便り 西教寺-兵庫県豊岡市 ・西教寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県豊岡市庄境1210文化八年四月、高槻・本照寺(富田御坊)の聞法道場(布教拠点)として、建立される。近在の門徒衆による募財等により、荘厳等整えられていく。明治(明治4年推定)になり、三洲布教校にて宗乗を学んだ信海法師が開基住職として就任し、これより、道場から寺院となり、布教活動を展開し、教えを広めていく。(リンク先より)※文化八年 1825年 << 戻る 1825.04.01 便り年表
便り 蓮光寺-山口県下関市 ・蓮光寺 浄土真宗本願寺派 山口県下関市彦島西山町3-13-6文政2年(1819) 某寺掛所として草庵が建つ明治16年(1883)倒壊・無住時期を経て、説教所として再興される(リンク先より) << 戻る 1819.01.01 便り年表
便り 光福寺-佐賀県藤津郡 ・光福寺 浄土真宗本願寺派 佐賀県藤津郡太良町大字大浦甲190石上山光福寺は慶長年間(1600年頃)の創建と伝えられていますが詳細は不明です。太良町誌によると、文化10年(1813)第7世髄泉和尚の時に、竹崎の海岸に大きな木材が流れ着きました。寺ではその木材で阿弥陀如来を刻むことを思い立ち、弥一という仏師に命じて阿弥陀如来像を彫刻し、寺の本尊として永く安置するようになりました。(リンク先より) << 戻る 1813.01.01 便り年表
便り 本願寺富山別院-富山県富山市 ・本願寺富山別院 浄土真宗本願寺派 富山県富山市総曲輪2-7-121800年頃 (寛政年間~天保頃)川端町に町屋を買い本山会所を設ける1884年(明治17年) 9月13日 別院昇格の許可(以後3度の火災にあうが復興する) 1945年(昭和20年) 8月1日 深夜、富山大空襲にて別院4度目の焼失1946年(昭和21年) 8月1日 仮本堂入仏法要(リンク先より)<< 戻る 1800.01.01 便り年表
便り 正満寺-東京都港区 ・正満寺 浄土真宗本願寺派 東京都港区高輪1-27-44寛政 九年 (1798)文如上人裏書の蓮如上人御影安置。文化 五年 (1808)本願寺十九代本如上人裏書の文如上人御影一幅、親鸞聖人絵伝四幅を安置。正満寺十一世淳東代。文化 八年 (1811)一月十六日 正満寺十一世淳東、徳明寺を正満寺と改め、同二十五日築地別院中より移転。 文化 十一年 (1814)二月 正満寺移転、本山が正式認可。(リンク先より) << 戻る 1798.01.01 便り年表
便り 国府別院-新潟県上越市 ・国府別院 浄土真宗本願寺派 新潟県上越市国府1-7-1本願寺国府別院の本堂は寛政10年(1798)に造立、 文化2年(1805)に建立され、総﨔造りの本堂にして、当時の越後地方の寺院建築としては実に稀に見る壮麗なるもので、建築費なども相当多額 のものであったと想像されます。 また、内陣の様式なども土地狭き関係から、出内陣として、余間は極端に小さくしてあります。内陣正面の同一須弥 壇上に宮殿(本尊を安置)と厨子(親鸞聖人を安置)とを設置してあるのが特徴で、内陣外陣の天人・その他の彫刻・天井絵、内陣の壁画や外陣 の極彩色等いずれも上方一流の技能が窺われ、地方寺院のものとしては他に比類なきものであ... 1798.01.01 便り年表
便り 最乗寺-神奈川県横浜市都筑区 ・勝田山最乗寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県横浜市都筑区勝田町1277最乗寺の歴史は古く、今から約530年前に浄土真宗の寺院として開創されました。長きに渡り、この地でご門徒の方々と共に歩み続け、当世の住職で18代目となります。江戸時代の寛政7年(1795年)に建立された本堂は、今なお聞法の場として多くの方にお参り頂いております。(リンク先より) << 戻る 1795.01.01 便り年表
便り 善應寺-青森県平川市 ・善應寺 真宗大谷派 青森県平川市高木原富66安永8年(1779) 尾上村の住民、内山安右エ門氏の次男善正が弘前真教寺、黒石感随寺の許可を得て道場を開き、「善正寺」として開基 2代目住職感随寺智林和尚三男慈海(リンク先より) << 戻る 1779.01.01 便り年表
便り 多福寺-福岡県柳川市 ・多福寺 真宗大谷派 福岡県柳川市吉富町81多福寺は、始まりは現在のみやま市山川町の竹井村という場所であったようです。そこで天台宗の寺院として存在していましたが、安永八年(1779年)に真宗に改宗したと記載があります。(リンク先より) << 戻る 1779.01.01 便り年表
便り 徳願寺-兵庫県神戸市西区 ・徳願寺 浄土真宗本願寺派 兵庫県神戸市西区押部谷町西盛617徳願寺は、安永元年(1772年)に創建されたと伝えられている、創建240年以上の歴史ある古刹です。(リンク先より) << 戻る 1772.01.01 便り年表
便り 常念寺-神奈川県川崎市麻生区 ・常念寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県川崎市麻生区栗木203戦国時代の永禄元年に現在地に創建され、江戸時代中期に火災の為焼失し明和年間(一七六四~一七七一)に再建されたものである。江戸時代建立の寺院建築物は戦災等の為、川崎市内には数少なく当寺のように典型的な江戸時代の寺院の様式を残しているものは珍しく貴重なものと言われている。(リンク先より) << 戻る 1764.01.01 便り年表
便り 善光寺-新潟県新潟市中央区 ・善光寺 浄土真宗本願寺派 新潟県新潟市中央区稲荷町3460善光寺の開山は宝暦4年(1754年)。現在、善光寺は浄土真宗本願寺派の寺院として存在していますが、ルーツは長野にある善光寺と深いつながりのある寺。本尊は浄土真宗の御本尊「阿弥陀如来」と長野善光寺の御本尊「一光三尊阿弥陀如来」の分身像が安置されています。<< 戻る 1754.01.01 便り年表
便り 楷定寺-大阪府高石市 ・古今山 楷定寺 浄土真宗本願寺派 大阪府高石市取石2-24-11江戸時代中期の元文年間(一七三六〜一七四〇年)陽柳法師により創建せれたと伝えられています。現在の本堂は、江戸時代後期の文化十年(一八一三年)に建立されました。本尊の阿弥陀如来立像は、江戸時代に制作され、高さ六一・五㎝の寄木造りです。(リンク先より) << 戻る 1736.01.01 便り年表
便り 西永寺-新潟県十日町市 ・西永寺 真宗大谷派 新潟県十日町市上野甲87西永寺(さいえいじ)は、新潟県十日町市にある1727年(享保12年)創建の真宗大谷派の寺院。 1835年(天保6年)焼失後、1848年(嘉永元年)に再建される。(リンク先より)・西永寺 - Wikipedia 1727.01.01 便り年表
便り 本龍寺-富山県高岡市 ・本龍寺 浄土真宗本願寺派 富山県高岡市末広町1005浄土真宗本願寺派 光慶寺11代了寿の2男恵仁が、享保4年(1719)5月、佐賀野村で一宇を建立して本龍寺と称した。享保15年(1730)6月、本寺の光慶寺が移転したので、これに応じて鴨嶋村(現博労)へ移った。明治の大火の後、明治30年6月再び高岡市末広町に移転して現在に及んでいる。(リンク先より) << 戻る 1719.05.01 便り年表
便り 万行寺-長野県佐久市 ・万行寺 浄土真宗本願寺派 長野県佐久市下平尾461-1寺院名 万行寺(まんぎょうじ)山号 聞宝山(もんぽうざん)聞了により宝永年間に開基されたことに由来 開基300年を機に付けられる由縁 現存する寺史によりますと、万行寺の始まりは、1709(宝永6)年10月15日、聞了により開基とされています。2009(平成21)年で開基300年になりました。(リンク先より) << 戻る 1709.10.15 便り年表
便り 称念寺-愛知県知立市 ・称念寺 真宗大谷派 愛知県知立市新地町西新地65知立の中町はその名からしてまさに当時の中心地であり、そこに寺がありました。時に1705年(宝永2年)、本町桶屋喜右衛門裏家から失火し、池鯉鮒宿など計81軒を消失した大火によって寺にまで火がおよび、本尊や宝物なども多く焼失してしまいました。(リンク先より) << 戻る 1705.01.01 便り年表
便り 観念寺-大阪府南河内郡 ・観念寺 浄土真宗本願寺派 大阪府南河内郡河南町大字寛弘寺220観念寺は、江戸時代(元禄16年)に寛弘寺村の熱心な念仏信者たちによって、 京都の西本願寺から本尊阿弥陀如来の名号をもらい受け念仏道場として起こったと伝わっている。(リンク先より)※元禄16年 1703年 << 戻る 1703.01.01 便り年表
便り 上正寺-神奈川県茅ヶ崎市 ・上正寺 浄土真宗本願寺派 神奈川県茅ヶ崎市小和田2-12-73元禄十五年(1702)僧 圓春 の記せし 境内太子堂縁起 によるに、圓融院 第四皇子 尊勝法親王 郡中寺尾郷(市内小出町)に一宇を建て、海圓院と号し、顕密兼学の道場とす。 文治年中(1185~1189)当村に移れり。 後、嘉禄年中(1225)住僧 了智坊道圓(佐々木四郎高綱公)親鸞聖人(浄土真宗の開祖 1173~1262) に国府津に謁し、其の宗法に帰依し今の宗派に改む。 因りて 了智坊 を宗の開祖とす。其の頃 親鸞聖人 寺号を 無上正覚寺 と名づく。 後、寺務を 智圓に譲り、信州松本に 正行寺 を建て、仁治二年(1241)二月... 1702.01.01 便り年表
便り 願正寺-佐賀県佐賀市 ・願正寺 浄土真宗本願寺派 佐賀県佐賀市呉服元町6-5慶長5年(1600)関ヶ原合戦のとき、後の佐賀藩初代藩主鍋島勝茂は、西軍(豊臣方)に加わったが、敗北し進退に窮した。この謝罪について、西本願寺の准如上人などが中に入り、佐賀藩は事無きを得た。その恩顧に報いるため創立されたものである。それ以後、肥前領内の真宗寺院並びに門信徒は全て西本願寺派となり願正寺はその中心寺院として、肥前国総道場と称された。現本堂は1702年に建立。(リンク先より) << 戻る 1702.01.01 便り年表
人物 浅井了意(あさいりょうい) 江戸時代前期の浄土真宗の僧・仮名草子作家。父は東本願寺の末寺本照寺の住職。本名は不詳。号は松雲・瓢水子・羊岐斎。京都の出身。代表作品は「御伽婢子」(おとぎぼうこ)、「浮世物語」、「本朝女鑑」、「江戸名所記」、「東海道名所記」、「京雀」など。晩年に京都二条の本性寺の住職となり、昭儀坊了意と名乗った。生誕 命日 元禄4年1月1日(1691年1月29日)<< 戻る 1691.01.01 人物年表
便り 三条別院-新潟県三条市 ・三条別院 真宗大谷派 新潟県三条市本町2-1-57三条別院は今から遡ること300年以上前、元禄3年(1690年)に三条の地に創立されました。越後の門徒たちの総力により、寺院の主要な七つの建物である「七堂伽藍(しちどうがらん)」を完備。「北陸で随一の寺院」と称されました。建物は二度の大火に見舞われて焼失しますが、その都度、越後と佐渡の門徒の力によって再建されてきました。(リンク先より) << 戻る 1690.01.01 便り年表
便り 紫雲山常光寺-大阪府門真市 ・紫雲山常光寺 浄土真宗本願寺派 大阪府門真市野里町24-5惣道場としての成立は江戸初期。 元禄2年(1689)に阿弥陀如来と寺号が許可され、元禄11年には、「親鸞聖人御影」と「七高僧御影」を寂如上人(西本願寺14代宗主)より授受し、江戸中期に道場から寺院に発展いたしました。 その後、天明4年(1784)には、法如上人(西本願寺17代宗主)より、「蓮如上人御影」が許可されました。(リンク先より) << 戻る 1689.01.01 便り年表
便り 放光寺-三重県四日市市 ・放光寺 真宗高田派 三重県四日市市西日野町3089景揚山安国寺の経堂として創建され、念仏の場として里人皆仏門に帰依した。二〇〇有余年の繁栄も戦国時代に滝川一益の兵乱にあい、堂塔悉く焼失その後一六八六年(天明六年)華蔵院の跡地に再建、無住持として護持され、同行中より年行事を撰宅托して法灯を守り仏前を供敬してきました。(リンク先より) << 戻る 1686.01.01 便り年表
便り 佛心寺-滋賀県長浜市 ・佛心寺 真宗仏光寺派 滋賀県長浜市泉町161江戸時代前期の1684(天和4)年、円龍和尚によって開山されました。2010年には豊島区雑司が谷に東京布教所を開設しました。本尊:南無阿弥陀仏(阿弥陀如来)開祖:親鸞聖人主な経典:浄土三部経(リンク先より) << 戻る 1684.01.01 便り年表
便り 無量寺-奈良県香芝市 ・無量寺 浄土真宗本願寺派 奈良県香芝市下田東4-4-10無量寺は、江戸時代前期に本願寺(西本願寺)より寺号と本尊が下付された貞享元年(1684年)に始まります。その頃は、「お犬様」で有名な江戸幕府5代将軍徳川綱吉の時代で、その「生類憐れみの令」が始まるのが貞享2年のことですから、無量寺創建の翌年のことです。(リンク先より) << 戻る 1684.01.01 便り年表
便り 西光寺-福岡県福岡市中央区 ・西光寺 浄土真宗本願寺派 福岡県福岡市中央区警固3-13-18開基了玄(天和2年9月9日没)を開基とする。古くは組ヶ浦の満王寺に開基されたが、今より二百数十年前(江戸時代の末)に火災により古記録などを焼失して、詳細は不明である。(リンク先より)※天和2年 1682年 << 戻る 1682.09.09 便り年表
便り 蓮敬寺-島根県江津市 ・蓮敬寺 浄土真宗本願寺派 島根県江津市敬川町1754開基は「教生」という僧侶が波子に小庵を結び布教にあたったのが蓮敬寺のはじまりとされております。 寛文7年(1667年)小庵を神村という地に移り、さらに元禄15年(1702年)には跡市村に移って布教活動を続けるが、明治14年(1881年)11月26日に敬川の強信の門信徒の願いにより敬川の地に移転した。(リンク先より)<< 戻る 1667.01.01 便り年表