便り 普賢院-茨城県稲敷郡 ・普賢院 天台宗 茨城県稲敷郡美浦村信太2164金龍山観音寺普賢院は、比叡山延暦寺を総本山と仰ぐ天台宗の寺院です。所在地は、和名抄の信太の本郷にあり、元享元年(1331年鎌倉末)7月相馬孫次郎行胤により開基され、この地の信仰を集めていました。その後、一時荒廃にありましたが、寛文7年(1667年)幸俊上人の手により中興開山された歴史の古い寺院です。(リンク先より) << 戻る 1331.07.01 便り年表
便り 尊光寺-徳島県阿波市 ・尊光寺 浄土真宗本願寺派 徳島県阿波市天神41鎌倉時代末の徳治年間(1306-8)に播磨国赤松氏釋正玄は阿波に移り、阿讃山中の要地である九王野に寺基を開き、無量壽院尊光寺と号し当初は天台宗に属した。八代正淳の世に戦火にあい一切を消滅したが、九王野の旧地は「尊光寺屋敷」として伝承され、一部墓石と共に現在に伝わる。(阿波市土成町指定文化財史跡)蜂須賀蓬庵公の阿波入国により、九代正尊はその外護をうけて現在の地、大野島に尊光寺を復興し、寛永三年に上洛し浄土真宗に帰した。(リンク先より) << 戻る 1306.01.01 便り年表
便り 宝戒寺-神奈川県鎌倉市 ・宝戒寺 公式サイト 天台宗 神奈川県鎌倉市小町3-5-22当山は天台宗の寺院で金龍山 釈満院 円頓宝戒寺(きんりゅうざん しゃくまんいん えんどんほうかいじ)と号す。開基は後醍醐(ごだいご)天皇(1288~1339)開山は天台座主 五代 国師円観恵鎮慈威和上(てんだいざす ごだい こくしえんかんえちんじいかしょう)(注1)で建武(2年)年間創建された。当寺は北条義時(よしとき)が小町邸を造って以来北条執権の屋敷となり、元弘(げんこう)3年(1333)5月22日北条九代滅亡後その霊を慰めるため、又、国宝的人材を養成修行せしめる道場として後醍醐(ごだいご)天皇が足利尊氏公に命じこの屋敷跡に建立さ... 1288.01.01 便り年表
便り 西光寺-愛知県愛西市 ・【公式サイト】愛西市寺院西光寺 真宗大谷派 愛知県愛西市稲葉本郷200古い寺伝によれば当寺は元天台宗で諦善(文永9年(1272)5月死亡)が創立した。その頃より伝教大師作と言われる聖徳太子立像を安置している。元美濃国の幡長という所にあったが中島郡の三宅村(現平和町)に移ると、当時の領主橋本伊賀守の菩提所となった。(リンク先より) << 戻る 1272.05.01 便り年表
便り 弘長寺-新潟県南魚沼市 ・弘長寺 時宗 新潟県南魚沼市六日町2303弘長寺は、元々は天台宗延暦寺の末寺であり、弘長元年(1261年頃)、六日町大柳の地に金城山弘長庵として開山しました。そして、正応2年(1289年)5月(鎌倉時代後期)に時宗二祖真教上人とその弟子長真がこの地に足を止めて、天台宗の寺院から時宗の寺院へと改宗しました。この年を時宗寺院として弘長寺の開基と致します。(リンク先より) << 戻る 1261.01.01 便り年表
人物 慈円(じえん) 平安時代末期から鎌倉時代初期の天台宗の僧侶。歴史書『愚管抄』を記したことで知られます。諡号は慈鎮和尚、通称に吉水僧正、また『小倉百人一首』では前大僧正慈円と紹介されています。 父は摂政関白・藤原忠通、母は藤原仲光女加賀、摂政関白・九条兼実は同母兄にあたります。幼くして青蓮院に入寺し、仁安2年(1167年)天台座主・明雲について受戒します。治承2年(1178年)に法性寺座主に任ぜられ、養和2年(1182年)に覚快法親王の没後、空席になった青蓮院を継ぎました。建久3年(1192年)、38歳で天台座主になります。その後、慈円の天台座主就任は4度に及びました。吉田兼好の『徒然草』には、「一芸ある者なら... 1225.09.25 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 金澤寺-埼玉県比企郡 ・金澤寺 曹洞宗 埼玉県比企郡鳩山町泉井1376金澤寺(こんたくじ)の創建は、建保6年(1218年)僧正達によって開基創建されたと、武蔵國郡村誌に記されている。創建当時は天台宗の寺院で、ときがわ町慈光寺の末寺とされていた。その後衰微したが、禅宗曹洞宗、入間郡龍ケ谷村龍隠寺の16世、開山梅叟高和尚を招き、中興する。本尊には現在の御本尊でもある正觀音を安置した。(リンク先より) << 戻る 1218.01.01 便り年表
便り 龍泉寺-栃木県足利市 ・龍泉寺 天台宗 栃木県足利市助戸1-652当寺は、元久2年(紀元1205年3月)の開創であり、権現堂と称し比叡山の直末寺である。開山は叡海地蔵上人様であり、紀州那智(現在の和歌山県)の人である。ある夜の夢に異形の人が現れ、告げて曰く「吾と汝と共に日本60余州を巡礼し、66部の経典を各霊場に納め、汝は是れ我なり」と言うなり霞の如く消失したという。(リンク先より) << 戻る 1205.03.01 便り年表
便り 瑠璃寺-長野県下伊那郡 ・瑠璃寺 天台宗 長野県下伊那郡高森町大字大島山812比叡山竹林院の観誉僧都(かんよそうず)がこの地に入り、 仁王山の間の洞(あいのほら)の樹間に出現した薬師如来にいたく感激し、創建した古刹です。 建久3(1197)年に源頼朝の祈願所となり、寺領750石を永代寄進。その折、三本の桜も共託された。伊那谷に拝む 平安仏の寺、源頼朝公祈願寺、上杉謙信公戦勝祈願の寺、武田信玄公仏道修行の寺、徳川家御加護の寺として知られている。聖衆来迎の図、十六善神、愛染明王、武田信玄寄進の鶏香炉、雨乞いの青獅子などの寺宝がある。(リンク先より) << 戻る 1197.01.01 便り年表
便り 勝善寺-千葉県南房総市 ・黒石山龍燈院 勝善寺 真宗大谷派 千葉県南房総市二部1344-2建久元(1190)年 天台宗の僧永範が検儀谷原黒石山に一宇を建立し、黒石山龍燈院勝善寺と号す。元仁元(1224)年 永範は、親鸞聖人に帰依し浄土真宗に改宗し釋明空と名のる。(リンク先より) << 戻る 1190.01.01 便り年表
便り 皆福寺-愛知県豊田市 ・皆福寺 真宗大谷派 愛知県豊田市幸海町神田9皆福寺は、松平地区最古の寺院であり、創建については、諸説あるが、1181年(養和元年)又は1247年(宝治元年)と伝承されている。当時は、酒呑村梅上(現在地から北へ500m程の地区)を所在地とし、天台宗のお寺であったが、正和年間(1312~1316)の頃に、第4代住職光玄が本願寺第3代覚如上人(1270~1351)の直弟子となり、真宗に改宗した。(リンク先より) << 戻る 1181.01.01 便り年表
便り 芳蘚寺-静岡県浜松市中区 ・芳蘚寺 真宗大谷派 静岡県浜松市中区池町225-18天台宗としての開創は平清盛が太政大臣(ダジョウダイジン)に就任して、その3年目の嘉応元年(1169)である。(リンク先より) << 戻る 1169.01.01 便り年表
便り 慈光寺-岩手県久慈市 ・慈光寺 時宗 岩手県久慈市大川目町22-62過去数度の火災や戦乱により、当山の歴史を証明する資料を失っておりますが、次のような縁起・由来が今に伝わっております。当山は仁安3年(1168)に、もともとは天台宗として開山します。その後、時宗の二祖上人である真教上人の勧めにより、時宗に転宗しました。(リンク先より) << 戻る 1168.01.01 便り年表
便り 清光寺-山梨県北杜市 ・清光寺 曹洞宗 山梨県北杜市長坂町大八田6600当寺は平安時代、仁平元年(1151年)に信立寺と称し、逸見玄源太清光の創建になる天台宗寺院で、清光の没後、清光寺に改められた。その後、文明7年(1475年)、興因寺(甲府市)二世悦堂宗穆和尚が開山となり、曹洞宗に改め、現在に至る。(リンク先より) << 戻る 1151.01.01 便り年表
便り 聖徳寺-愛知県名古屋市北区 ・普門山吉祥院 聖徳寺 天台宗 愛知県名古屋市北区福徳町2-30藤原時代の草創で開基は清和天皇の後裔、六孫主源経基の次男源満政七世の孫、浦埜四郎重遠の次男、従六位下右衛門少尉、葦敷次郎源重頼(安食次郎)であり、安食の荘の荘司である。長承墨股合戦(1133)の戦死の霊を弔うために建立する。(リンク先より) << 戻る 1133.01.01 便り年表
便り 長寿院-千葉県成田市 ・長寿院 曹洞宗 千葉県成田市名古屋346人皇七十四代鳥羽天皇元永2(1119)年 天台律師作蓮により開基。永正17(1520)年 祥鳳院第二世心伝永直が曹洞宗の寺院として開山。開基は春岩藤公大禅定門と伝えられる。本尊は聖観世音菩薩。平安時代の佛師定朝の作と伝えられる。(リンク先より) << 戻る 1119.01.01 便り
便り 蓮教寺-岐阜県本巣市 ・蓮教寺 浄土真宗本願寺派 岐阜県本巣市浅木120康和5年(1102)年の創設と伝えられます。開基は、清和天皇の末裔で貞純親王の孫にあたります重實で、浅木村(現在の本巣市浅木)に一宇を建立し、釈浄忍となりました。当時は天台宗の寺院で、蓮教院と称しました。 その後、文明年間に美濃の国は、蓮如上人の教化をいただき、「念仏を称え浄土に生まれて仏になる」浄土真宗に帰依をする人々が多くなりました。浅木の蓮教院も、1469年第16代釈宗善のとき、蓮如上人に帰依をし、浄土真宗の寺院となり、寺号を蓮教寺としました。(リンク先より)<< 戻る 1102.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 扶桑略記 扶桑略記(ふそうりゃくき)とは、1094年(寛治8年)以降の堀河天皇代に比叡山功徳院の僧・皇円が編纂したとされる私撰歴史書ですが、異説もあります。全30巻より成り、このうち巻二~六、巻二十~三十の計16巻と、巻一及び巻七~十四の抄記が現存します。神武天皇より堀河天皇の1094年(寛治8年)3月2日までの国史について、和漢年代記を書入れ、六国史や『慈覚大師伝』などの僧伝・流記・寺院縁起など仏教関係の記事を中心に、漢文・編年体で記しています。多くの典籍を引用していることは本書の特徴の一つですが、その大半が今日伝わっておらず、出典の明らかでない記事も当時の日記・記録によったと思われます。<< 戻る 1094.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 大圓寺-福岡県福岡市中央区 ・大圓寺 浄土宗 福岡県福岡市中央区唐人町3-10-9大佛大圓寺は、平安時代中ごろの康平3年(1060年)9月、早良郡西入部村(現、早良区西入部)に鎮守府将軍源頼信公によって天台宗として建築されたと伝えられています。後に大宰大貮となった平清盛により衰退させられました。鎌倉時代の正和5年頃(1316年)、崇福寺の第3祖大応国師が帰朝した際、大圓寺の荒廃を嘆き、臨済禅宗として復興されました(リンク先より) << 戻る 1060.09.01 便り年表
便り 善峯寺-京都府京都市西京区 ・善峯寺 天台宗 京都府京都市西京区大原野小塩町1372・第十九番 ⇒ 西国三十三所 第二十番 西山 善峯寺 ⇒ 第二十一番善峯寺は平安中期の長元2年(1029)源算上人により開かれました。源算上人は比叡山横川の恵心僧都(源信)に師事して、47歳で当山に入り、小堂に御自作の千手観音を本尊として奉安されます。 長元7年(1034)後一条天皇より鎮護国家の勅願所と定められ、「良峯寺」の寺号が下賜されます。長久3年(1042)後朱雀天皇勅命により、洛東鷲尾寺の仁弘法師御作千手観音を当山に遷して本尊とされて、先の観音像を別に祀られました。建久3年(1192)後鳥羽天皇より現在の「善峯寺」の宸額が下賜さ... 1029.01.01 便り年表
人物 源信(げんしん)- 恵心僧都(えしんそうず) 源信は、平安時代中期に比叡山で修行を積んだ天台宗の僧侶です。恵心僧都と尊称されます。源信は死後阿弥陀如来の来迎を受けて、極楽浄土へ生まれることを願う、浄土信仰を広めた僧として知られます。『往生要集』(おうじょうようしゅう)などにより源信が示した具体的な死後の世界のイメージは、後世へも多大な影響を及ぼしました。浄土真宗では、七高僧の第六祖とされ、源信和尚、源信大師と尊称されます。生誕 天慶5年(942年)、大和国(現在の奈良県)北葛城郡当麻に生まれました。源信の母が、高雄寺の観音像に祈願したところ、その霊験によって源信を授かったといわれ、その観音菩薩立像(重要文化財)は現存します。幼名は「千菊丸... 1017.06.10 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 長保寺-和歌山県海南市 ・長保寺 天台宗 和歌山県海南市下津町上689長保寺は長保2年(1000)に一条天皇の勅願によって創建され、鎌倉時代に現在の伽藍の姿が整いました。(リンク先より) << 戻る 1000.01.01 便り年表
便り 神積寺-兵庫県神崎郡 ・神積寺 天台宗 兵庫県神崎郡福崎町東田原1891徳山神積寺は内供奉慶芳上人が開山した。比叡山第18代座主慈恵大師に指示を仰ぎ、諸国巡錫の砌、正暦2年(991)3月8日に田原の郷、辻川有井堂にて、文殊菩薩のお告げとその守護を得、一条天皇(987~1011)の勅により当山を開き、薬師如来が本尊として祀られている。(リンク先より) << 戻る 0991.01.01 便り年表
便り 禅定寺-京都府綴喜郡 ・禅定寺 曹洞宗 京都府綴喜郡宇治田原町大字禅定寺小字庄地100白華補陀落山観音妙智院禅定寺(びゃくげほだらくさんかんのんみょうちいんぜんじょうじ)と称す。 平安時代中期の正暦二年(991年)に東大寺五十三代別当であった平崇上人により創建された。 もとは、天台宗だが、現在は禅宗の曹洞宗(リンク先より) << 戻る 0991.01.01 便り年表
便り 圓満院門跡-滋賀県大津市 ・圓満院門跡 単立 滋賀県大津市園城寺町33圓満院は寛和三年(987年)に、村上天皇の第三皇子悟円親王により創立された天台宗の門跡寺院です。三井三門跡の一つであり、開基当時は平等院と呼ばれていました。藤原道長が宇治に建てた別荘をその子藤原頼道の時代に寺院にするよう命令が下され、平等院(後の圓満院)の明尊大僧正によって完成しました。(リンク先より) << 戻る 0987.01.01 便り年表
便り 吉田寺-奈良県生駒郡 ・吉田寺 浄土宗 奈良県生駒郡斑鳩町大字小吉田1-1-23吉田寺の創建は古く、天智天皇の勅願によると伝えられ、本堂西側には妹君・間人内親王の御陵と伝えられる清水の古墳がある。その後、平安時代末期、永延元年(987年)に恵心僧都源信が開基された。(リンク先より) << 戻る 0987.01.01 便り年表
便り 満福寺-岐阜県大垣市 ・満福寺 真宗大谷派 岐阜県大垣市墨俣町墨俣131寛和の頃(986年)天台宗の伽藍として創建されたが、熊谷蓮生房の猶子、小太郎直照・祐照法師が浄土真宗の宗祖親鸞聖人に帰依してより、嘉禎元年(1235年)葉栗郡門間の庄足近に金足山・満福寺と号した。(リンク先より) << 戻る 0986.01.01 便り年表
人物 良源(りょうげん)- 元三大師 平安時代の天台宗の僧。 諡号は慈恵大師(じえだいし)。通称の元三大師(がんざんだいし)の名で知られる。 第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られる。生誕 延喜12年9月3日(912年10月15日)命日 永観3年1月3日(985年1月26日)<< 戻る 0985.01.03 人物年表
仏教を本気で学ぶ 『往生要集』(おうじょうようしゅう) 平安時代の中ごろにあたる985年、源信(げんしん)(恵心僧都・えしんそうず)の書いた1部3巻からなる仏教書。極楽浄土のすばらしさと念仏往生(ねんぶつおうじょう)の方法をのべたものです。この教えは、末法思想(まっぽうしそう)の流行とあいまって、貴族をはじめ、多くの人々の間に広まりました。後の時代、法然や親鸞などにあたえた影響が大きいです。死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行をあげる以外に方法はないと説き、浄土教の基礎をつくりました。また、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神は、貴族・庶民らにも普及し、後の文学思想にも大きな影響を与えました。一方、易行とも言える称名念仏とは別に、瞑... 0985.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 應昌寺-群馬県前橋市 ・應昌寺 天台宗 群馬県前橋市河原浜町1020應昌寺(おうしょうじ)は西暦975年、日本の元号では天延3年に天台宗の僧、慈恵大師良源によって開山された。元は現在より西方の河川付近に建立された寺院だが、度重なる河川の氾濫により現在の位置に建て直された。(リンク先より) << 戻る 0975.01.01 便り年表
便り 弘行寺-千葉県長生郡 ・長生不動尊 弘行寺 天台宗 千葉県長生郡睦沢町下之郷1875971年(天禄二年)寺史によると十八代天台座主慈恵大師良源(元三大師)によって創建当初は浅間山付近(玉垣神社向かい)に堂宇が建立され、如願寺(女元寺)と称す(浅間山は古墳群として知られ宝剣類、変形獣形鏡、三輪玉、和泉期の高杯などが出土。年代は5世紀後半から6世紀後半)古文書に「女元寺村の祈禱所にて滅罪一人もなき寺」とあり(リンク先より) << 戻る 0971.01.01 便り年表
便り 蓮蔵寺-三重県津市 ・蓮蔵寺 天台真盛宗 三重県津市戸木町2078この寺は凡そ1040年余り前、応和3年(963)慈恵大師の創建と伝えられています。その後寛和2年(986)恵心僧都によって念仏道場として再建されました。延徳元年((1489)に真盛上人が恵心僧都の跡を継ぎ、法灯をかかげて不断念仏を再興し、円頓の妙戒を授け、「十方有信の四衆雲の如く集ひて財を投じ、堂舎を造立す」と記されています。(リンク先より) << 戻る 0963.01.01 便り年表