浄土真宗の出来事

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西方寺-三重県津市

・西方寺 浄土真宗本願寺派 三重県津市芸濃町椋本332寛文3年1663年9月宗春によって開山いたしました。西方寺の寺号は貞享2年1685年9月に許可されました。以来、お念仏の道場として、ご門徒の心の拠りどころとして現在に至っております。(リンク先より) << 戻る
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随善寺-大分県由布市

・随善寺-大分県由布市 真宗大谷派 大分県由布市庄内町東大津留420-1寛文元年(1661年)から世代を超えて勤めてまいりたいと存じております。(リンク先より) << 戻る
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善養寺-兵庫県姫路市

・善養寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県姫路市八代本町1-16-36善養寺は過去帳によりますと、江戸時代初期1661年にこの八代の地に浄土真宗の寺院として創建されました。(リンク先より) << 戻る
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願隆寺-愛知県名古屋市中村区

・紹光山願隆寺 真宗高田派 愛知県名古屋市中村区烏森町6-142万治三年開創。受院真諦空全大法師が親鸞聖人の教えに帰依し、自ら烏森城跡に庵室を建立。その後、高田派本山第十六世堯円上人の時、願隆寺と称されるようになる。昭和20年3月、空襲により本堂庫裡を失ったが、33年に梵鐘を再鋳。48年には全ての再建を終える。本尊は、恵心僧都作と伝わる阿弥陀如来。正式には「紹光山 願隆寺」と称する。(リンク先より)※万治三年 1660年 << 戻る
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瑞林寺-新潟県新潟市西区

・瑞林寺 真宗仏光寺派 新潟県新潟市西区小針4-5-18瑞林寺はいまを去る四〇〇年以上前の、時は天下分け目、関ヶ原の戦いの時代の一六五七年慶長二年に越後を貫いて流れる信濃川下流に位置する新潟に、智了という方を初代の住職として、親鸞聖人のお念仏の教えを広めるために開かれた浄土真宗のお寺です。(リンク先より) << 戻る
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潮音寺-三重県津市

・潮音寺 真宗高田派 三重県津市中河原554現存する最古の創建記録は明暦2年(1656)。開基は専修寺(現 真宗高田派本山)中興真慧上人の随弟、浄幸坊。本尊は元々専修寺の秘仏と同じ善光寺式阿弥陀三尊で、源三位の後裔乙部兵庫守藤政公の守護仏であった。(リンク先より) << 戻る
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源光寺-広島県三次市

・源光寺 浄土真宗本願寺派 広島県三次市西酒屋甲156毛利元就家臣・福間源左衛門正成が、我が子の討死などを縁として世の無常を観じ、本願寺・顕如上人に法謁の後、得度。法名を覚栄と授かり、高田郡に寺院を建立。西酒屋村に移住した後、原村へ寺基を移転するにあたり、二世覚証の弟・慈教を酒屋に残す。承応3年春、源光寺が両酒屋の総講寺として建立された。(リンク先より)※承応3年 1654年 << 戻る
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正行寺-東京都葛飾区

・正行寺 浄土真宗本願寺派 東京都葛飾区四つ木5-15-21正行寺は、円受法師(承応3年1654年寂)が開山となり、元々は三河国に創建されました。<< 戻る
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浄行寺-熊本県熊本市南区

・浄行寺 浄土真宗本願寺派 熊本県熊本市川尻1-5-871652年(承応元年)慶智の開基で、熊本市坪井にある浄行寺の末寺。本尊は安阿弥様(あんなみよう)との伝えがある二尺二寸の阿弥陀如来です。(リンク先より) << 戻る
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妙願寺-和歌山県日高郡

・妙願寺 浄土真宗本願寺派 和歌山県日高郡日高町志賀2988文明年間から明応の頃、六郷左衛門という深く浄土真宗に帰依されたお同行が、護法の念篤く、縁あって紀州日高郡志賀村に隠遁して、ひたすら報謝の生活に明け暮れていましたが、慶安3年(1650)2月に一宇を建立し、先祖を奉拝しました。六字の名号を掛けて、初代住職了宗法師を迎えて惣道場(そうどうじょう)としました。 (リンク先より) << 戻る
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圓應寺-神奈川県相模原市中央区

・圓應寺(えんのうじ)のホームページ 真宗大谷派 神奈川県相模原市中央区陽光台1-11-11慶安 2年 2月 1649年 三河国碧海郡安静の庄、服部氏 円応により開基す。江戸時代中期 年号不明 越後国(現 新潟市)に移り、以後二百年に亘り教化活動をなす。(リンク先より) << 戻る
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萬行寺-長崎県西彼杵郡

・萬行寺 真宗大谷派 長崎県西彼杵郡時津町浜田郷1411612年(慶長17年)、秀吉による「切支丹(キリシタン)禁令」が発令されたことにより、大村藩内は仏法の興隆の地となっていた。その動きの中、1647年(天保4年)真宗専念山正法寺(大村藩)の末寺として、松浦(佐賀)出身の御厨左馬之助/みくりや さまのすけ (釈道夢)により開基された。 道夢は小島(現在地より100m位の地)に仏像を安置し庵を設け、真宗の法を広め庶民の強化に励んだ。その後三世了閑(りょうかん)により、1666年(寛文6年)、現在地に堂を移し、一尺八寸の阿弥陀如来を西本願寺より免許され本堂と庫裏を建立。1683年(天和3年)に「...
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圓勝寺-岐阜県海津市

・圓勝寺 真宗大谷派 岐阜県海津市海津町稲山390正保元年(1644)、洪水に見舞われるなどして人として生きる意味を見失い、また生きる意欲をもなくしかけていた村人が、仏法を聞き、生きることの真の意味を見い出すことのできるより処の「南無阿弥陀仏」、すなわち本願念仏の道を歩んでいけるようにと、祐玄というお坊さんを頼んで(海津町の蓮応寺からと伝えられています)、ご門徒の皆様が力を合わせて境内地を寄進し、御堂を建て、仏具をそろえて開いたということが始まりと伝えられています。(リンク先より) << 戻る
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林照寺-滋賀県高島市

・林照寺 浄土真宗本願寺派 滋賀県高島市新旭町饗庭2454由来によると、親鸞聖人がご存命の鎌倉時代には寺院が建立されておりましたが、正式に「林照寺」という寺号をいただいたのは、寛永17年(1640年)であります。 以来、滋賀県高島市新旭町にて代々継がれているお寺であります。(リンク先より) << 戻る
年表

宗門改と寺請檀家制度を実施

1640(寛永一七)年、江戸幕府、宗門改役を設置し、宗門改と寺請檀家制度が実施される。宗旨人別帳作成。<< 戻る
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賢明寺-福岡県豊前市

・賢明寺 浄土真宗本願寺派 福岡県豊前市八屋1347もともとは禅宗の寺院であったが、寛永16年(1639年)本願寺より免許をうけたという。(リンク先より) << 戻る
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龍善寺-東京都新宿区

・龍善寺龍善寺 真宗大谷派 東京都新宿区早稲田町77龍善寺は江戸時代初め1638年に創建されました。 宗派は、親鸞聖人を宗祖とする真宗(浄土真宗)大谷派(いわゆる「お東」)であり、本山は、京都・東本願寺になります。当寺の本尊は、親寺である三河(現在の愛知県岡崎市)の「上宮寺」より移された阿弥陀如来像であり、約800年前の鎌倉時代初期の作と言われ、新宿区の文化財に指定されております。(リンク先より) << 戻る
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敬相寺-秋田県秋田市

・敬相寺 浄土真宗本願寺派 秋田県秋田市大町5-7-2江戸時代の初期、寛永13(1636)年、西本願寺十三代良如上人が、同派の地方別院として建立した御坊である。西本願寺の御掛所(おんかけしょ)、御兼帯所(ごけんたいしょ)とも称され、別院として京都の本山から輪番の僧が派遣され、末寺を取り仕切った。開創当初には本山から善察を輪番に下向させ、三年後の寛永16(1639)年には浄円を派遣した。(リンク先より) << 戻る
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浄信寺-愛知県名古屋市中村区

・浄信寺 真宗大谷派 愛知県名古屋市中村区名駅5-20-3真宗大谷派 浄信寺開基:利賢 寛永12(1635年)(リンク先より) << 戻る
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光恩寺-京都府京都市下京区

・光恩寺ホームページ 浄土真宗本願寺派 京都府京都市下京区西中筋通六条下る住吉町30親鸞聖人御染筆名号一幅、 覚如上人御染筆二幅を供奉し、京都に上京し、烏丸五条に居住し、法名を祐心と改め道場を仮説し、 寛永十年十二月光恩寺と寺号を公称し、是を光恩寺初代となし、累世相続し、現在に及ぶ(リンク先より)※寛永十年 1633年 << 戻る
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養源寺-鳥取県鳥取市

・養源寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市職人町45御本尊  阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)開基  慶心大和尚(俗名 上田半蔵) 遷移  岐阜県大垣市→愛知県豊橋市→岡山市→鳥取市(1633年)(リンク先より) << 戻る
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宗真寺-千葉県館山市

・石川山 宗真寺 浄土真宗本願寺派 千葉県館山市上真倉2124宗真寺の正式名称は浄土真宗本願寺派石川山宗真寺。創立年は寛永9年、1632年とされます。(リンク先より) << 戻る
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浄宗寺-鳥取県鳥取市

・浄宗寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県鳥取市瓦町110寛永9年6月18日、岡山藩主であった池田光仲公(当時3歳、1630~1693)が鳥取城主として国替えになられたおり、祐筆・相談役として備前片上(現・和気郡備前町)からお供をして来たり、邑美郡鳥取城下・若桜橋上手の荒尾家下屋敷にて庵を建立して『紫雲庵』と号して居住したのが初代の正現律師である。 (リンク先より)※寛永9年 1632年 << 戻る
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西福寺-東京都港区

・西福寺西福寺 真宗大谷派 東京都港区南麻布2丁目14番17号金生山西福寺は、1631(寛永七)年に浄土真宗本願寺派麻布山善福寺(港区元麻布)の第14世住職准海師の弟以伝(海伝とも号す)が、1661(万治三)年9月9日に浄土真宗本願寺派(西本願寺)より真宗大谷派(東本願寺)に転派し、開基として現在地に創建いたしました。(リンク先より) << 戻る
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光源寺-長崎県長崎市

・光源寺 浄土真宗本願寺派 長崎県長崎市伊良林町1-4-4寛永8年(1631年)開基松吟、福岡県瀬高より長崎に寄住し布教を開始寛永14年(1637年)山号・寺号の免許、銀屋町に一寺を建立延宝4年(1676年)銀屋町の寺地類焼のため、現在の伊良林の地に移転(リンク先より) << 戻る
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明善寺-山形県山形市

・明善寺 浄土真宗本願寺派 山形県山形市七日町5-9-3明善寺の創建は寛永7年(1630)に釈覚玄が開山したと伝えられています。当初は現在の天童市山口にありました。<< 戻る
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妙寂寺-鳥取県倉吉市

・妙寂寺 浄土真宗本願寺派 鳥取県倉吉市新町3-2283妙寂寺は開基寛永6年(1629年)8月で、開基は「妙寂院釋圓照大姉」で、以来門信徒の皆様や地域の皆様に支えられ、護られて参りました。2029年に節目の400年を迎えます。私で18代目の住職になります。(リンク先より) << 戻る
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西徳寺-東京都台東区

・西徳寺 真宗佛光寺派 東京都台東区竜泉1-20-19西徳寺は寛永五年五月、当時新興都市であった江戸における佛光寺門徒の聞法道場として、 金助町(現在お茶の水に近い本郷近辺)に建立された。徳川幕府三代家光の時に当たる。初代の住職は新潟県寺泊の名刹「聖徳寺」住職の次男、釈善如法師が本山の命を受けて就任している。ところが建立されてからわずか五十年の間に三回の火災に見舞われてしまう。この三回の火災の中には八百屋お七 で有名な「振り袖火事」も含まれているが、そのたびごとの再建の為、すっかり疲弊してしまう。(リンク先より)※寛永五年 1628年 << 戻る
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忠綱寺-東京都台東区

・忠綱寺 真宗大谷派 東京都台東区池之端2-5-43寛永3年(1626年)3月22日開基 渡邉忠綱(忠七郎)寺号 向岡山 渡邉院 忠綱寺墓所 渡邉忠綱、方綱、豪綱、潔綱ら、渡邉家御代の墓を預かる(リンク先より) << 戻る
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徳玄寺-岩手県盛岡市

・徳玄寺 真宗大谷派 岩手県盛岡市名須川町15-8徳玄寺は室町時代から戦国時代に代わる頃、青森県五戸で開山しました。それから南部氏が三戸から盛岡に移るにおよび、江戸時代前期(1624~1644年)玄海の時に現在地に移転しました。(リンク先より) << 戻る
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専徳寺-山口県岩国市

・専徳寺 浄土真宗本願寺派 山口県岩国市通津2764厳島合戦に勝利した毛利元就は一族の吉川広家を、弘中氏(当時の岩国城主)に代わって岩国地方を領有させた。広家公は、16年の間岩国の領主となったが、元和2年(1616)に家督を嫡男広正公に譲ると、次男彦次郎君を帯同して、玖珂郡通津村本呂尾に隠居所を構えた。当時、高照山にあった常福寺という真言宗の寺院を改宗し、広正公に対して浄土真宗の一寺建立を願い出た。開基に高森正蓮寺開基了善法師(弘中氏の血統)の3男善超師を迎え、寛永元年(1624)年、光照寺(のち専徳寺)が誕生した。(リンク先より) << 戻る
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徳勝寺-香川県さぬき市

・徳勝寺 浄土真宗本願寺派 香川県さぬき市寒川町石田東甲618寛永年中(1624-1643)住職通教、老体をおして最後の上洛本山参拝へ向かう。良如上人、忠勤に感じ入り寺号「徳勝寺」をお授けになる。第10代住職恵證、老齢の通教に変わり上洛し以下の物を賜る(リンク先より) << 戻る