四番札所として、平林觀音さまで知られている千手院は、天台宗に属し比叡山を総本山とし、仁寿年間(紀元一五十一年頃)第三世天台座主を勤められました慈覚 大師「圓仁」の開基で、現在まで七十六代、一千百五十余年の法統を守る古刹であります。 山号を平林山、寺号を津金寺と称し、千手觀世音菩薩を本尊とし日本三津金寺の一寺です。日本三津金寺とは、北佐久郡立科町山部の津金寺、甲州津金の津金寺(現在の海岸寺)と當山の三箇寺で、ひとり寺号を同じくするのみでなく、ともに行基菩薩御手造りの三躰觀世音菩薩像を各々本尊としています。(リンク先より)※仁寿年間 851年...
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毛越寺-岩手県西磐井郡

・毛越寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字大沢58寺伝によると嘉祥3年(850)慈覚大師が東北巡遊のおり、この地にさしかかると、一面霧に覆われ、一歩も前に進めなくなりました。ふと足元を見ると、地面に点々と白鹿の毛が落ちておりました。 大師は不思議に思いその毛をたどると、前方に白鹿がうずくまっておりました。大師が近づくと、白鹿は姿をかき消し、やがてどこからともなく、一人の白髪の老人が現われ、この地に堂宇を建立して霊場にせよと告げました。大師は、この老人こそ薬師如来の化身と感じ、一宇の堂を建立し、嘉祥寺と号しました。これが毛越寺の起こりとされます。(リンク先より)<< 戻る
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中尊寺-岩手県西磐井郡

・中尊寺 天台宗 岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関202中尊寺は嘉祥3年(850)、比叡山の高僧慈覚大師円仁によって開山されたといわれています。慈覚大師は天台宗第三代座主で、世界三大旅行記のひとつ『入唐求法巡礼行記』の著者としても知られています。大師の開山は「勧請開山」と言って、師の法を汲む人々がその徳を偲んで開山として仰いだものです。(リンク先より) << 戻る
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行元寺-千葉県いすみ市

・行元寺-HOME 天台宗 千葉県いすみ市荻原2136東頭山無量寿院行元寺は、嘉祥2年(849)慈覚大師円仁によって伊東大山(現夷隅郡大多喜町伊藤)に草創されました。大師帰朝後、東国で最初に開山されたところから、「東頭山」と名づけられ、頭山三学院無量寿寺と称して隆盛を極めました。(リンク先より) << 戻る
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霊桃寺-岩手県奥州市

・霊桃寺 臨済宗妙心寺派 岩手県奥州市前沢区前沢字山下72平安時代、東北地方に仏教の伝播を図った慈覚大師円仁に由来します。承和5年(838)に、壇ヶ森と云う地に『北長谷漆寺』と云う天台宗の寺院が建立されました。このお寺には、慈覚大師円仁が一刀三礼(ノミを一回入れる度に三拝をすること)して彫ったと伝わる、像高129cmの十一面観世音菩薩木仏立像が安置されました。(リンク先より) << 戻る
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龍城院-岡山県浅口市

・龍城院 天台宗 岡山県浅口市寄島町6881当山は天台宗福井山寿福寺龍城院と号し、宗祖伝教大師最澄 (七六七〜八二二)の高弟、慈覚大師(円仁)による承和五年(八三八)の開基で建立され、天台宗の道場として法燈を今日に伝えてきました。(リンク先より) << 戻る
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二尊院-京都府京都市右京区

・二尊院 天台宗 京都府京都市右京区嵯峨二尊院門前長神町27二尊院の歴史は、嵯峨天皇の勅願により天台宗第三世慈覚大師(円仁)が承和年間(八三四〜八四八)に建立したことにはじまります。 鎌倉時代の初期には、法然上人(一一三三〜一二一二)が二尊院に住んで法を説かれ、関白九条兼実公(一一四九〜一二〇七)を筆頭に身分の高い人たちの信望を集め(リンク先より)<< 戻る
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本性院-岡山県倉敷市

・本性院 天台宗 岡山県倉敷市玉島黒崎4595寺伝によると、円仁(慈覚大師)によって平安時代初期の承和年間(834〜848年)に開かれ、寺は沙美の北の山中、上谷にありました。永正年間(1504〜1521年)同地区の奥に移転、観音堂を建立。その後さらに化谷(ばけだに)へと移りました。その頃の寺号は「圃福寺」で、鴨方の明王院末となります。(リンク先より) << 戻る
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清浄山光明寺-広島県尾道市

・清浄山光明寺 浄土宗西山禅林寺派 広島県尾道市東土堂町2-8当山は、仁明天皇の承和年間(834年~847年)、慈覚大師円仁(じかくだいし・えんにん)によって草創されたと言われています。従って、もともと天台宗の寺でありましたが、鎌倉時代の末期の建武3年(1336年)2月、足利尊氏(あしかが・たかうじ)が西下のとき、尊氏の従軍僧であった道宗雙救上人(どうそうそうきゅう・しょうにん)が今川貞世と共に人心鎮撫(じんしんちんぶ:※1)のため後詰めとして、当寺に足を止めたとき智海和尚を助け、自らが大願主となり光明寺を再興し、浄土宗へと改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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西明寺-滋賀県犬上郡

・西明寺 天台宗 滋賀県犬上郡甲良町池寺26寺伝によると、平安時代の初期に当たる承和元年(834年)のある日、三修上人(慈勝上人)が、琵琶湖の西岸を歩いていると、突如として琵琶湖の東方の彼方より、紫雲が現れまぶしい光が射しました。この雲や光を見た上人は「この光の源をたずねれば、きっとすばらしい霊地があり、修行中の私に何か悟らしめて、重大な使命が下されるに違いない」との霊感に打たれ、池に向かって一心に祈念なされました。やがて、不思議な事に薬師如来の尊像が現れ、その後に日光菩薩、月光菩薩、続いて十二神将が現れました。三修上人に帰依していた仁明天皇は、この不思議な出来事を聞くと、この地に勅願寺として...
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中院の建立

天長7年(830)伝教大師最澄の弟子、慈覚大師円仁が、芳道仙人の古跡であった仙波の霊場を天皇に奏上。あらためて一寺を建立し、星野山無量寿寺仏地院の勅号を賜りました。<< 戻る
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東泉寺-埼玉県さいたま市浦和区

・青柳山東泉寺 天台宗 埼玉県さいたま市浦和区瀬ケ崎2-15-3開創は天長六年(西暦829年)で、さいたま市(旧浦和市内)における古代創建九寺の一とされている。開基は慈覚大師円仁と伝えられ、中興開山玄性と、新編武蔵風土記稿に記載されている。明治十八年より木崎村役場、二十年より木崎小学校高等科校舎として、しばらく使われていた。(リンク先より) << 戻る
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瑞巌寺-宮城県宮城郡

・瑞巌寺 臨済宗妙心寺派 宮城県宮城郡松島町松島字町内91瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といい、現在臨済宗妙心寺派に属しております。開創は平安の初めにさかのぼります。天長5年(828)比叡山延暦寺第三代座主慈覚大師円仁が淳和天皇の詔勅を奉じ、3000の学生・堂衆と共に松島に来て寺を建立しました。この寺は延暦寺と比肩すべき意を持って延福寺と命名され、平泉・藤原氏の外護を受けました。(リンク先より) << 戻る
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慈恩寺-埼玉県さいたま市岩槻区

・慈恩寺 板東三十三観音札所 天台宗 埼玉県さいたま市岩槻区慈恩寺139慈恩寺は、華林山最上院ともいい、天長元年(824)に慈覚大師によって開かれた天台宗の古刹です。江戸時代には徳川家康から寺領100石を拝領していたこともあり、坂東三十三ヶ所観音霊場の十二番札所でもある(リンク先より) << 戻る
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龍泉寺-茨城県龍ヶ崎市

・龍泉寺 天台宗 茨城県龍ヶ崎市下町2857-1山号 : 東福山(とうふくざん)院号 : 水天院(すいてんいん)寺号 : 龍泉寺(りゅうせんじ) 創建 : 8世紀初頭(淳和年間)開祖 : 蓮雪法印(日光山開山、勝道上人の高弟)御本尊 : 聖観世音菩薩(リンク先より)※淳和年間 824年から834年 << 戻る
年表

延暦寺という寺号を授けられる

弘仁14(824)年、嵯峨天皇は最澄上人の死を惜しまれ、延暦寺という寺号を授けられました。このときから比叡山寺(日枝山寺)から延暦寺と呼ばれるようになりました。年号を寺号にしたのは、日本ではこれが最初です。<< 戻る