「 曹洞宗の出来事 」 一覧
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瑩山禅師、大乗寺2世に
乾元元(1302)年、35歳の時に大乗寺2世の住職となり、明峰素哲、峨山紹碩といった弟子達が集まるようになりました。 << 戻る
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『伝光録』(でんこうろく)
正安元(1299)年、加賀の大乗寺に戻り、正安2(1300)年、義介禅師の代理として大乗寺の修行僧に対し釈尊以来五十三祖の機縁を提唱し、後に『伝光録』としてまとめられます。 坐禅・仏法が釈尊からインド ...
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瑩山禅師、道元禅師の袈裟を伝授される
永仁3(1295)年1月14日、義介禅師より道元禅師が自ら縫われた袈裟を伝授されました。その後、阿波国海部郡司が開基した城満寺(現在の徳島県海部郡海陽町)に迎えられ開山となり、また、肥後(熊本県)の大 ...
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瑩山禅師、印可を受ける
永仁2(1294)年、上堂にて「平常心是道」の逸話を聞いて大悟され、義介禅師より印可を受けました。 << 戻る
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瑩山禅師、三代相論により大乗寺に移る
正応2(1289)年春、三代相論により永平寺を下山した義介禅師に従い加賀(現在の石川県金沢市)の大乗寺に移る。 << 戻る
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瑩山禅師、諸国行脚へ
弘安8(1285)年1月、諸国行脚(あんぎゃ)の途に入り、越前大野の宝慶寺(ほうきょうじ)の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲恵暁禅師など様々な諸師に訪ね、また比叡山に上っては天 ...
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孤雲懐奘(こうんえじょう)
鎌倉時代の禅宗僧侶。京都に生まれる。懐弉とも記述されます。道元禅師に就いて嗣法。弟子には徹通義介、寒巌義尹、寂円がいる。 父は九条為通。幼少の頃より比叡山に上り、18歳で出家し天台宗の学僧になります。 ...
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宝積寺-群馬県甘楽郡
・宝積寺 曹洞宗 群馬県甘楽郡甘楽町大字轟774 宝積寺(ほうしゃくじ)は、現在のお寺より南に4キロ行った山の中腹にある天寿庵(てんじゅあん)と言う庵(いおり)からきています。お寺の境内には、弘安3年 ...
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瑩山禅師の出家得度
弘安3(1280)年、13歳の時に永平寺二世である孤雲懐奘禅師について出家得度し、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)と名を改めました。 << 戻る
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玄猷寺-愛知県東海市
・玄猷寺 曹洞宗 愛知県東海市富木島町北島28 草創以前は草庵で、弘安2年(1279年)に建立とされる石碑がかつての境内墓地にあったという。開山は、臨済宗天龍寺派の開祖夢窓国師(疎石、1275~135 ...
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慈雲寺-千葉県船橋市
・大峰山慈雲寺 曹洞宗 千葉県船橋市宮本6-25-7 弘安2年(1279年)、北条時宗の招請により来朝した宋の僧、無学祖元を開山に迎え、当時この地を治めていた北条氏により創建されました。開山当初は、現 ...
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瑩山禅師永平寺に入る
観世音菩薩を信仰する母親のもとで育てられた瑩山禅師は、文永12/建治元(1275)年、8歳の時に永平寺に入り、徹通義介禅師の下で沙弥となり修行を始めました。 << 戻る
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瑩山禅師誕生
瑩山禅師は、文永5(1268)年11月21日(陰暦では10月8日)に越前多称邑(たねむら)(現在の福井県越前市帆山)の豪族瓜生家で生まれました。道元禅師が亡くなってから15年後のことです。幼名を行生( ...
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妙高寺-新潟県小千谷市
・妙高寺 曹洞宗 新潟県小千谷市川井114 妙高寺は740年余り前の鎌倉時代、1265年(文永2年)内ケ巻城主(現在の小千谷市川井内ケ巻)で新田氏の一族 田中大炊介源義房(たなかおおいのすけみなもとの ...
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妙喜寺-愛知県西尾市
・願王山妙喜寺 曹洞宗 愛知県西尾市江原町屋敷16 人皇90代亀山天皇の御宇、文永元年(1264)江原城城主江原丹波守により開創され、開山は天桂膳薫大和尚である。本尊地蔵願王菩薩木座像(体内仏を治め厨 ...
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道元禅師(どうげんぜんじ)
道元とは、鎌倉時代初期の僧侶で、日本における曹洞宗の開祖です。晩年に希玄という異称も用いました。高祖と尊称されます。諡号は仏性伝燈国師、承陽大師。諱は希玄。一般には道元禅師と呼ばれます。 ...
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龍泉院-千葉県柏市
・龍泉院 曹洞宗 千葉県柏市泉81 開創 建長五年(1253年)、相馬氏によるといわれております。道元禅師が54歳で入寂された年です。 ご開山 木更津の眞如寺第六世量指長英大和尚(1555年寂)をお迎 ...
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道元禅師 永平寺を孤雲懐奘禅師に譲る
建長4(1252)年、夏頃から体調を崩し、建長5(1253)年には永平寺の貫首を弟子の孤雲懐奘禅師(こうんえじょうぜんじ)に譲ります。 << 戻る
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玉川寺-山形県鶴岡市
・玉川寺 曹洞宗 山形県鶴岡市羽黒町玉川字玉川35 玉川寺は、今から凡そ7百有余年前の鎌倉時代(1251年)に開かれた曹洞宗(禅宗)の寺院です。この寺を開いた了然法明禅師は、朝鮮高麗国の生まれで中国の ...
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道元禅師 鎌倉下向
宝治元(1247)年、執権北条時頼、波多野義重らの招請により、鎌倉に赴き、半年という短期間ではありましたが武士をはじめとする多くの人々を教化されました。 << 戻る
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大興善寺-福岡県北九州市小倉南区
1245/01/01 -便り, 年表
1245年, 大興善寺-福岡県北九州市小倉南区, 曹洞宗, 曹洞宗の出来事, 福岡県, 福岡県北九州市小倉南区, 福岡県北九州市小倉南区(曹洞宗), 福岡県(曹洞宗), 鎌倉時代・大興善寺 曹洞宗 福岡県北九州市小倉南区蒲生2-8-6 大興善寺は北九州市小倉南区蒲生のわしみね山の麓にあり、山号を鷲峰山と称します。「鷲峰山縁起」によると奈良西大寺の興正菩薩睿尊を請開山として寛元 ...
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養寿院-埼玉県川越市
・青龍山養寿院 曹洞宗 埼玉県川越市元町2-11-2 養寿院は、寛元二年(1244年)、河越太郎重頼の曾孫にあたる経重が開基となり、大阿闍梨圓慶法印が開いたお寺です。 天文四年(1535年)時の住職隆 ...
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永平寺-福井県吉田郡
1244/01/01 -便り, 年表
1244年, 三世仏, 大本山, 天童如浄, 弥勒菩薩, 曹洞宗, 曹洞宗の出来事, 永平寺-福井県吉田郡, 福井県, 福井県吉田郡, 福井県吉田郡(曹洞宗), 福井県(曹洞宗), 道元禅師, 釈迦如来, 鎌倉時代, 阿弥陀如来・永平寺 曹洞宗 福井県吉田郡永平寺町志比5-15 道元さまが四十三歳の頃、俗弟子であった波多野義重公の招きにより、越前の地に赴きます。翌年、道元さまは大仏寺を開き、二年後に「永平寺」と改称します。永 ...
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金光寺-三重県鈴鹿市
・金光寺 曹洞宗 三重県鈴鹿市東庄内町853 宝暦二年(1752)に書かれた「勢州鈴鹿郡原之庄階下無量林金光寺興廃旧記」によれば、応治二年(1241)、天台僧円海による開基とされます。貞治元年(136 ...
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興聖寺-滋賀県高島市
・興聖寺 曹洞宗 滋賀県高島市朽木岩瀬374 四条天皇の嘉禎3年(西暦1237年)近江源氏(宇多源氏)近江守護佐々木信綱が京都で宋から帰洛された曹洞宗開祖 道元禅師に謁し、承久の乱で戦死した一族の供養 ...
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『典座教訓』(てんぞきょうくん)
1237/01/01 -仏教を本気で学ぶ, 年表
07月21日, 1237年, ただ一つの事に向き合う, て, 仏祖になった人の生き方, 典座教訓, 曹洞宗の出来事, 洞山良价, 潙山霊祐, 道元禅師, 鎌倉時代典座教訓とは、修行道場で食事を担当する役職である「典座」の心がまえを示した書です。1237年に道元禅師により、自身の中国での修行の経験を踏まえて著されました。それまで日本では注目されることなく軽視され ...
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『学道用心集』(がくどうようじんしゅう)
学道用心集は、道元禅師が興聖寺を開かれた翌年1234年に示されました。全10章の漢文による書物です。修行僧の心得を述べたもので、「菩提心を起こす可き事」にはじまり、「正法を見聞して必ず修習すべき事」「 ...
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興聖寺-京都府宇治市
・仏徳山 興聖寺 曹洞宗 京都府宇治市宇治山田27-1 1229年(寛喜元年)頃、道元禅師(どうげんぜんじ)が宋から帰国後、深草の安養院に閑居。観音導利興聖宝林禅寺(『典座教訓』)。(藤原氏ゆかり極楽 ...
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『普勧坐禅儀』(ふかんざぜんぎ)
1228年、道元禅師が中国から帰国後直ちに建仁寺にて著された『普勧坐禅儀』には坐禅の心がまえや作法などについて書かれています。 オリジナルは格調高い四六駢儷体の漢文で、坐禅の基本的な仕方から、その本旨 ...
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道元禅師の帰国
安貞2(1228)年、28歳の道元禅師は5年におよぶ修行を終え日本に帰国しました。帰国後直ちに建仁寺にて著された『普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)』には坐禅の心がまえや作法などについて書かれています。格調 ...
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道元禅師の嗣法
貞応2(1223)年、24歳のとき、道元禅師は明全和尚と共に博多から南宋(中国)に渡り諸山を巡ります。天童山にて天童如浄禅師(てんどうにょじょうぜんじ)とめぐりあいます。道元禅師は如浄禅師を生涯の師( ...
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道元禅師の出家得度
建保元(1213)年、比叡山にいる母方の叔父良顕を訪ね、建保2(1214)年、14歳の禅師は比叡山座主・公円僧正について剃髪出家得度し、仏法房道元と名乗ります。比叡山では天台教学を中心に学びましたが、 ...