便り 興正寺-茨城県常総市 ・興正寺 時宗 茨城県常総市本石下172後小松天皇の御代、南北朝合一の成った、明徳四年八月(西暦一三九三)臨済宗として、平田慈均禅師によって開かれた。後土御門天皇の御代、応仁の乱後、文明二年(一四七〇)五霞村六国山東昌寺開山、即庵宗覚禅師の弟子、能山寿聚芸禅師を迎い、曹洞宗に改め、能山を開山第一世とし現在に及んでいる。慶安元年八月(一六四八)徳川家光公の帰依するところ厚く、御朱印地三〇石を賜り、寺門興隆の資に充てられた。(リンク先より) << 戻る 1393.08.01 便り年表
便り 宗鏡寺-兵庫県豊岡市 ・宗鏡寺 臨済宗大徳寺派 兵庫県豊岡市出石町東條33開基は、当時の出石城主で山名陸奥守氏清公であり、寺名は氏清公の法名「宗鏡寺殿」を以って名づけたと伝えられ、1392年に建てられました。山陰唯一の伽藍を誇っていましたが、織田信長の但馬征伐で山名家が滅び、寺もまた荒廃しました。(リンク先より) << 戻る 1392.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 相国寺派(本山相国寺(京都))の開派 南朝 : 元中9・北朝 : 明徳3(1392)年、夢窓疎石禅師により始まる。臨済宗相国寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1392.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 崇福寺-岐阜県岐阜市 ・崇福寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市長良福光2403-1太白真玄の『峨眉鴉臭集』の一文により、明徳元年(1390)春に、壇越土岐満康が 太清宗渭たいしんそうい (京都・相国寺 塔頭たっちゅう 雲頂院開祖)の直弟、 竜潭宗濬りゅうたんそうえい を住持に詔請した。しかし、多忙のため、その師弟太白真玄にその地位を譲ったため、 太白真玄が赴任し開山となり、大寿山崇福寺が整備されていったことがわかる。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
便り 地蔵院-静岡県浜松市南区 ・地蔵院 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市南区高塚町4516護法山 地蔵院(臨済宗方広寺派大通末)は明徳元年(1390)に元道円密和尚により創建されました。元道円密和尚は、後醍醐天皇の子 宗良親王と共に遠州に入った公家出身の武士であり、親王が元中二年(1385)に亡くなると出家して当地高塚に庵を結んだとされています。(リンク先より) << 戻る 1390.01.01 便り年表
人物 義堂周信(ぎどうしゅうしん) 義堂周信とは、南北朝時代から室町時代の臨済宗の僧侶です。「義堂」は道号、「周信」は法名であり、別に「空華道人」とも号します。著作に『義堂和尚語録』『空華集』『空華日用工夫略集』など多数あります。高知県高岡郡の生まれで、1338年(14歳)、剃髪し、はじめ台密を学びます、後に禅宗に改宗し上京し夢窓疎石の門弟となり、このとき「周信」と安名されました。1359年(延文4年)に幕府が関東地方の統治のために設置した鎌倉公方の足利基氏に招かれて鎌倉へ下向し、1380年(康暦2年)まで滞在しました。基氏や関東管領の上杉氏などに禅宗を教え、基氏の没後に幼くして鎌倉公方となった足利氏満の教育係も務めました。この... 1388.04.04 人物仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 鎌倉の五山 ~五山制度と臨済宗~ インドの五山、中国の五山と、鎌倉五山や京都五山にどのようにつながってきたかをこれまでも別記してきました。五山制度は時の権力者、幕府が寺を格付け管理するための制度であり、権力者が変われば五山も変わるという具合でしたが、1386(至徳3)年、室町幕府三代将軍足利義満によって、最終的な五山が決定され、南禅寺を別格上位とする京都五山と鎌倉五山が決定しました。建長寺(けんちょうじ)鎌倉五山の第一位。鎌倉幕府第五代執権北条時頼が宋僧・蘭渓道隆をむかえ、1253(建長5)年に開かれた寺院で、建物は南宋の径山万寿寺を模した本格的な禅宗様式です。円覚寺(えんがくじ)鎌倉五山の第二位。鎌倉幕府第八代執権北条時宗が... 1386.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 西福寺-静岡県浜松市浜北区 ・西福寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市浜北区平口523至徳二年1385年の棟札が有ったことから、その頃にはこの地に開かれていたと思われます。その後文安元年1444年 浜松市北区、大本山方廣寺開山 無文元選禅師円明大師を開山に請じ現在に至ります。(リンク先より) << 戻る 1385.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 方広寺派(本山方広寺(静岡))の開派 南朝 : 弘和4、元中元・北朝 : 永徳4、至徳元(1384)年、無文元選禅師により始まる。臨済宗方広寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1384.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
仏教を本気で学ぶ 向嶽寺派(本山向嶽寺(山梨塩山))の開派 南朝 : 天授4・北朝 : 永和4(1378)年、抜隊得勝禅師により始まる。臨済宗向嶽寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1378.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 長昌寺-長野県上田市 ・長昌寺 臨済宗妙心寺派 長野県上田市長瀬2604永和三年、佐久市安原安養寺中興正眼智鑑禅師大歇勇建和尚の開創と伝わる。その後、250年以上の永きに渡り住持するものがなく堂宇頽廃す。正保元年(1644)に鎌倉建長寺より雲峰和尚が現在の地に再興し、當寺第一世となる。元禄二年(1689)に第三世國全和尚が遷化したのち、再び無住となり荒廃す。この間、佐久安養寺に属し、享保九年(1724)妙心寺派となる。 江戸牛込の済松寺より洪勳成満禅師頑石慧堅和尚が来て當寺第四世伝法開山となって後は寺門も興隆し、現在に至る。(リンク先より)※永和三年 1377年<< 戻る 1377.01.01 便り年表
便り 禅源寺-愛知県稲沢市 ・禅源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県稲沢市稲葉1-6-2永和2(1376)年、南禅寺四十七世、太清禅師の建立と伝えられます。室町時代中期、京都の相国寺鹿苑院の蔭涼軒主による公用日記「蔭涼軒日録」に寺名が記されるなど、いにしえより人々の心の拠り所として知られる場に。(リンク先より) << 戻る 1376.01.01 便り年表
便り 平林寺-埼玉県新座市 ・平林寺 公式サイト 臨済宗妙心寺派 埼玉県新座市野火止3-1-1金鳳山平林寺(きんぽうざんへいりんじ)は、永和元年(1375)、今からおよそ650年ほど前の南北朝時代、武蔵国(むさしのくに)埼玉郡、現在のさいたま市岩槻区に創建されました。開基は、禅に深く帰依していた大田備州守春桂蘊沢居士(おおたびっちゅうのかみしゅんけいうんたくこじ)、開山には鎌倉建長寺住持で、書や偈頌(げじゅ)に優れていた当代の高僧、石室善玖(せきしつぜんきゅう)禅師が迎えられました。(リンク先より) << 戻る 1375.01.01 便り年表
便り 漢陽寺-山口県周南市 ・漢陽寺 臨済宗南禅寺派 山口県周南市鹿野上2872鹿苑山漢陽寺は応安7年(1374)、中国地方を一手に掌握していた大内氏の祈願所として建立され、現在は大本山・南禅寺の別格地として山口県屈指の名刹となっている。 開基は左京大夫であった26代当主・大内盛見公であるが、父の弘世公の治世に庵を建て鹿苑庵としたのが当寺の起こりである。開山は室町時代の高僧・用堂明機禅師。(リンク先より)<< 戻る 1374.01.01 便り年表
便り 承福寺-福岡県宗像市 ・承福寺 臨済宗大徳寺派 福岡県宗像市上八1373安延山承福寺は釈迦如来を本尊とし文殊菩薩・普賢菩薩を脇侍仏として奉る臨済宗大徳寺派一等地の寺です。はじめ当山は600年ほど前の応安年(1373)その当時の禅界に重きをなした大応国師より三代目の法孫勅諡正続太祖月庵宗光禅師を勧請開山とし、宗像社僧高橋助法橋安延大徳の開創せるものであります。(リンク先より) << 戻る 1373.01.01 便り年表
便り 方広寺-静岡県浜松市北区 ・方広寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市引佐町奥山1577-11371年、無文元選禅師(むもんげんせんぜんじ)は、当地を治めていた豪族奥山六郎次郎朝藤(おくやまろくろうじろうともふじ)の招きにより、奥山家の治めていた所領のうちから60町歩の土地と建物を寄進され、ここに方広寺を開かれました。無文元選禅師を御開山と称し、奥山六郎次郎朝藤を開基と称します。(リンク先より) << 戻る 1371.01.01 便り年表
便り 大徳寺-滋賀県東近江市 ・大徳寺 臨済宗妙心寺派 滋賀県東近江市能登川町378応安2年(1369)に、臨済宗東福寺派の禅寺として創建された。開山は、京都五山の東福寺第五十世として住持した禅僧、大方源用禅師(1314~1390)である。創建後大徳寺は、室町期を通して五山派の禅寺として発展する。応永33年(1426)には室町幕府四代将軍の足利義持から公事臨時課役免除をうけており、その御教書は、今に大徳寺に蔵されている。(リンク先より) << 戻る 1369.01.01 便り年表
便り 光明寺-栃木県足利市 ・光明寺 臨済宗妙心寺派 栃木県足利市田島町1717光明寺は仏満禅師大喜法忻大和尚を開山として建立されたお寺です。建立の正確な年代は不明ですが、仏満禅師示寂の年が西暦1368年と伝わることから創建はその後10年を超えない間では無いかと考えられます。(リンク先より) << 戻る 1368.01.01 便り年表
便り 地蔵院-京都府京都市西京区 ・地蔵院(竹の寺) 単立(臨済宗) 京都府京都市西京区山田北ノ町23当山は衣笠山地蔵院といい、臨済禅宗の寺で、夢窓国師を開山とし、伝教大師の作と言われる延命安産の地蔵菩薩を本尊としている。もともと、この地は今から八百年近く前、歌人衣笠内大臣藤原家良公が山荘を営まれた処で、南北朝時代の貞治六年(一三六七)室町管領細川頼之公が夢窓国師の高弟宗鏡禅師を招請して伽藍を建立された。これが現在の地蔵院で、宗鏡禅師は恩師夢窓国師を開山に仰ぎ、自らは第二世となられた。(リンク先より) << 戻る 1367.01.01 便り年表
便り 江雲庵-富山県高岡市 ・江雲庵 臨済宗国泰寺派 富山県高岡市太田山岸25921362年、大本山国泰寺三世神會寂岸心光禅師大和尚の開山で本山内塔頭五カ支院の一つでもあり、もとは「月光山 江雲寺」と称した。山号の由来は旧寺地が氷見市島尾地内の「月の森」にあったと伝えられることによるものである。1585年8月、前田利家の命により、本山国泰寺方丈を守山城に書院として招請される際、随伴し、諸般とり計らいの功でにて役院に加えられ、現称の「龍頭山 江雲庵」の改められた。(リンク先より) << 戻る 1362.01.01 便り年表
便り 永源寺-滋賀県東近江市 ・永源寺 臨済宗永源寺派 滋賀県東近江市高野町41南北朝時代の興安元年(1361)に、時の近江守護職、佐々木六角氏頼公が、入唐求法の高僧、寂室元光禅師(正燈国師)に帰依し、領内の土地を寄進して伽藍を創建したことが始まりです。禅師が入寺、開山されると、その高徳を慕って二千人あまりの修行僧が集い、山中には五十六坊の末庵を有りしたと記されています。(リンク先より) << 戻る 1361.01.01 便り年表
仏教を本気で学ぶ 永源寺派(本山永源寺(滋賀))の開派 南朝 : 正平16・北朝 : 延文6、康安元(1361)年、寂室元光禅師により始まる。臨済宗永源寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る 1361.01.01 仏教を本気で学ぶ年表
便り 長泉寺-佐賀県武雄市 ・長泉寺 臨済宗南禅寺派 佐賀県武雄市橘町大字永島17067西暦1360年 義堂信和尚によって創設された寺です。平成26年4月に「開山 650年法要」を行いました。お釈迦様、達磨様、南禅寺開山大明国師の禅の教えと道風をひろめる宗旨です。(リンク先より) << 戻る 1360.01.01 便り年表
便り 龍興寺-大分県大分市 ・龍興寺 臨済宗妙心寺派 大分県大分市徳島1丁目7−27創建は延文3年(1358)7代大友氏泰が大野川を遡った川添の聚楽に建立し、高獄禅師を開山に招いた祈願寺でした、しかし宗麟の代に重臣吉岡宗歓が鶴崎に居城を構え、城下の整備に着手したとき龍興寺を近くの三軒町に移転。(リンク先より) << 戻る 1358.01.01 便り年表
便り 法雲寺-静岡県富士市 ・法雲寺 臨済宗妙心寺派 静岡県富士市今泉5-6-48創建は室町時代初期の文和2年(西暦1353年)、鎌倉 建長寺の僧 用堂和尚がこの地を訪れた際、岩石が重畳し清水が湧き希に見る素晴らしい景観であったことに魅せられ、錫を留めて寺を建て、法雲寺と称したとされています。その後、この地を治めていた戦国武将の今川家・徳川家の庇護を受け、寺運は盛んとなりました。(リンク先より) << 戻る 1353.01.01 便り年表
便り 康徳寺-広島県世羅郡 ・康徳寺 臨済宗佛通寺派 広島県世羅郡世羅町寺町1386白鳳時代(672-)と言われています。大田庄の豪族によって建立され、当時の宗旨は、法相宗(奈良・薬師寺)か華厳宗(奈良・東大寺)あるいは天台宗(比叡山延暦寺)とも伝えられていますが定かではありません。記録に現れるのは宗旨を臨済宗に改め、名僧石室善玖和尚を開山として迎えた文和二年(1353年)ごろからです。(リンク先より) << 戻る 1353.01.01 便り年表
人物 夢窓疎石(むそうそせき) 鎌倉時代末から南北朝時代、室町時代初期にかけての臨済宗の禅僧・作庭家・漢詩人・歌人。別名を木訥叟。尊称は七朝帝師(しちちょうていし)。宇多天皇9世孫を称する。建仁寺の無隠円範らに学んだ後、元(中国)の渡来僧の一山一寧門下の首座となったものの印可に至らず、のち浄智寺の高峰顕日の法を嗣ぐ。夢窓派の祖。後醍醐天皇にその才覚を見い出されて尊崇を受け、「夢窓国師」の国師号を下賜された。以降、入滅後も含めると計7度の国師号を授与され、後世には七朝帝師と称えられる。禅風においては純粋禅ではなく、日本の伝統的仏教である天台宗や真言宗とも親和性の高い折衷主義的な試みを行った。そのため、臨済禅の主流派(応燈関派)... 1351.09.30 人物仏教を本気で学ぶ年表
便り 大成寺-福井県大飯郡 ・大成寺 臨済宗建仁寺派 福井県大飯郡高浜町日置31創建は観応2年(1351)足利尊氏の二男・基氏の開基とされています。御詠歌にもあるように高浜町内浦地区の日引にあり瑞泉寺といいましたが、火災により焼失しました。応永元年(1394)小浜領主・大高重成の庇護により、この地に移し再建しその時、領主の徳をたたえ「大成寺」としました。(リンク先より) << 戻る 1351.01.01 便り年表
便り 報恩寺-千葉県佐倉市 ・報恩寺だるま寺 臨済宗妙心寺派 千葉県佐倉市下志津841創建は14世紀前半(1350年頃)で、以降この下志津の地と共に歴史を重ねてきております。本堂には4000体以上のだるまさん、本堂の西側には竹林、緑豊かな境内です。(リンク先より) << 戻る 1350.01.01 便り年表
便り 江畔寺-茨城県常陸大宮市 ・江畔寺 臨済宗円覚寺派 茨城県常陸大宮市上小瀬2247観応元年(1350)義春の三男悟真妙頓(幼名孝繁)が、夢想疎石に学び、夢想疎石を招請開山として孝繁が、開山二世になり南内山 孝槃寺と称し、長兄義益の援助で当寺を開いた。(リンク先より) << 戻る 1350.01.01 便り年表
便り 宝珠寺-静岡県磐田市 ・宝珠寺 臨済宗妙心寺派 静岡県磐田市豊島668創立は観応元年(一三五〇)。初めは鎌倉の円覚寺派に属していましたが、江戸時代初期に妙心寺派となりました。天正十八年十二月二十三日太閤秀吉公より寺領三十二石九斗五升御配分御判物を賜ります。 (リンク先より) << 戻る 1350.01.01 便り年表
便り 栖雲寺-山梨県甲州市 ・栖雲寺 臨済宗建長寺派 山梨県甲州市大和町木賊122臨済宗建長寺派の寺院で山号を天目山といいます。南北朝時代の貞和4年(1348年)業海本浄を開山として創建されました。開基は甲斐国主の武田信満公で、往時は中部地方における幻住派の拠点として、また戦国の大雄武田家の菩提寺として大いに繁栄しました。(リンク先より) << 戻る 1348.01.01 便り年表