臨済宗の出来事

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満勝寺-宮城県仙台市青葉区

・満勝寺 臨済宗東福寺派 宮城県仙台市青葉区柏木3-5-13當午山満勝寺(満勝禅寺)は、伊達氏初代朝宗公の菩提寺として、鎌倉期の弘安六年に伊達氏四世政依公により、現在の福島県桑折町に開創されたとされていますが、近年の調査で政依公以前に満勝寺が建立されていたことが明らかになりました。(リンク先より)※弘安六年 1283年 << 戻る
仏教を本気で学ぶ

円覚寺派(本山円覚寺(鎌倉))の開派

弘安5(1282)年、中国・元から招かれた無学祖元禅師により始まる。臨済宗円覚寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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覚照山慶明寺の建立

慶明寺は弘安4年(1281年)建立の寺院。「今昔物語」に登場する天文学者で陰陽家であった阿倍晴明がここに立ち寄り、梵字を彫ったという自然石があります。石の下には、鎌倉時代の播磨の悪党花岡太郎が埋められていると伝えられています。<< 戻る
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松吟寺-茨城県常陸大宮市

・松吟寺 臨済宗東福寺派 茨城県常陸大宮市下町207当山は、臨済宗東福寺(とうふくじ)派大本山東福寺の直末(総本山直属の末寺)として、建治二年(1276年)開基(かいき)常陸国(ひたちのくに)守護佐竹常陸介義胤公、開山は東福寺開山円爾弁円大和尚「勅諡(ちょくし)聖一国師(しょういちこくし)」により開創されました名刹です。(リンク先より) << 戻る
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正伝護国禅寺-京都府京都市北区

・吉祥山正伝護国禅寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市北区西賀茂北鎮守庵町72文応元年(1260)に中国の栄より来朝した、兀菴普寧禅師に師事すること多年、遂にその蘊奥を極められたという。文永十年(1273)に聖護院の静成法印が東巌禅師に帰依し、亀山天皇の勅許を蒙り京都烏丸今出川付近に祭殿一宇を建立したのに始まる。(リンク先より) << 戻る
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温泉寺-岐阜県下呂市

・温泉寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県下呂市下呂町湯ノ島680「天歴年中この地の山中に、はじめて温泉湧出せり。地名を湯ガ峰という。」『飛州志』『斐太後風土記』ともに湯ガ峰の温泉湧出を天暦年間(947~957年)と記していることから、下呂温泉は一千年以上の歴史を持つといわれている。 しかし文永二年(1265年)突然温泉の湧出が止まってしまう。その翌年、毎日の飛騨川の河原に舞い降りる一羽の白鷺に村人が気付く。不思議に思った村人がその場へ行ってみると、温泉が湧いていた。空高く舞い上がった白鷺は、中根山の中腹の松に止まり、その松の下には光り輝く一体の薬師如来が鎮座していた・・・。これが下呂に伝わる白鷺伝説で...
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禅興寺-宮城県黒川郡

・禅興寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大和町吉田字長福寺1禪興寺は文永2 年(1265)松島円福寺一世法心性西(ほっしんしょうさい) 禅師によって開創され、寺号を長福寺と称しました。 現在、禪興寺周辺の地域を長福寺囲いと呼んでいますが、往時の寺号に由来するものです。(リンク先より) << 戻る
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安住寺-大分県杵築市

・安住寺 臨済宗南禅寺派 大分県杵築市大字南杵築379正元元年(1259)鎌倉時代、木付初代親重公の創始により、2月18日洛東の東福寺より、聖一国師・円爾弁円大和尚を勧請し開山の式を挙げ、安住寺の「開祖」とした。また安岐郷の金胎興竜蜜寺、仏山正眼和尚を住持とした。(リンク先より) << 戻る
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建長寺-神奈川県鎌倉市

・大本山 建長寺の公式ページ 臨済宗建長寺派 神奈川県鎌倉市山ノ内8建長7年(1255)2月に造られた梵鐘(国宝)に「建長禅寺」とあるように、当寺は我が国で最初に”禅寺”と称した中国宋朝風の臨済禅だけを修行する専門道場である。およそ、中世を通じての寺院は、1か寺で天台宗と真言宗・浄土宗などを兼ねている例が多かったから、建長寺のような1寺1宗という浄刹はたいへん珍しかったといえる。しかし、寺が建てられる前の寺域は、地獄谷とよばれた罪人の処刑場になっていたと伝えられていた。この谷に地蔵菩薩を本尊とする伽羅陀山心平寺という仏堂が建っていたが、建長寺を開創するにさいし、時頼によって堂は巨福呂坂に移され...
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聖壽寺-岩手県盛岡市

・聖壽寺 臨済宗妙心寺派 岩手県盛岡市北山2-12-15「聖寿寺」は建長六年(1254)、南部家第二代南部実光公により初代光行公の菩提を弔うため、現在の青森県三戸郡南部町に創建されたことに始まる。開山は三光国師( 孤峰覚妙 1271~1361)、本尊は釈迦如来。かつてその一帯は南部氏の居城になっており本三戸城(もとさんのへじょう)と呼ばれていたが、後世になって聖寿寺館(しょうじゅじだて)とも呼ばれるようになった。(リンク先より) << 戻る
年表

慈泉寺の創建

1254(建長6)年、慈泉寺が創建される(法燈国師開基)。<< 戻る
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建長寺派(本山建長寺(鎌倉))の開派

建長5(1253)年、中国・宋から招かれた蘭渓道隆禅師により始まる。臨済宗建長寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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東福寺-京都府京都市東山区

・東福寺 臨済宗東福寺派 京都府京都市東山区本町15-778摂政九條道家が,奈良における最大の寺院である東大寺に比べ,また奈良で最も盛大を極めた興福寺になぞらえようとの念願で,「東」と「福」の字を取り,京都最大の大伽藍を造営したのが慧日(えにち)山東福寺です。嘉禎2年 (1236年)より建長7年(1255年)まで実に19年を費やして完成しました。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

東福寺派(本山東福寺(京都))の開派

嘉禎2(1236)年、南宋に留学して帰国した円爾(弁円)禅師により始まる。臨済宗(楊岐派の禅)を日本にはじめて伝える。<< 戻る
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宝福寺-岡山県総社市

・宝福寺 臨済宗東福寺派 岡山県総社市井尻野1968寺伝によると創立年代は不明ながら、日輪大阿閣梨を始祖とする天台宗の古刺であったものを、鎌倉時代の貞永元年(1232)に当時の住職であった鈍庵和尚がこの地に新しく伽藍を建立したと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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神藏寺-京都府亀岡市

・朝日山神蔵寺 臨済宗妙心寺派 京都府亀岡市ひえ田野町佐伯岩谷ノ内院芝60朝日山神蔵寺は開創1221年の歴史のあるお寺で、別名:佐伯薬師として親しまれております。毎年、紅葉、桜の季節には、ライトアップして、境内いっぱいが鮮やかな色彩に包まれます。(リンク先より) << 戻る
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高松寺-広島県福山市

・高松寺 臨済宗佛通寺派 広島県福山市加茂町北山1603承久2年(1220年)現在地に宗海覺樹という人によって、高松院(こうしょういん)として建立されました。当時は天台宗であったと言われています。その後文安4年(1447年)臨済宗佛通寺派高松寺(こうしょうじ)となり、現在に至っています。(リンク先より) << 戻る
人物

栄西禅師(えいさい/ようさいぜんじ)

栄西とは、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本に臨済宗黄龍派の禅をはじめて伝え、建仁寺を開山した、臨済宗建仁寺派の開祖です。天台密教葉上流の流祖ともされます。また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られます。字が明菴、諱が栄西で明庵栄西(みんなん ようさい)、「ようさい」よりも「えいさい」という読み方の方が浸透しているようですが、栄西の主著である「興禅護国論」(こうぜんごこくろん)の解説本中に「ようさい」との振り仮名が付けられていることから、正式にはこちらを使います。永治元(1141)年4月20日、備中国(岡山県)吉備津宮の社家、賀陽氏(かやし)の子として誕生しました。11歳...
年表

栄西禅師、東大寺勧進職に

建永元(1206)年には、重源の後を受けて栄西禅師が東大寺勧進職に就任。<< 戻る
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崇禅寺-群馬県桐生市

・崇禅寺 臨済宗建長寺派 群馬県桐生市川内町2-651崇禅寺は、織物の街桐生の西の山間、小倉の里に元久二年(1205)法然上人の弟子智明上人(桐生小倉の人、園田太郎成家)により開創され、その後南北朝の中頃、応安三年(1370)には、鎌倉大本山建長寺第四十五世東伝士啓禅師により、臨済宗の禅寺として開山されその長い歴史と法灯を今日に伝えている。この地方では「阿弥陀様の寺」として知られる古利であります。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺-京都府京都市東山区

・建仁寺 臨済宗建仁寺派 京都府京都市東山区大和大路通四条下る四丁目小松町584建仁寺は建仁2年(1202年)将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。元号を寺号とし、山号を東山(とうざん)と称します。創建時は真言・止観の二院を構え天台・密教・禅の三宗兼学の道場として当時の情勢に対応していました。(リンク先より) << 戻る
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建仁寺派(本山建仁寺(京都))の開派

建仁2(1202)年、南宋に留学して帰国した栄西禅師により始まる。臨済宗(黄龍派の禅)を日本にはじめて伝える。<< 戻る
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浄勝寺-宮城県気仙沼市

・浄勝寺 臨済宗妙心寺派 宮城県気仙沼市本吉町津谷桜子74浄勝寺の創建は建仁元年(約820年前)、尼公が馬籠の地に逃れて尼となり養光尼と号して佐藤継信、忠信の菩堤を弔うため建立したと伝えられ、養光寺と称されました。(リンク先より)※建仁元年 1201年 << 戻る
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栄西禅師、北条政子建立の寿福寺住持に

鎌倉に出向き将軍源頼家の庇護のもと正治2(1200)年、北条政子建立の寿福寺住持に請ぜられる。<< 戻る
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興禅護国論

建久9(1198)年、栄西禅師により「興禅護国論(こうぜんごこくろん)」が著されました。<< 戻る
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聖福寺-福岡県福岡市博多区

・聖福寺 臨済宗妙心寺派 福岡県福岡市博多区御供所6-1聖福寺しょうふくじは建久けんきゅう6年(1195年)に鎌倉幕府初代将軍源頼朝みなもとよりとも公よりこの地を賜り、栄西禅師ようさいぜんじを開山かいさんとして創建された日本最初の禅寺ぜんてらです。山号を安国山あんこくざん、寺号を聖福至仁禅寺しょうふくしぜんじといいます。元久元年(1204年)後鳥羽天皇ごとばてんのう(後上皇じょうこう)より、日本で最初の禅寺である「扶桑最初禅窟ふそうさいしょぜんくつ」の勅額を賜りました。(リンク先より) << 戻る
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日本で初めてとなる禅宗道場・聖福寺開山

建久6(1195)年、日本で初めてとなる禅宗道場として博多の聖福寺(しょうふくじ)が栄西禅師によって開かれる。<< 戻る
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満昌寺-神奈川県横須賀市

・義明山満昌寺 臨済宗建長寺派 神奈川県横須賀市大矢部1-5-10当山は建久5年(1194)、三浦大介義明を開基として源頼朝が建立して820年余の星霜をへた名刹である。この年は義明が逝って14年もたったが、頼朝は伊豆の挙兵のおりに老大をなげうち、幕府開闢の礎になった無二の忠臣義明の霊に一字を献じたかったのであろう。140年ののち、仏乗禅師が中興開山となり、臨済宗建長寺派の寺となり、禅寺として今に至っている。(リンク先より) << 戻る
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禅宗停止の宣旨

建久5(1194)年、延暦寺、興福寺の訴えにより朝廷から禅宗停止の宣旨が下されるなど、栄西禅師の都での禅の布教は困難を極めた。<< 戻る
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寿福寺-福岡県福岡市西区

・寿福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県福岡市西区今津303寿福寺の歴史は、正確なものは分かっていませんが、西暦1200年以前に創建されたものと思われます。初めは、真言宗の寺院として創建され、1192年~1196年頃、栄西禅師によって禅宗へと改宗され、現在にいたっております。(リンク先より) << 戻る
年表

栄西禅師再び南宋に留学

建久2(1191)年に栄西禅師が宋から帰国し、臨済宗黄龍派の禅を伝える。 << 戻る
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興禅寺-兵庫県尼崎市

・興禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県尼崎市浜田町1-7興禅寺は建久元年(1190年)に臨済宗の開祖・栄西千光国師が宋から帰国後、西国各地を伝道した折に開山され、令和元年で創建829年に至る禅宗の古刹です。兵庫県尼崎市唯一の禅・臨済宗妙心寺派寺院です。安置されてる本尊・釈迦牟尼佛は、室町時代初期の作であり、戦国時代の再三の兵火から護られてきました。(リンク先より) << 戻る