臨済宗の出来事

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興福寺-長崎県長崎市

・興福寺 黄檗宗 長崎県長崎市寺町4-32興福寺の由来は、中国・明の商人が長崎に渡来しはじめた頃の元和六年(1620)、中国僧真円が航海安全を祈願してこの地に小庵を造ったことに始まります。江戸時代初期の長崎は、幕府の朱印船、唐船貿易の奨励により、ヨーロッパ諸国、イスラム、アジアなどの冒険商人や物資が集まる国際都市となりましたが、なかでも中国からの来航者は圧倒的に多く、市民の6人に1人は中国人というほどで、出身地別に寺を建立したのが興福寺をはじめとする崇福寺、福済寺などの長崎唐寺(とうでら)の始まりです。(リンク先より) << 戻る
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林昌寺-愛知県春日井市

・薬師山 林昌寺 臨済宗妙心寺派 愛知県春日井市林島町105約400年続く文化的資産として地域に根差し、ご縁ある皆さまとのつながりを大切にしていきます。設立日 元和5年(西暦1619年)(リンク先より) << 戻る
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観音寺-広島県広島市佐伯区

・観音寺 臨済宗 広島県広島市佐伯区坪井町736観音寺は佐伯区坪井町観音寺と南区元宇品町観音寺から成り立っています。元和四年(1618年)浅野氏入封の際に一緒に来られた桂雲禅師が中興され、広島新四国第五十一番の霊場であります。ご本尊十一面観世音菩薩は大同年中(806~810)常勝将軍と言われた坂上田村麻呂公の守本尊で、身丈僅か一寸八分の秘仏であります。(リンク先より) << 戻る
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慈眼院-沖縄県那覇市

・慈眼院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里山川町3-1寺院の創立縁起は、琉球王朝時代、佐敷王子(のち尚豊王)が人質として薩摩に連れて行かれた際、父・尚久王は息子が無事帰国できたら首里の地に「観音堂」(観音様をお祀るお堂)を建てることを誓願されました。その後、無事帰郷したので、1618年、首里の萬歳嶺という丘(高台)に観音堂を建て、その南に、慈眼院を建立しました。(リンク先より) << 戻る
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臨川寺-岐阜県関市

・臨川寺 黄檗宗 岐阜県関市小屋名957-11617年に小屋名村の豪族であった「喜多嶋きたじま(亀山)惣右衛門そうえもん 雅利まさとし」が、小屋名村の領主であった「池田図書政長いけだずしょまさなが」の菩提寺として創建しました。当初は臨済宗でしたが、1660年に潮音道海禅師を迎え、黄檗宗に改宗しました。(リンク先より) << 戻る
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清昌寺-岐阜県多治見市

・清昌寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県多治見市笠原町3546清昌寺の創建は、元和二年(1616年)と伝えられています。開基である笠原の陶祖、加藤治郎太夫は、窯業の繁栄と子孫の幸せを願って、虎渓山永保寺より白嶺清公禅師をお招きして小庵を建て「白雲山清昌寺」と称し、念持仏であった十一面観世音菩薩をお祀りして祈願せられました。(リンク先より) << 戻る
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傑山寺-宮城県白石市

・傑山寺 臨済宗妙心寺派 宮城県白石市南町2-7-20山号 常英山(じょうえいざん)寺号 傑山寺(けっさんじ)宗派 臨済宗妙心寺派開基 初代片倉小十郎景綱公 元和元年(1615)10月14日没第四世住職 泰巌宗哦和尚禅師 戒名 「傑山常英大禅定門」諡(おくりな)「傑山寺殿俊翁常英大居士」開山 臨済宗妙心寺派 天心智寛大和尚 慶長13年(1608年)本尊 拈華釈迦如来立像脇本尊 迦葉尊者(本尊に向かって右側)阿難尊者(本尊に向かって左側)四天王 東方に持国天 南方に増長天 西方に広目天 北方に多聞天(毘沙門天)(リンク先より) << 戻る
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宗禅寺-東京都羽村市

・宗禅寺 臨済宗建長寺派 東京都羽村市川崎2-8-20歴史開創1615年(元和元年)。現在の川崎会館、玉川上水付近にあったと思われます。(リンク先より) << 戻る
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桂蔵寺-宮城県黒川郡

・桂蔵寺 臨済宗妙心寺派 宮城県黒川郡大郷町川内字下堰場12桂蔵寺は、慶長19年(1614)瑞巌寺の前身円福寺80世廣天青(こうてんせい)和尚が天台宗の寺院であった当寺を臨済宗として小規模ながら再建いたしました。その由縁から廣天青和尚を開創としています。また、その時無住であった本堂に桂の木でできた地蔵菩薩が本尊としてまつられていたため、桂蔵寺と寺号を称し、鎮守として日光菩薩、月光菩薩をお祀りしていたことから山号を「日月山」としました。(リンク先より) << 戻る
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万松院-沖縄県那覇市

・万松院 臨済宗妙心寺派 沖縄県那覇市首里当蔵町3-4-11613年(万歴ばんれき41年)琉球王家第二尚氏の菩提寺である円覚寺(首里)。その円覚寺の住職・カ翁周航禅師は住職を引退してから、現在の万松院付近に『岩頂山万松院』というお寺を建てて、隠居寺としてそこに住んだ。(リンク先より) << 戻る
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禅台寺-岐阜県可児市

・禅台寺 臨済宗妙心寺派 岐阜県可児市下惠士2838-1禅台寺は法源寺である真禅寺の開山、純庵和尚が約700年前に草庵を建てたのが始まりとされる後に慶長13年(1608)徳野に封ぜられた平岡石見守が開基して菩提寺とした。その後久しく荒廃するが、元禄2年(1689)真禅寺第10世南栄和尚を招き、元禄7年(1694)哲叟和尚が諸堂を再建する。(リンク先より) << 戻る
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大雄院-京都府京都市右京区

・大雄院 臨済宗妙心寺派 京都府京都市右京区花園妙心寺町52大雄院(だいおういん)は、大本山妙心寺山内の北に位置し、慶長八年(1603年)石河紀伊守光元(竜野城主)の長子石河市正光忠(のちの尾張藩名古屋城代 太郎八当時9歳)により父光元公の菩提を弔うために菩提所として創建されたもので、慧南玄譲を開祖とする。慧南玄譲は光忠の叔父にあたり、石河氏の菩提寺美濃乙津寺、二世蘭叔玄秀の法孫であって、慧南は蘭叔玄秀を当院の歓請開山としています。(リンク先より) << 戻る
仏教を本気で学ぶ

興聖寺派(本山興聖寺(京都))の開派

慶長8(1603)年、虚応円耳禅師により始まる。臨済宗興聖寺派(楊岐派の禅)。<< 戻る
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光陽寺-愛知県犬山市

・瑞林山 光陽寺 臨済宗妙心寺派 愛知県犬山市大字今井字寺ノ前6当寺の最初の起源については不明ですが、村自体が平家の落人部落と伝承されており、実際は相当古いと思われます。正式には慶長七年(1602)、当時尾張に勢力を振るっていた犬山瑞泉寺の住職を初代に迎え臨済宗寺院となったのを開創としております。(リンク先より) << 戻る
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多福寺-大分県臼杵市

・多福寺 臨済宗妙心寺派 大分県臼杵市大字二王座191多福寺は、慶長6年(1601)臼杵第2代藩主稲葉典通公が、駿府(静岡)臨済寺鐵山宗鈍禅師の法嗣、了室宗密禅師を開祖に請うて創建した禅寺です。鐵山禅師は天文元年、甲斐国上条(甲府市)武田信玄の臣窪田氏の子で、幼くして恵林寺で出家しましたが、天文18年臨済寺の太原崇孚に参じ、太原寂の後更に同寺の東谷宗杲に随侍し印可を受けた人です。(リンク先より) << 戻る
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圓光寺-京都府京都市左京区

・圓光寺 臨済宗南禅寺派 京都府京都市左京区一乗寺小谷町13慶長6年(1601)徳川家康は国内教学の発展を図るため、下野足利学校第九代学頭・三要元佶(閑室)禅師を招き、伏見に圓光寺を建立し学校とした。圓光寺学校が開かれると、僧俗を問わず入学を許した。また孔子家語・貞観政要など多くの書籍を刊行し、これらの書物は伏見版または圓光寺版と称された。当寺には、出版に使用された木活字が現存しており、我国出版文化史上特筆すべき寺院であるといえよう。(リンク先より) << 戻る
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禅源寺-茨城県北茨城市

・禅源寺 臨済宗妙心寺派 茨城県北茨城市関本町富士ケ丘1463禅源寺の由緒として正式な文書は失われてしまいましたが、1600年代の創建より400余年の年月を経た臨済宗妙心寺派の寺院です。(リンク先より) << 戻る
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海龍寺-静岡県浜松市南区

・海龍寺 臨済宗妙心寺派 静岡県浜松市南区中田島町272静岡県浜松市の中田島砂丘近くにある海龍寺は禅宗、臨済宗妙心寺派のお寺です。開創は関ヶ原の戦いの一六〇〇年頃と伝わっており(リンク先より) << 戻る
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珠泉院-岐阜県岐阜市

・珠泉院 臨済宗妙心寺派 岐阜県岐阜市三田洞東3-25-1慶長年間(1596~1615)に淳岩和尚によって粟野の地に創建される。昭和48年現在の三田洞東の地に移設される。(リンク先より) << 戻る
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松岩寺-埼玉県熊谷市

・松岩寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県熊谷市本石1-102松岩寺は慶長元年(1596年)に喜庵西堂和尚によって開創された、 臨済宗妙心寺派の禅寺です。開創以来いくたびかの火災にあい、詳しい寺史は明かではありません。(リンク先より) << 戻る
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瑞應寺-静岡県浜松市浜北区

・瑞應寺 臨済宗方広寺派 静岡県浜松市浜北区新原2339-1今から四百十年前、元繩三年十二月末、三方原合戦の際、武田方の武将、新原弥左右衛門尉村一は、当地に以前よりあった岩水寺系の澗泉寺を本陣として、此の地に止まり浜松城へ対陣したが、戦い不利と悟り、徳川家康と和睦し、家康公より此の地を賜わり、自らの姓をとって新原村とした。 村作りの終った文禄二年(一五九四)、麁玉郡奉行新原弥左右衛門尉村一は、甲州より開山巌岫長老を招じて、澗泉寺北西(現地)に十一面観世音菩薩を本尊として寺を建立す。澗泉寺を廃して、臨済宗無文派に改宗し、澗泉山瑞応寺と云う。(リンク先より)<< 戻る
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徳源寺-愛知県名古屋市東区

・蓬莱山 徳源寺 臨済宗妙心寺派 愛知県名古屋市東区新出来1-1-19(1592)織田信長の次男信雄が、熱田に忠嶽(ちゅうがく)和尚を請じて、 徳源寺の前身である「清涼山宝泉寺」を開創したのが始まりである。寛文2年(1662)に昭和区石仏へ移り、「蓬莱山徳源寺」と改称した。(リンク先より) << 戻る
年表

全昌寺の開山

全昌寺は、天正15年(1587)に春日将監(あるいは、武州羽生城代成田意庵斉)が開基、石田慶雲が開山となり創建しました。<< 戻る
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長徳禅寺-兵庫県明石市

・長徳禅寺 臨済宗妙心寺派 兵庫県明石市二見町東二見1695長徳禅寺は安土桃山時代・天正十一年(1583年)創建である。江戸末期頃に無住時代があり、古文書等がなく、寺の歴史の詳細は不明である。山門は、享保四年(1719年)建立である。 本尊は、釈迦牟尼仏で、脇侍に阿難尊者と迦葉尊者の三尊仏を配す。(リンク先より) << 戻る
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長源寺-島根県松江市

・長源寺 臨済宗南禅寺派 島根県松江市東津田町1030長源寺が建てられたのは天正10年と伝えられており、開山は立翁廣本禅師大和尚(りゅうおうこうほんぜんじだいおしょう)です。同じく松江市にある南禅寺派宝亀山安国寺の中興です。中興とは、いったん盛んになったものが、また再び盛んになることをいいます。(リンク先より)※天正10年 1582年 << 戻る
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満福寺-東京都国分寺市

・満福寺トップページ 臨済宗建長寺派 東京都国分寺市戸倉4-34-3満福寺は、元、東京都西多摩郡桧原村一等地吉祥寺の開山で、臨済禅師十八世の法孫である古先印元和尚(勅謚正宗広智禅師)五世の法孫秋波江和尚が開基となり、天正二年(1573年)永岳全嘉禅師を開山として、吉祥寺の隠居寺として桧原村に開創した寺であるが、五世中興開山無印宗達和尚の時になって、現在の地(国分寺市戸倉)に引寺して今日に及んでいるものである。従って吉祥寺の末寺に属している。(リンク先より) << 戻る
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實相寺-香川県高松市

・實相寺 臨済宗妙心寺派 香川県高松市三谷町1811-1ご本尊は聖観世音菩薩をお祀りしています。創建は不明で、かつては天台宗で香川郡浅野村にありましたが、16世紀後半の天正年間に戦火にて焼失。その後、17世紀前半の寛永年間に讃岐十八万石四代藩主、生駒高俊公によって高松三番丁に移転再興され、浄土宗に改宗、寺号を法昌寺と改めたようです。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る
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善勝寺-埼玉県鴻巣市

・善勝寺 臨済宗妙心寺派 埼玉県鴻巣市境147善勝寺は山号を東光山と称し、天正年間(1573~1592)豊臣秀吉の時代に創建された禅寺で、開山は清庵祖銀禅師(~1595)です。臨済宗妙心寺派に属し、本山は京都花園妙心寺です。お釈迦様の正法を相承(うけつ)がれた初祖達磨大師、宗祖臨済禅師、さらに妙心開山無相大師に及ぶ一流の禅を宗旨および教義とします。(リンク先より) << 戻る
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宝城庵-大阪府三島郡

・宝城庵 臨済宗大徳寺派 大阪府三島郡島本町桜井3-11-1臨済宗 大徳寺派 補陀山と号す。本尊 聖観世音菩薩 創立年月不詳。往古天台宗応塔寺(小字応堂寺山が現存)の寮舎であったが、天文年間(1532~54)兵火にかかり全焼したとされます。当時の住職宗安僧正の徒弟明宕は、再興の志を継ぎ、禅門に入って修学し、元亀(げんき)2(1571)年、現在地に庵室を立て宝城庵と称し、禅宗に改めました。(リンク先より)・宝城庵-山崎観光案内所
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宝津院-静岡県静岡市葵区

・宝津院 臨済宗妙心寺派 静岡県静岡市葵区津渡野328春陽意公(永禄九年四月十九日寂)が開基と現在も墓地に ありますが、来歴は正確には分かりません。 しかも、室町時代後期の型式といわれている五輪塔があります。 他にも何基かその頃の作造と思われる石塔があり、 その昔は真言宗の寺院であったかと思われます。(リンク先より)※永禄九年 1566年 << 戻る
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紫雲寺-愛知県豊橋市

・高足山 紫雲寺 臨済宗妙心寺派 愛知県豊橋市高師本郷町字榎48-1当寺過去帳歴代住持の部に「当庵中興用岳玄公首座」の方名を筆頭に記してある点からみて、それ以前荒廃していたものを玄公首座が再興、東観音寺末としたものとされる。玄公首座は永禄7年(1564年)示寂。(リンク先より) << 戻る
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徳蔵寺-東京都東村山市

・徳蔵寺 臨済宗大徳寺派 東京都東村山市諏訪町1-26-3徳蔵寺の創立は永禄3年(1560)、開山年は元和年中(1615~1623)と伝えられている。徳蔵寺は当時赤坂種徳寺末であったが、徳蔵寺に住した全叟由禅師は寺の復興に尽力し、 璧英禅師を奉請し中興開山となって頂き、全叟由禅師「自ら」は徳蔵寺中興2代(世)となった。(リンク先より) << 戻る