便り 長延寺-神奈川県横浜市緑区 ・命帰山 長延寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市緑区三保町2440開基玄栄法師は、武蔵国都築群小机城の領主笠原越前守信為の嫡子で、童名を竹丸という。天正10年(1582年)顕如上人、織田信長との和睦後故郷都築群吉田村(現在の港北区新吉田町)に帰り、一宇を建立する。上阪しその旨、顕如上人へ報告、方便法身の尊形および蓮如上人御真筆の六字名号と併せて、寺号長延寺、法名玄栄を下附され開基となる。(リンク先より) << 戻る 1582.01.01 便り年表
便り 安楽寺-東京都港区 ・安楽寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区芝1-12-181582年(天正10年) 安楽寺創建 ※「本能寺の変」の年1639年(寛永18年) 開基(一世)釋良信往生1923年(大正12年) 関東大震災の延焼により本堂消失1929年(昭和4年) 本堂再建(リンク先より) << 戻る 1582.01.01 便り年表
年表 勝覚寺-香川県東かがわ市 ・勝覚寺 真宗興正派 香川県東かがわ市三本松426天正四年三好氏落城のとき、その家臣板西城主赤澤信濃守は中富川の合戦において討ち死にし、天正十年(1582)赤澤信濃守の一子正本法師が菩提を弔うため、大坂天満興正寺で証秀上人につき得度し、丹生の郷小砂村に小砂坊を開基したのが勝覚寺の始めとされている。(公式ページより) << 戻る 1582.01.01 年表
便り 聞乗寺-埼玉県上尾市 ・雲龍山 「聞乗寺」 浄土真宗本願寺派 埼玉県上尾市原市290聞乗寺は現在埼玉県上尾市に本堂(聞法道場)と御堂内墓地(納骨堂)を有りしていますが、元来は富山県氷見市に寺籍を有する寺院です。その歴史は古く天正9年(1581)真言宗石動山天平寺の僧慶専により開基創建、後年本願寺第十二代准如宗主(1577~1630)のとき御本尊を本願寺より拝受し浄土真宗に改宗しました。現本堂は大正元年(1911)の建立、鐘楼堂は江戸時代の建立でしたが、平成21年修復いたしました。(リンク先より) << 戻る 1581.01.01 便り年表
便り 真宗寺-兵庫県姫路市 ・真宗寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市新在家本町3-12-8天正八年 1580年 順西 安室村新在家馬生(現、西新在家)に真宗寺を開基 播磨国末寺帳天和三年 1683年 順慶 一宇(本堂)を創建 兵庫県飾磨郡誌(リンク先より) << 戻る 1580.01.01 便り年表
便り 浄満寺-大分県日田市 ・浄満寺 真宗大谷派 大分県日田市大字東町3-31当寺は、その昔、天台宗 近祜山 長龍寺と号した後、渡辺綱の子孫、明源が天正七年(一五七九)に真宗に帰依し、 龍宮山 浄満寺と改称し、寺地を石井川下村から隈町に移したとされます。(リンク先より) << 戻る 1579.01.01 便り年表
便り 順光寺-島根県松江市 ・順光寺 浄土真宗本願寺派 島根県松江市石橋町44順光寺所蔵の「順光寺史」によると、約800年前、現松江市上大野町に教音法師が天台宗の草庵をむすんだのが順光寺の開基とされています。その後、1576(天正4)年、川津村菅田(現松江市菅田町)に移転しました。浄土真宗に改宗したのは、この頃です。(リンク先より) << 戻る 1576.01.01 便り年表
便り 金宝寺-新潟県新潟市中央区 ・金宝寺 真宗大谷派 新潟県新潟市中央区上所上1-11-5天正元年(1573年)7月18日、織田信長による浅井・朝倉攻めが行われた。多くの者が殺されてしまったが、祖先の玄宗は僧侶であったために逃れ、越中国石動村に隠れ住んだ。その後、赤曽部村に移り住んだが、天正4年に織田信長が本願寺を攻めるにあたっては、本願寺の救援に駆けつけた。顕如上人はその功を誉め、「金寶寺」の号を送った。その子である法正は越後に帰り、蒲原郡所島村(亀田町)に家を建てて住んだ。これが金寶寺の開基である。(リンク先より) << 戻る 1576.01.01 便り年表
便り 高法寺-高知県高知市 ・高法寺 浄土真宗本願寺派 高知県高知市神田2421-3高法寺は天正2年(1574年)に第1代住職、玉城龍順が京都の桃山から、土佐にやって来たことに始まります。日本は当時戦国時代で、四国では長宗我部氏が勢力を拡大しようとしており、各地の大名と争いが絶えなかったそうです。さらに、天災からの飢饉、疫病などによって人々の生活は困窮し疲弊していました。(リンク先より) << 戻る 1574.01.01 便り年表
便り 浄満寺-福岡県福岡市中央区 ・浄満寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市中央区地行2-3-3浄満寺を開いた初代「浄心」は、姓を「井浦いのうら」といい、筑前糟屋郡かすやのこおり(現粕屋町)原上はるがみ在の橘家士分たちばなけしぶんであったと伝えられています。元亀げんき4年3月15日(1573年7月に天てん正しょうと改元かいげん―438年前)二十有余歳のとき、剃髪ていはつして一寺を建立こんりゅうして小庵しょうあんを結び浄満寺と号しました。(リンク先より) << 戻る 1573.03.15 便り年表
便り 満行寺-山口県萩市 ・満行寺 浄土真宗本願寺派 山口県萩市平安古町東区3-268上殿という古い寺のあった地を毛利輝元から下され、天正年間(1573~91)に一宇を建立した。自身の諱をもって寺号とし、土地の名を山号{後年、現在の山号(浄殿)に改める}とした。毛利輝元が広島へ移ったので寺を嫡子祐善に譲り、次男玄徳と共に広島へ移り小庵(現在、広島市東白島町万行寺)を結んだ。防長移封のとき祐伝・祐善は萩に移り、慶長十年(1605)今の地に建立したのが萩満行寺の始まりである。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 光徳寺-新潟県糸魚川市 ・光徳寺 真宗大谷派 新潟県糸魚川市大字青海2761光徳寺開祖釈祐玄師は、天正 (1573~1592年) 年中、越中砺波郡水島村 (えっちゅうとなみぐんみずしまむら) (現在の富山県西部) より青海真砂に一旦 足をとどめ、門信徒を慕って、現在の大沢の地に移住しました。これが “青澤山光徳寺” の始まりです。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 正徳寺-兵庫県明石市 ・正徳寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県明石市大観町12-5寺伝によると、当山は室町幕府が滅亡した天正元年(1573年)、に創建されたとある。開基空圓法師については、二階堂出羽守入道三代の嫡流であったとも伝えられている。宮本武蔵が町割りをしたとされる(*2)明石城下の町屋の中心に堂宇を構え。寛永18年(1641年)に焼失するも後に再建。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 定秀寺-愛媛県松山市 ・定秀寺 浄土真宗本願寺派 愛媛県松山市神田町4-26定秀寺は、河野通定と河野通秀が、天正元年(1573年)に旧北条市、中西の地の「蓮華室」と名付けられた屋敷において、お念仏の「み教え」を風早の人々に教化することから始まったと伝えられています。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 善教寺-山口県岩国市 ・善教寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市錦町広瀬6682天正年間に平原に建立。寛永の大火により類焼し、現在の地に再建。(リンク先より)※天正年間 1573年から1593年 << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 潮見寺-徳島県徳島市 ・潮見寺 浄土真宗本願寺派 徳島県徳島市西二軒屋町2-31潮見寺 亦北濱西山の麓に在り興正寺に隷す初め大瓶浦に在り天正中沒て海と爲る因て福島の南岸に移す寛永中此に移すこれによると、はじめ大瓶浦にあった潮見寺は、天正年間(1573~1592年)に海に沈み、その後、現在の徳島市福島付近に移ったようです。(リンク先より) << 戻る 1573.01.01 便り年表
便り 西蓮寺-島根県浜田市 ・西蓮寺 浄土真宗本願寺派 島根県浜田市三隅町岡見3673武士であった栗山七郎左衛門が、茶臼山城陥落により、僧となり庵を開いた。これが西蓮寺開基慶養(没1571年、元亀2年、10月27日)となったと伝えられている。この時は、真言宗であったと伝えられている。(リンク先より) << 戻る 1571.10.27 便り年表
便り 乗蓮寺-大阪府東大阪市 ・乗蓮寺 真宗大谷派 大阪府東大阪市永和2-6-4「乗蓮寺(旧字:乘蓮寺)は、本山本願寺と織田信長、秀吉との戦いである石山合戦(1570~1580年)の頃には、既に存在しており、ご門徒方は炊き出し等の手伝いをされていた」と故 松平博 元大阪府議会 議員(乗蓮寺門徒)は、生前、住職に語られていました。(リンク先より) << 戻る 1570.01.01 便り年表
便り 皆満寺-愛知県知多郡 ・神宮山皆満寺 真宗大谷派 愛知県知多郡武豊町下門1371570年頃(天文年中)開基に当たる順誓が、本願寺第10世 証如上人に帰依し(一説には実如上人)真宗に改宗し、本願寺の直末となる。寺基を長尾村の神宮社の傍に移したともいう。(町史には、慶長年間とある)1692年(元禄5年)第4代空圓の時に創られた手水鉢が、経緯は不明だが武雄神社に現存する。(リンク先より) << 戻る 1570.01.01 便り年表
便り 教念寺-大分県玖珠郡 ・教念寺 浄土真宗本願寺派 大分県玖珠郡玖珠町大字大隈1218専復専山教念寺の開基について、『元亀元年(1570)当時、教念寺初代とされる森常陸介胤顕は、その父、興三兵衛と共に浄土真宗に深く帰依していた。その頃、浄土真宗のご本山大阪石山本願寺では、第十一世顕如上人が織田信長の石山本願寺攻めにあい未曾有の法難にあった。(リンク先より) << 戻る 1570.01.01 便り年表
便り 久遠寺-愛知県名古屋市中区 ・賢隆山久遠寺【kuonji.net】 真宗高田派 愛知県名古屋市中区新栄1-4-6当寺は、伊勢国楠村の城下にありました。永禄十年(1567)伊勢国長島へ移転しました。天正元年(1573)清洲城下への願入を行い、後に清洲へ移住。 当時の文献には、『福島宰相正則朝臣を便り、「便利な地を見立てて移るべし」と申され、この言葉を受け、尾張国清洲五条橋の地・朝日郷に移住し「久遠山見立寺」と号しました。』と記されています。(リンク先より) << 戻る 1567.01.01 便り年表
便り 了源寺-千葉県船橋市 ・光雲山 了源寺 浄土真宗本願寺派 千葉県船橋市宮本7-7-1寺伝によると開基の伝翁(俗名:藤原匡親)は永禄8年(1565年)に小田原北条家四代目北条氏政に土地を寄進され了源寺は現在の地に始まりました。その後、本願寺と織田信長の争いが激化すると石山本願寺に入り、石山や紀伊国で転戦したとされています。「足利家に仕えており、主君が暗殺された後、仏門に入った」との記載もあり、永禄8年の「永禄の変」(三好三人衆による義輝暗殺)の後に石山に入り石山合戦終結後の天正8年の可能性もあります。(リンク先より) << 戻る 1565.01.01 便り年表
便り 誓教寺-山口県下松市 ・誓教寺 浄土真宗本願寺派 山口県下松市切山3471562年の創立以来、ずっと西本願寺の浄土真宗で法灯を継いできました。江戸時代以前は地方寺院の設立規定はそれほど厳しくありませんでした。信者と僧侶で何とか維持できれば、掘立小屋のような寺でも勝手に運営すればよし、という程度のものだったようです。(リンク先より) << 戻る 1562.01.01 便り年表
便り 宝福寺-静岡県下田市 ・宝福寺 浄土真宗本願寺派 静岡県下田市下田1-18-26永禄2年(1559)11月、信長の圧迫をのがれ、本願寺第11代顕如並に法孫釈了善、真言を改め開基。文久3年1月16日、宝福寺に滞在中の山内容堂に勝海舟が来山し、坂本龍馬の脱藩の罪の許しを乞い、許される。当日、龍馬は町の旅館にあって、その朗報を待っていた。(リンク先より) << 戻る 1559.01.01 便り年表
便り 浄運寺-福岡県春日市 ・浄運寺 浄土真宗本願寺派 福岡県春日市下白水南4-35蓮華寺第六世の住職宗節師の時代は室町の乱世にあり、その頃の浄土真宗の教えは飛躍的な発展をみせ、そのお念仏のみ教えはここ白水の地にも伝えられました。宗節師はその縁に出逢い他力易行道の教えに随喜、弘治元年(西暦1555年)に改宗を決意されました。(リンク先より) << 戻る 1555.01.01 便り年表
便り 善徳寺-広島県広島市安佐北区 ・善徳寺 浄土真宗本願寺派 広島県広島市安佐北区深川2-19-28天文21年(1552)超印法師の開基によるもので、念仏道場として、善徳寺御門徒、有縁の方々により護られてきたお寺です。『高陽町史』によると「武田氏の末流山村平兵衛が、享禄年中桜尾城で討死後、一子は出家して超印と称し、佐伯郡石内村の慶蔵坊の弟子となり、下深川へ来て真言宗教徳坊の寺跡を真宗に改め、善徳寺の開基となった」とあります。(リンク先より) << 戻る 1552.01.01 便り年表
便り 南宗寺-兵庫県加古川市 ・南宗寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県加古川市西神吉町鼎644天文19(1550)年の開基以来、門信徒の皆さま・地域の皆様と共に歩んできました。今日まで様々な困難を乗り越えて現在まで続いております。(リンク先より) << 戻る 1550.01.01 便り年表
便り 光澤寺-山梨県甲府市 ・光澤寺 真宗大谷派 山梨県甲府市相生町3-5-71548(天文16)年、武田信玄が、当時相模国鎌倉常葉町にあった蛇伏山長延寺(現在の真宗大谷派永勝寺:横浜市戸塚区)の住職実了を、使僧として呼び寄せ、手厚い庇護のもと、長延寺を再興したことに始まる。(リンク先より) << 戻る 1548.01.01 便り年表